1546年(天文15年)11月中旬〜下旬、堺から伊勢神宮へ!
上洛した立花家、猿渡家、同盟大名家は浅香山宿営地を更地にせず、堺の町や朝廷や新体制の幕府に大きな影響を与えて帰国します。
1546年(天文15年)11月中旬〜下旬
浅香山宿営地は更地にならずに改修されて城塞として存続する事になりました。
堺の町と本願寺を結ぶ街道沿いにあり、敷地の外には大和川が流れ、水運及び街道を通じた補給路の警備に適した要衝です。
浅香山宿営地が改修して存続する事は朝廷にも朗報となります。
19日早朝、都の近衛稙家に堺の商務奉行から知らせが届きました。
「何?浅香山宿営地が更地ならずに改修して城塞として存続するのか?
それで、堺の交易品は都まで本願寺、大徳寺、東福寺、石清水八幡宮の軍勢が分担して護衛するのか?
それなら安心だぞ!
山賊や野武士、一揆の奴らに奪われる事も無くなるだろう。立花家の上洛は福を招いてくれたぞ!」
五摂家筆頭、近衛稙家は大いに喜び、この日の朝議にて朗報を知らせると、出席者達は大いに喜びました。
この頃の朝廷は近衛家、九条家が立花家の支援で船主になり、多数の公家達から出資金を集め、商船を各地に派遣して交易をしています。
交易品や売上金が都に運ばれる際には度々山賊や野武士、一揆勢に奪われていました。
これからは護衛の軍勢が交易品や売上金を守ってくれます。
朗報に気を良くした公家の一部から護衛の軍勢を奪われた荘園奪還に使えないのか?と提案がありました。
朝廷の公家の大半は各地に所有していた荘園を武装勢力に横領されています。
収入を断たれた公家もあり、切実な問題です。
この提案に対して関白、一条房通は宗教勢力と協議する事を明言しました。
宗教勢力の協力があれば旧領回復も夢ではありません。公家達の期待が高まりました。
浅香山宿営地では早朝から立花家、猿渡家、同盟大名家の行列が堺湊へ向いました。
松千代に立花義秀、猿渡盛胤の御老公に同盟大名家の諸将が堺から旅立ちます。
堺の会合衆や上洛に携わった町衆や近衛家、九条家の商務奉行、本願寺、大徳寺、東福寺、石清水八幡宮の関係者に加えて堺の町の民が見送りに集まりました。
出発の太鼓画鳴り響き、大型商船5隻、中型商船5隻に分乗した松千代や立花義秀、猿渡盛胤の御老公、同盟大名家の諸将は手を振って別れを惜しみます。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
兵士達が軍旗を振り、手を振って堺の人々に感謝の声を届けました。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
感謝の声が響き、堺の湊から離れると沖合に待機していた雑賀水軍に護衛されて和歌山に向いました。
松千代は祖父、義秀と船から眺める堺の湊が遥か先になるまで手を振ります。
やがて松千代の目から涙が溢れました。
「お爺、上洛して良かったね。
なんだか別れがつらいけど、これから伊勢神宮に参拝に行くのだから元気を出さなきゃね!」
「なんだ、松千代!ぶははは!泣いてるじゃないか?
わしも泣きそうだ…上洛して良かった…
都に商館を設立する勅許を戴き、堺だけで無く、本願寺、大徳寺、東福寺、石清水八幡宮の武装勢力と商人達と繋がりが持てた事は誠に良かった!
さて、伊勢神宮参拝が楽しみだな!」
「ねぇお爺、伊勢神宮の参拝が終わったら尾張国の熱田神宮に行きたい!」
「ぶはははは!熱田神宮!?狙いは織田信長か?」
「お爺おまけの正解!
熱田神宮参拝を口実に織田信長に逢いたいのも有るけどね、織田家に熱田神宮に参拝したいからと、案内を要請する。織田家が案内してくれたら、熱田神宮付近は織田家と今川家の国境に近いから立花家が織田家と手を結んだ様に見えるから、今川家を牽制出来るでしょ?」
「そうか!織田家と北条家の橋渡しで今川家を牽制させるのか?」
「今川家は織田家と北条家に挟撃されるのを恐れるから、北条家の負担は少しだけ軽減するでしょ?
北条家の背後に立花家の存在有りと見せる演出にもなるし、織田家と縁を結ぶのも将来への布石だよ。
熱田湊に商館を設けて織田家の情報が得れたら良いのだけど…」
「ぶはははは!熱田神宮参拝は将来への布石かぁ…
わかった!伊勢神宮を通じて熱田神宮参拝へ織田家に繋いで貰うとするぞ!」
立花家、猿渡家、同盟大名家は夕刻、和歌山湊に到着、翌日から田辺湊、熊野湊を経由して11月22日に鳥羽湊に到着しました。
伊勢神宮参拝の後に熱田神宮へ参拝?
実現すれば新たな展開が?…




