1546年(天文15年)11月中旬、浅香山宿営地の去就確定!
立花家、同盟大名家の帰国が始まります。
立花家、同盟大名家が借りていた浅香山宿営地は更地にして返却する契約になっていました。
しかし本願寺が借り受けて周辺の警護を引き受けたいと申し入れがあり、協議が始まります。
1546年(天文15年)11月中旬
11月18日早朝、浅香山宿営地から帰国する部隊が堺湊へ出発しました。
帰国初日の便には上洛中に買い付けた食材や立花家、猿渡家、同盟大名家が購入した土産物を先行して発送します。荷物は、大型商船5隻に中型商船5隻に分乗して運ばれました.
昨日の宴席に招かれた招待客には朝餉に京風の朝粥が配られ、食事を終えた堺の会合衆と本願寺、大徳寺、東福寺、石清水八幡宮の武将達が浅香山宿営地の取り扱いに付いて協議が始まりました。
東西南北周囲1里(4キロ)に3000の軍勢を収容出来る宿営地の防御力は先日の戦いで立証済みです。
維持出来るなら都と堺の町の交通の要衝になります。
本願寺を始め、大徳寺、東福寺、石清水八幡宮の武将達の思惑は大筋で一致しています。
浅香山宿営地の存続を望み、適度な大きさに修築して共同管理をする事で意見が纏まりました。
修築の費用は会合衆が大半を賄い、残りを本願寺、大徳寺、東福寺、石清水八幡宮で分担、常備軍兵力は堺の傭兵、本願寺、大徳寺、東福寺、石清水八幡宮が通常100名程、緊急時には兵力を増強する事で一致しました。
会合衆と四つの宗教各派は大筋合意に至り、後日詳細を取り決める事になりました。
午前11時頃、会合衆筆頭、山城屋が立花義秀を訪ねました。
「立花様、浅香山宿営地の取り扱いが合意に達しましたのでご報告致します。
浅香山宿営地は更地にする必要が無くなりました。」
「ぶはははは!やはりそう決まったか?」
「はい、広すぎる故、修築して常備軍500名程、最大兵力1000名が籠城出来る程度の規模に直して城塞として残す事になりました」
「承知致しました。我らは1000名程の兵力を残してお手伝いさせて頂きますぞ!浅香山宿営地の建物や資材は全てご自由にお使いくだされ!
買い取りして頂く約束でしたが、更地にせず、継続利用なさるなら、無償で提供させて頂きます!」
「立花様!それでは莫大な資材を購入して頂いたのに、無償で貰う訳には参りません!
材料費として相応の金額にて購入させて頂きます!」
「山城屋殿、我らが上洛する際に護衛して頂いた本願寺、大徳寺、東福寺、石清水八幡宮、堺の傭兵の皆さんへ支払うべき護衛の代金は支払い無用とご遠慮なさいました。
それ故、引き継ぐ資材をその代金として相殺して頂きましょう。これで貸し借り無し!
気持ちもすっきり!円満解決になりませんかな?」
「参りました!そこまで御配慮頂き、感謝致します!
我ら会合衆は未来永劫、立花家の皆様の好意を忘れません!立花家のお陰にて、最近は都周辺の神社仏閣の修繕から大小様々な遷宮の仕事依頼が御座いました。
堺の町が潤い、上洛のお手伝いが出来た事は誠に光栄にございます!」
「ぶはははは!我らは堺の町衆のお陰にて無事に上洛する事が出来ました。
我らこそ、堺の町衆の善意を忘れません!
明日、帰国致しますが、この先に上洛の機会がありましたら宜しくお願い致します!」
立花義秀は会合衆筆頭、山城屋と別れの挨拶を交わして浅香山宿営地から立ち去る山城屋を見送りました。
「お爺、淋しくなるね。都で世話になった東福寺の美しさ、都の山々の紅葉や荘厳な神社仏閣、弓矢の技、流鏑馬の技を競わせた行事など楽しかったよ!
世話になった皆さんとお別れになるのが残念だよ…」
松千代が義秀の傍で囁きました。
「あぁ、明日は堺とお別れだな、だがなぁ、松千代が人任せにせずに上洛を勧めてくれてよかったぞ!
最初は面倒だから上洛する気は無かったからなぁ…
上洛してみたら、縁が繋がり、人脈は広がり、帝に拝謁する事になり、お声掛けを戴いた事は絶大な栄誉だからな。
ぶははは!古河公方家や関東管領家が知ったら随分悔しがるだろう!」
「お爺、本来は無い筈の浅香山宿営地が修築して城塞になるなら、歴史の流れがどうなるのか?
堺の町を支える生命線だから、朝廷を支援する大きな戦力になるけれど、敵の手に落ちたら首に刃を突き付けられた事になるよね?」
「あぁ、松永久秀みたいな武将が浅香山を手に入れたら最悪な事になるかもな?
史実では奈良の大仏を放火する危険な奴だろう?」
「お爺、あれは昭和時代の俗説だよ!
失火や軍勢の中のキリシタン教徒が放火した説もあり、頭脳明晰な松永久秀がやったとは思えないからね、反骨精神旺盛で織田信長を二度裏切る奴だから、出逢えば面白そうだよ!」
「ぶはははは!それは楽しくなりそうだな。
松永久秀、期待の反骨武将に注目するぞ!」
浅香山宿営地が規模を縮小して城塞に修築される事になりました。




