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戦国立花家三代、新日本国戦記、大國魂神社の大神様に捧ぐ!織田信長を倒して全国統一を目指します!  作者: 近衛政宗


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1546年(天文15年)10月下旬、浅香山宿営地に勅使到着!

浅香山宿営地の評価が高まりました。

堺の会合衆や商人達との交流が深まり、新たな展開が始まります。

1546年(天文15年)10月下旬


浅香山宿営地には堺の町から多くの物資が必要となります。町から約5キロの道は立花家の工兵部隊の手により道幅を広げ、砂利と砂を混ぜて土が固められて馬車や牛車が走行可能な道に整備されています。

警備部隊を10ヶ所に配置して巡回警備を行い、往来の安全を確保しています。

浅香山宿営地には薪、炭、味噌、塩、米、麦、野菜、油、木製食器、寝具等の生活用品が日々納入されています。

立花家は府中から御用商人を引き連れていましたので、納入に際しての値段交渉から支払いに至るまで商人同士のやり取りになりました。堺の商人が足元を見て値段を上乗せを図ろうとも、先乗りして事前調査済みの府中商人達は看破して応対しますので、互いに対等な取引に持ち込みました。


やがて出入りの商人達から浅香山宿営地の威容が噂になり、納品業務に店の番頭や当主が便乗して見学に現れる事が多くなりました。

彼らは単なる見学だけで無く、不具合や困り事を聞き出しては積極的な営業活動が行われ、宿営地の生活に寄与する事になりました。

やがて洗濯や雑用に女中や作業者を斡旋する業者、接客専門の女性を扱う業者も噂を聞いて積極的に集まりました。

さすがに問題発生を懸念して接客業の女性については丁寧に遠慮する事になりました。


会合衆の当主など、大店おおだなの重役級の来訪者が相次ぎ、立花家は堺の町衆に世話になっている関係から宿営地の案内をする事になりました。

立花家と同盟大名家の軍勢は警備や設備の保守に従事する者以外は毎日訓練を行います。

見学者達には訓練の様子を公開しました。


三層の監視塔から30けん(57m)の的当てに60間(102m)の的当てを行い、弓矢の名手が次々に命中させる姿を示すと大いに喜ばれ、流鏑馬では単走、二者従走、三者縦走に集団縦走の技が披露され、的に的中する度に拍手が湧きました。


更に騎馬隊の集団移動や騎馬隊同士の模擬戦闘や長槍同士の模擬戦闘が行われ、見学者に喜ばれました。

宿営地の娯楽として鎧を装着したまま行う甲冑相撲、五人制蹴球フットサルなどが紹介されると堺の町衆に流行しそうだと高い評価になりました。

商魂逞しい堺の町衆から宿営地の日帰り観光が提案され、立花家と合意に至り、完全予約制の「浅香山城塞、日帰り観光」と名付けられた観光客の受け入れが始まりました。


東西南北に1キロ四方、周囲4キロの広大に広がる宿営地は浅香山の丘の上に築かれた三層建ての本丸を中心に組立式の建物が並び、立花家と同盟大名家の軍勢3000が駐留する施設が公開されました。

四方は竹矢来、竹柵で囲み、その外側に空堀と逆茂木、乱杭に守られ、竹矢来、竹柵の内側に三層建ての監視塔に配置された弓矢部隊の高度な防御力が紹介されて、軍勢の演習や娯楽の甲冑相撲、五人制蹴球などが公開されて多数の観光客が訪れる事になりました。


観光客には馬が貸し出され、広大な宿営地を馬で移動します。20名を1組に三時間程の見学になりますが、堺の富裕層から庶民まで人気になりました。


観光客には立花家の料理が提供されました。炒飯、拉麺、焼きうどん、焼そば、たこ焼き、餃子などの味に惹かれた堺の町衆から立花家に堺の町に飲食店を出して欲しいと要請される事になりました。


─浅香山宿営地─

─立花義秀、鹿島政家─

「殿、堺の商人達が炒飯や拉麺などに魅了されまして、飲食店を出店して欲しいと要請が参りましたが、如何致しますか?」


「よっしゃ!願いを叶えよう!

今回の宿営地についても広大な土地の利用に便宜を図って頂いた恩があるからな。

皇室や朝廷にご奉仕出来るのも堺の湊あっての事である故、府中から連れてきた御用商人達に任せて出店を進める事にする!」


即決で堺の町に立花家の飲食店の出店が決まりました。府中から立花家の同盟大名家の領地に浸透している食文化が、畿内に持ち込まれます。戦国時代の食文化が進化する切っ掛けになりそうです。


数日後、10月24日の夕刻、朝廷からの勅使が浅香山宿営地に来訪します。

近衛家、九条家の商務奉行と堺の会合衆会頭の山城屋が同道した100名程の行列が浅香山宿営地の正門に到着、兵士数百名が整列して出迎え、立花家筆頭宿老、鹿島政家が挨拶すると本丸へ導きました。


勅使と従者の行列のは浅香山宿営地の広大な敷地と城塞としての様子に圧倒されました。

三層建ての本丸前にて牛車から降りた勅使、今園定家は見上げた本丸が仮御殿と聞いていましたが、仮御殿と思えぬその姿に驚きました。


立花義秀と同盟大名家の当主達の出迎えを受けた勅使、今園定家は従者と共に本丸御殿、大広間に通されました。

大広間には立花義秀や松千代、上洛した同盟大名家の当主や代表達が平伏、上座から勅使、今園定家が勅命を読み上げました。


勅命の内容は10月28日までに上洛して御所の南7キロに所在する東福寺に宿泊する事、29日には御所に参上して帝に拝謁、五摂家、朝廷の大臣達との対面、30日には幕府、新将軍並びに管領と対面が予定され、11月1日が新将軍の就任式に出席、宴席に出席、11月5日に立花義秀の武蔵国守護の就任式と立花義秀、立花義國、立花将広、猿渡盛胤、猿渡盛村の官位の授与と宴席が予定され、出席が命じられました。


さらに松千代に対しては五摂家筆頭、近衛家の姫を嫁に与えると立花家と近衛家に命ずる勅命が降りました。

近日中に婚約を結び、松千代15歳の時に元服、婚礼する事を命じています。

今から9年後に松千代が近衛家の姫を嫁に迎えます。


近衛家は五摂家と血縁者であり、さらには皇室に娘を嫁がせています。

松千代の婚姻は皇室と五摂家と血縁者になる事を意味します。松千代の存在意義が高まる事になりました。


勅使と従者達は立花家が用意した宴席に招いて接待しました。

まずは浅香山宿営地で自慢の風呂に浸かり、立花家の料理人が堺湊から仕入れた新鮮な魚介類と府中から持ち込んだ清酒、焼酎が提供されて宴は盛り上がりました。

勅使の今園定家は立花家の清酒と焼酎の旨さにグイグイ呑んでしまい、従者達に担がれて寝所に入りました。


残された近衛家、九条家の商務奉行と会合衆と立花家や同盟大名家の当主や代表達は上洛を前に祝い事が重なり、話が弾み大いに呑み明かしました。


勅使の到着から浅香山宿営地は賑やかな宴席が設けられて深夜まで宴席が続きました。


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