1546年(天文15年)8月中旬~下旬、上洛準備進展!
立花家との武蔵守護職叙任が決まり、上洛準備が本格化しました。
1546年(天文15年)8月中旬~下旬
上方の情勢が大きく動き、幕府は朝廷主導で新体制に移行します。関白、一条房通は管領細川晴元の解任、新管領に細川氏綱就任の噂を流しました。噂は忽ち広がり、辣腕を奮っていた細川晴元派の足並みが崩れ、山城国、摂津国、和泉国、河内国の細川晴元の領地の大半が接収され、細川晴元派の武将達が次々に将軍足利義晴派に人質を差し出して帰順しました。
細川晴元の勢力が強い丹波国、播磨国、淡路国、阿波国のにも噂が広がり、各地の武将達に動揺が走り、細川晴元派の勢力は大幅に縮小しました。
立花家の府中城では上洛に向けた準備が進み、立花家の領内や同盟大名家からの献上品は府中の近衛府に集まり、点検作業が行われています。上洛する人数は立花家と同盟大名家を合わせて10家から当主や前当主、又は一族の代表を含めた人数になります。
横浜湊を出発して堺湊に到着、更に上洛すると都の中心部まで約70キロ、献上品を運ぶ馬が必要になります。
船の手配や諸々、上洛準備に携わる人々は日々忙しく働きました。
立花義秀の武蔵守護職叙任が内示され、見返りに朝廷から新体制の幕府に従う事を命じられました。幕府に従う場合、幕府体制の組織、古河公方家、関東管領、前橋上杉家と敵対関係にあり、複雑な状況になります。
立花家が古河公方家、関東管領家の支配体制に大人しく従うのは無理があります。
しかし、立花義秀は理由をつけて古河公方家側を内部から崩す事を考えていました。
「弱点となる火種ならあるぞ!
岩槻太田家の旧家臣を焚き付けるのも良いだろう。更には仏教宗派の台頭で古河公方家内部に不満があるだろう…古河公方家は常陸国の国衆の未払い問題は未解決だだろう?
関東管領、前橋上杉も叩けば火を噴くからな、独裁的な筆頭宿老が亡くなり、今頃は筆頭宿老の人事で長尾派と長野派が揉めてるだろう?ぶははは!暫くの間は朝廷の顔を立てて従うぞ!」
立花義秀は朝廷に使者を派遣すると武蔵守護職叙任確定の御礼と新体制の幕府と和解する事を約束しました。
気持ちを整理した事で立花義秀は上洛準備に集中しました。
立花義秀は同盟大名家の代表を率いて上洛、幕府と和解して新将軍に拝謁すると宣言しました。
─上洛予定同盟大名家─
立花家、世田谷吉良家、青梅三田家、滝山大石家、江戸太田家、秩父藤田家、船橋高城家、里見家、武田家、北条家、(合計10家)
─府中城─
─立花義秀、鹿島政家─
「殿!武田家から武田信繁殿、北条家から北条玄庵殿が上洛に同行すると回答が参りました。」
「ぶははは!遂に消極的だった武田家、北条家も上洛する気になったな?
上洛の栄誉に加え、新将軍に拝謁すると幕府公認の立場になり、武田晴信には信濃攻略に都合が良かろう。
北条家には今川家との戦いに良き効果もあるだろう。同盟代表家は各々上洛する人数を決めねばならん!」
「殿、仮に同盟大名家が均等に100名、立花家を500名とすると1400名、行列を飾り、献上品を運ぶとなりますと馬が500頭は必要になります。
更に1400名の生活物資、500頭の馬の餌も加えて試算すると軍船、商船の必要数は大型船25隻、中型船20隻程かと推察いたします」
「軍船はともかく、商船を調達するのは商務奉行と交易商人達の協力が必要になる!
その調整の餌に商人達の代表を上洛の行列に加えると伝えろ!
ぶははは!都に上洛する栄誉が餌になるぞ!」
「はい、早急に手配致します」
「上洛したら立花家と同盟大名家に手を出すと、古河公方家や関東管領家は幕府に逆らう事になるからな…上洛する意義は高いぞ!
それからな、古河公方家は幕府に事前に報せずに家督相続をしており、事後報告になった事が新体制の幕府に悪印象となった。
暫くは新しく家督相続した足利政孝に官位は与えられず、放置されるだろう」
「殿、新設した岩槻公方家の事も事後報告でありましょう。幕府も朝廷も未公認で勝手に創設した事は非難の対象になりましょう」
「まぁ、そうだろうな、先年、下総公方家を創設した時も事後報告になり、今回も幕府と朝廷に事後報告ではな、簗田高助にしては先を見誤り、拙速だったな?
事前に申請して実行すべきだったが、立花家と同盟大名家には流れを呼び込む事になろうからな。
さてさて、上洛が楽しみになったぞ!」
そこに松千代が美人侍女五名を引き連れて現れました。
「お爺!そんなに楽しみならお爺も上洛すれば
良いじゃん!大神様がね、お爺も上洛しなさいと仰られたよ!」
「おぉ!松千代!大神様のお告げなのだな?
ぶははは!それならば俺も上洛するぞ!」
松千代の一言で立花家当主、立花義秀が上洛する事が決まりました。
朝廷から立花義秀に新体制の幕府に従え!との意思表示が新たな歴史流れを産み出して、立花義秀が松千代と一緒に上洛します。
上洛して将軍に拝謁する事は、幕府に公認された独立大名として扱われます。
古河公方家、関東管領家は相当の理由が無い限り、立花家と同盟大名家に対して侵略が出来なくなります。
立花義秀は幕府を利用して古河公方家、関東管領家を制御する事を考えていました。




