1546年(天文15年)7月下旬~8月中旬、武蔵守護職の叙任確定!
朝廷は一条房通を中心に幕府を新体制に導き、朝廷の助言や進言に従う幕府体制を考えています。その体制が完成すれば室町幕府は史実と違い、崩壊に向かわずに歴史の流れが変わります。
1546年(天文15年)7月下旬~8月中旬
7月22日、高槻の戦いで管領、細川晴元の軍勢は破れて壊滅、播磨国方面に逃れて失脚した状態になりました。
一条房通は将軍足利義晴派の主将、細川氏綱に細川晴元派の武将や細川晴元の領地接収を提案しました。
管領、細川晴元派に兵力回復の余裕を与えない為には最優先の課題になります。
更に成果を出せば管領、細川晴元を解任して次期管領に細川氏綱が就任すべきだと魅力的な進言を提供しました。
足利義晴派の軍勢は山城国、大和国、河内国、和泉国、摂津国の管領、細川晴元派とみられる武将を次々に制圧、人質を供出させて将軍、足利義晴に忠誠を誓わせ、管領、細川晴元の領地を次々に接収を続けました。
8月上旬、堺の町に滞在している立花家の使節達に朗報が届きました。
関白、一条房通の使者から、管領、細川晴元の勢力を排除出来た事で、立花義秀の武蔵守護職叙任が確定した事が告げられました。
更に足利義晴が隠居、10歳の嫡男に家督を譲り、将軍に就任、管領、細川晴元を解任、新管領に細川氏綱を就任させると知らされました。
一条房通は新将軍、新管領就任と立花義秀の武蔵守護職叙任を同時期に行い、新体制の幕府と立花家に和解の提案がありました。
それを聞いた立花家の使節の代表、藤原家長は驚きました。
今まで対立していた幕府と急に和解となると使節の代表に判断出来る事ではありません。
「使者殿、武蔵守護職の叙任に対して伏して御礼申し上げます。
幕府の新体制に付いてはお祝い申し上げます。更に新体制の幕府と和解に付いては本国に知らせて判断を仰ぎます」
「承知致しました。幕府の新体制に合わせて関東の争乱については古河公方、足利政孝、関東管領、上杉英房(前橋上杉家)の責任を叱責する為、朝廷と幕府から戒告を与えます!
関東争乱の原因を作り、侵略を繰り返したのは明白、今後、身勝手な争乱を起こせば古河公方家の称号、関東管領の称号を剥奪すると警告を与えます!」
「御配慮に感謝致します。
古河公方家の野望に関与したのは他にもございます。古河公方家の配下に下総公方家、岩槻公方家が新設されており、川越から退去した松山上杉家、越後上杉家も立花家や同盟大名家に対して度々侵略を繰り返しております。
これら四家については先日も報告書を提出しております故、お叱りを与える事を御願い申し上げます!」
「委細承知致しました。関白殿下にお伝え致します。必ずや処分がなされましょう。
今後は式典の日時の調整が始まりますが、おそらく10月下旬から12月上旬になりましょう。本国に報告なされて準備なされよ」
一条房通の使者は最後に命令に近い言葉で準備なされよ!と語りました。
朝廷は新体制の幕府と和解を求めています。
立花義秀の武蔵守護職の叙任が決まりましたが、幕府との和解が順調に進むか否か?
使節代表の藤原家長は堺湊から早船を出して府中の立花義秀に使者を送りました。
早船の使者は堺湊から急行して5日で横浜湊に到着、8月14日の夕刻、使者は馬を飛ばして府中城の立花義秀に朗報を届けました。
使者から叙任が決まった事、幕府の新体制について概要が報告され、藤原家長からの報告書を手に取り、目を通しました。
─武蔵国、府中城─
─立花義秀、鹿島政家─
「決まったぞ!武蔵守護職叙任だ!
都の幕府体制がひっくり返ったぞ!
しかし、朝廷から幕府と和解を求めてるぞ!
細川晴元失脚、新将軍に新管領が就任だ!」
「殿、古河公方家、関東管領家に戒告は二度目になります!
従わなければ古河公方家の称号と関東管領の称号剥奪があると記されております!」
「ぶははは!松千代の夢のお告げ通り、新将軍が誕生するぞ!
古河公方家と関東管領家に戒告と称号剥奪の脅しは面白いじゃないか?
だったら幕府と和解しても良いが、さて、朝廷に返答せねばならんのだな?」
「殿、朝廷には逆らえません。
過去の遺恨は捨てて、朝廷に従いながら、巧みに関東制覇を狙いましょう」
「承知した!朝廷には従う!
上方の情勢に合わせて出来る事をやるぞ!
さて、後はやれる事はないか?
考えねばならんぞ!」
立花家は武蔵守護職を請願した見返りとして、朝廷の問い掛けに早急に返答しなければなりません。
朝廷も巧みに政略を投げ掛けています。
立花義秀は更に何か立花家の利益になる事を探しました。
朝廷は新体制の幕府と立花家の和解を求めています。更に古河公方家、関東管領家を朝廷や幕府に従わせて新たな秩序作りを想定していました。




