表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国立花家三代、新日本国戦記、大國魂神社の大神様に捧ぐ!織田信長を倒して全国統一を目指します!  作者: 近衛政宗


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

386/466

1546年(天文15年)6月上旬、古河公方家、家督継承と岩槻公方家創設へ!

古河公方家の新しい体制が始動します。

古河公方家の新しい当主が就任、岩槻公方家が新たに創立されます。



1546年(天文15年)6月上旬


6月1日、古河城にて古河公方家の家督継承の儀式が行われました。

古河公方家の領内の常陸国、下総国、武蔵国の一部から配下の大名、主要な家臣が招かれ、更に関係が深い松山上杉家、前橋上杉家、越後上杉家からも重臣達が参列しました。


足利晴氏が嫡男に家督を譲り、五代目古河公方、足利政孝が誕生しました。

富裕商人や仏教宗派や主要な神社の関係者等の有力者達が招待されて能や狂言、神楽等が披露されて前夜祭を含めて盛大な饗応が無事に行われました。


新公方の就任披露の宴が終わり、古河公方家の実質的最高権力者、簗田高助は足利晴氏と会談しました。

一時的に立花義秀の策略に嵌まり、二人の間の擦れ違いがありましたが、二日前に対談した折に解消していました。

立花家の捕虜になった足利晴氏が泥酔した状態で簗田高助と対面した時に晴氏は醜態を晒した事を詫びて、簗田高助は公方の資格無し!と罵った事を謝罪していました。


─古河城─

─足利晴氏、簗田高助─

「高助、其方のお陰で廃嫡の危機を逃れ、父上に逆らって古河公方家の家督を相続する事になった。その時より11年も我が身を公方として守り育ててくれた事に感謝している!

高助、これからは息子の政孝を頼むぞ!」


「公方様、幼い頃より権力者の争いに振り回され、数々の苦労をなされたと思います。

この高助も生きる為、生き残る為に権力を振りかざして参りました。

この世は乱世、力が無ければ生き残れません。それ故に簗田高助は古河公方家を関東の覇者にする為に全力を尽くし、政孝様を支えて参ります!」


「うむ、其方に古河公方家の行く末を任せる!我が身は岩槻にて立花家から古河公方家を守る壁となるぞ!」



やがて二人の前に酒が運ばれ、思い出話しが始まり、晴氏が酔い潰れるまで語り合いました。簗田高助は近習に背負わせて晴氏を寝所に運ばせました。


足利晴氏は数日後、岩槻公方家の初代公方に就任します。

晴氏から岩槻公方家の後継者選びは高助に一任すると託されていました。

上方(都)から足利家の養子を貰えるならば、高助の娘を嫁がせる事が可能です。


古河公方家の後継者、足利政孝の嫁選びも高助の手に託されています。

立花家に対抗出来る大名家の娘を考えていました。


簗田高助がその二つの事を考えている時、嫡男、晴助がやって来たので晴助の意見を聞いてみました。

「父上、政孝には簗田家の血が流れております。今川家から嫁を貰いましょう。

養女でも構わず、今川の血筋なら今川本家の養女にして頂いた後に嫁入りで良いでしょう。今川家なら立花家の同盟大名、北条家と対立しており、相手も歓迎するでしょう。

岩槻公方家の後継者は上方の足利家の男子を第一に探し、ダメなら越後上杉家から男子を養子に頂きましょう。

嫁には簗田一族から娘を嫁にすれば良いかと思われます!」


「ほぉ、それも良かろう、秋口までには決めたいからな、なんとか纏めたいものだ」


「父上、上方では相変わらず将軍、足利義晴様は都に入れず、坂本に滞在を強いられ、管領の細川晴元殿が権力を握ったまま対立しており、二つに割れております。

細川晴元殿は将軍を隠居させて新将軍を推戴する動きがございます」


「そうだな、幕府の権力者には言いなりになるお飾り将軍が必要だからなぁ。

上方の足利家は嫡男以外は相続争いを避ける為、強制的に仏門に入る。

緊急時にはその中からお飾り将軍が選ばれる。足利家の血筋を繋ぐ僧は20名程と言われているが、非公開の為に正確な事は不明、我々も上方の足利家の血を繋ぐ飾り雛が必要だからな、晴助!細川殿に養子の紹介を申請するぞ!」


「はい!それならば秋口までにはなんとかなりましょう!」


簗田高助は次に家督を相続した足利政孝を訪ねました。

足利政孝は18歳、母は簗田高助の娘、簗田高助は53歳、政孝の祖父の間柄になります。


「お爺様、お疲れではありませんか?」


「政孝、大丈夫だ、これから父君の跡継ぎとして毎日が学びの時になる故、しっかり頼むぞ!」


「はい、お爺様、母からお爺様の意向に従い日々学べと言われております。

お爺様の理想の公方になります!」


「そうか、政孝、幕府から託された関東の争乱を静めるのが古河公方家の当主の役目である。謙虚に学び、日々精進致せ!」


「はい、お爺様、宜しく御指導を御願い致します!」

祖父と孫、本来の地位は足利政孝が当主であり、簗田高助が家臣のはずが、頭を下げて師弟の如く政孝が従う形になりました。

簗田高助の娘は政孝が幼い頃から祖父、簗田高助に従う様に育てた事が結実する事になりました。


「政孝、6月5日に父君(足利晴氏)が新たな公方家、岩槻公方家の初代公方に就任する。

6月3日の早朝、30000の軍勢を率いて出発するぞ!」


「はい、心得ました」


「岩槻公方家創設の式典では派手な行列で、立花家との戦いに負けた事を忘れさせるのが目的である!

其方は来賓の最上位として威厳を示して役目を果たして貰うぞ!良いな?」


「はい!役目を果たします!」


6月3日、早朝、古河城、渡良瀬川河川敷に終結した古河公方家の軍勢30000は岩槻公方家創設の式典の為に出発しました。

「エイ!トウ!エイ!

エイ!トウ!エイ!

エイ!トウ!エイ!

エイ!トウ!エイ!」

行進する軍勢が声を合わせて進みます。

その光景は立花家との戦いに破れた軍勢とは思えぬ様子に領民も安堵する様子が窺えました。

足利政孝の軍勢は6月4日、岩槻城に到着。

6月5日、岩槻公方家創設の式典が始まりました。先日の古河公方家の家督継承の儀式に参列した面々がそのまま招待され、さらに新領地から関係者が加わり盛大に行われました。


─岩槻公方家、主要役職者─

岩槻公方、足利晴氏

筆頭宿老、野田弘明

宿老、一色信義(簗田派)

宿老、斯波義親(簗田派)

参与、真言宗勢、慈恩(簗田一族)

参与、曹洞宗勢、白蓮(簗田一族)

参与、宇都宮尚綱(野田派)

参与、小山高朝(簗田派)

参与、佐野景綱(中立派)

参与、那須政資(簗田派)


岩槻公方家は宿老と駐留軍の主将が参与として運営に関わります。

足利晴氏は飾りに等しく、実質的に野田弘明が司令塔になり主導します。

しかし、参与に簗田一族が二名参加しており、簗田高助に随時情報が流れる事になります。更に宿老も参与も大半が簗田派と見なされ、簗田高助の影響下にあると言える陣容です。


足利晴氏、野田弘明の二人が信頼出来るのは参与の宇都宮尚綱に限られます。決して敵ではありませんが、簗田派の信頼を取り付け、納得させながらの運営は慎重な舵取りが必要となりました。




古河公方家の本拠地を守る岩槻公方家の領地は南と東を立花家と直接国境を接する事になり、

互いに駐留軍を配置しています。

両家の緊張が高まり、ハラハラする状況になりました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ