1546年(天文15年)5月下旬、本多広孝の本葬儀
立花家、次席宿老、本多広孝は惜しまれて世を去りました。
居城の国分寺城にて本葬儀が行われます。
1546年(天文15年)5月下旬
5月27日、国分寺城にて古河公方家との戦いで先日亡くなった立花家、次席宿老、本多広孝の本葬儀が行われました。
古代から国分寺周辺に栄えた本多一族は立花家の宿老を勤めながら、国分寺城の領主として代々武蔵国分寺の警護役を任されており、本葬儀には親族と立花家の関係者の多くが参列しました。
立花義秀、立花義國、松千代、立花将広や宿老、中老、同盟大名家、寺院、神社、商家、近所の領民等、多数の弔問客に見送られて本多広孝の遺骨は武蔵国分寺にある本多一族の墓に眠りました。
立花家当主、立花義秀の判断で次席宿老は当面空位、欠員のまま、亡き本多広孝の嫡男、本多広家を宿老候補として中老職に採用する事が発表されました。
立花家の宿老は会社に例えるなら取締役、政策決定や重要な権限を与えられます。
戦いの際には大軍を任されたり、駐留軍の総大将を任される事もあります。
中老は宿老の補佐や駐留軍総大将、軍勢を率いる主将を勤めたりします。
本葬儀の帰り道、立花義秀と松千代は個室型の馬車に乗り、国分寺街道を南下、府中城に向かいます。
「お爺、宿老は五名体制から少し増やした方が良いかも?随分忙しいみたいだよ?」
「おぉ、それはそうだな、立花家の領地も増えて、同盟大名家も増えてたからなぁ、宿老の仕事量も増えただろうからなぁ、中老職から宿老に数名昇格させて、中老職にも数名を昇格させる事になろう」
「お爺、昇格人事を済ませたら当面は内政固めて武蔵松山上杉家、前橋上杉家、越後上杉家の動きを探る必要があるよ!3つの上杉家と古河公方家が連動したら厄介だからね!」
「あぁ、古河公方家と3つの上杉家が同時に動いたらさすがに兵力は敵が上回るだろうからな。鍵になるのは越後上杉家だな、史実通りなら守護の上杉家と守護代の長尾家が争うはず…さらには先月、越後国主、上杉房朝殿に親書を送った効果があれば良いのだが…」
「お爺、史実通りなら越後国は長尾景虎がそろそろ台頭して兄、晴景に代わり長尾家当主になり、越後を制覇するはず、越後上杉家は没落するはずだよ!」
「そうだよな、それで、前橋上杉家は秩父と川越の戦いに大敗して筆頭宿老が亡くなり、当面は外征は無理だろう。
武蔵松山上杉家は川越城を失い、当主、上杉朝定は討ち死に、筆頭宿老、次席宿老も死に、家督相続者は誰がなるんだ?
取り敢えず3つの上杉家は当面戦力にならんだろう。こちらは内政を固める時間が十分に取れそうだ」
松千代と祖父は史実の進行具合を確認しながら、今後の構想を語り合いました。
本多広孝の本葬儀の帰り道、立花義秀と松千代は立花家の体制固めに宿老体制の見直しや、今後の情勢を語り合いました。




