1546年(天文15年)5月26日、古河公方家の継承と岩槻公方家創設が確定!
岩槻公方家創設を目指した足利晴氏の想いは、古河公方家の最高権力者、簗田高助の合意を取り付ける事が必要です。
簗田高助の答えは?
1546年(天文15年)5月26日
古河公方、足利晴氏が岩槻公方家創設を望んだ結果、関宿城の簗田高助から6月1日に古河公方家の家督相続の儀式を行い、6月5日に岩槻公方家の設立式典を行いたいとの知らせが入りました。
朝廷に古河公方家の家督継承と岩槻公方家創設認可を申請しても許可が降りるまで時間が掛かる事から、質素に実現してしまう事になりました。
足利晴氏側と岩槻城に派遣された簗田高助の重臣、宇佐美信厚は岩槻公方家の宿老等の人事について調整を進めました。
やがて岩槻公方家の人事が決まりました。
─岩槻公方家─
岩槻公方、足利晴氏
筆頭宿老、野田弘明
次席宿老、一色信義
宿老、斯波義親
参与、真言宗勢、慈恩
参与、曹洞宗勢、白蓮
参与、宇都宮尚綱
参与、小山高朝
参与、佐野景綱
参与、那須政資
古河公方家の次席宿老、野田弘明が岩槻公方家に移籍して筆頭宿老に就任が決まりました。古河公方家の宿老一族から一色信義、斯波義親が派遣され、真言宗勢を率いる慈恩、曹洞宗勢を率いる白蓮は簗田一族であり、簗田高助の影響力が波及する陣容になりました。参与の役職は下野国の大名家に与えられ、足利晴氏、野田弘明が信頼する宇都宮尚綱が新設する岩槻公方家の運営に参加出来る事になりました。又、参与は大名自身の代役に大名家の重臣が勤めても良いとされ、参与の四家に任されました。
岩槻公方家の領地は常陸国、栗橋、武蔵国、久喜、宮代、春日部、蓮田、大宮、岩槻、越谷、松伏、浦和に及び武蔵国の約10%を占めています。立花家と江戸太田家の領地と国境を接しており、古河公方家の本拠地、古河城の外壁になる重要な地域になります。
岩槻公方家の軍備と常駐する駐留軍が大筋で決まりました。
─岩槻公方家常備軍5000─
足利晴氏2000
野田弘明3000
─岩槻公方家、駐留軍15000─
大宮城、真言宗勢、慈恩3000
越谷城、曹洞宗勢、白蓮3000
見沼城、宇都宮尚綱3000
東大宮城、小山高朝2000
東岩槻城、佐野景綱2000
松伏城、那須政資2000
この他に岩槻太田家の旧臣を採用すると共に、太田資正を支援した仏教宗派300院から軍勢を採用すると更に10000を越える軍勢が増員可能になり、総兵力30000の規模になります。
岩槻公方家の創設により、古河公方家の戦力が増強される事になりました。
─岩槻城─
─足利晴氏、野田弘明─
「弘明!古河公方の肩書きが外れ、息子が後を継ぐ事になった!其方の働きに感謝する!これから忙しくなるが、頼むぞ!」
「はい、公方様、古河公方家の継承に岩槻太田家創設に楽しく忙しくなります。
お身体を大事に為されませ。
これよりは岩槻太田家の旧臣を積極的に採用して内政を整えます」
「承知した!弘明に任せる!頼んだぞ!」
相変わらず丸投げの晴氏ですが、野田弘明には幅広い人脈と調整能力が有り、岩槻太田家の旧臣の採用が進むと思われます。
岩槻領内の仏教宗派の300院との交渉は真言宗勢の慈恩と曹洞宗勢の白蓮に託す事になり、岩槻公方家の軍事力増強に貢献する事が期待されました。
古河公方家の継承が決まり、岩槻公方家の創設も確定しました。
古河公方家の軍事力の回復が早まりそうです。