1546年(天文15年)5月23日、古河公方、足利晴氏、岩槻太田家併合!
古河公方、足利晴氏の野望が動きます。
岩槻太田家が終わりに近づきました。
1546年(天文15年)5月23日
午前9時頃から立花家の軍勢の撤収が始まりました。岩槻太田家との国境の南大宮城、蕨城に集結していた立花家の軍勢が撤収を始めました。
岩槻太田家側も東浦和城に集結した軍勢が撤収を始めました。岩槻城では古河公方、足利晴氏が慰労の宴を用意していると連絡があり、岩槻太田家の将兵は終戦を喜ぶ雰囲気がありました。
撤収する太田家の軍勢は二手に別れて岩槻城に向かう事になりました。
西廻りに河野勢4000が撤収します。東廻りには太田資正の軍勢5000が撤収します。
河野勢が東浦和城を離れて1時間経過した頃、御蔵周辺に差し掛かった時でした。古河公方家からの支援部隊主将の具合が悪く、休息するから、先に岩槻城に向かう様に連絡がありました。
河野勢4000から半数の2000が抜けて牧場で休息する事になりました。
これは古河公方軍の計略でした。その近くには大宮城を確保した真言宗勢が周囲に隠れ、3000の伏兵が配置に就いていました。
背後からは御蔵に休息していた古河公方家の軍勢2000が道を塞ぎ、挟撃態勢を取りました。
河野勢2000が先に進みます。
二列縦隊で1キロの長さになっていました。
突然、河野勢の主将、河野秀康の近くの指揮官達に弓矢が数本放たれました。
指揮官5名が犠牲になり、忽ち長槍部隊の伏兵に囲まれてしまいました。
「立花軍の伏兵か?卑怯だぞ!」
秀康が叫びます。
「殿!背中に古河公方家の旗印を掲げています!古河公方家の裏切りです!」
側近が冷静に古河公方家の裏切りを指摘しました。
「河野秀康殿!太田資正殿は立花家に寝返りましたぞ!筆頭宿老、立川明和殿を通じて立花家に服属を申し入れた!
貴殿はこの愚行を支持なさるか!?
それとも古河公方家に従うのか!?
貴殿の軍勢の背後には御蔵から2000が迫っているぞ!
降伏か?戦うか?返答や如何に!」
真言宗勢主将、慈恩が呼び掛けました。
「我が主君が寝返っただと?!
さては濡れ衣を着せて岩槻太田家の領地を乗っ取る気だな?!汚いぞ!皆の者!…」
河野秀康が言葉を発している最中に彼の身に数本の矢が刺さり、真言宗勢の長槍に突かれて落命しました。
「河野秀康殿!討ち取ったりー!
降伏しろ!降れ!(くだれ)
無駄死にするな!降れ!」
真言宗勢が降伏を呼び掛けました。
主将が討たれた河野勢は突然の事に混乱したまま降伏を受け入れました。
一方、東浦和城から東の進路を進んだ太田資正の軍勢も順調に岩槻城に向かっていましたが、古河公方家から与えられた援軍の主将が具合が悪くなったとして綾瀬川河川敷で休息すると連絡があり、援軍の2000が抜けました。
太田資正の軍勢3000は岩槻城に向かいますが、筆頭宿老、立川明和が何か違和感を感じ、河川敷に監視兵20騎を配置して先に進み、前方の安全確認の為、騎馬20騎を先行させました。更に太田資正に進言します。
「殿、少しばかり気掛かりがございます。
500名を先行させて、残りの軍勢の歩みを緩めて進みます。杞憂なら良いのですが、不安を感じました!」
「明和、心配は要らぬ、公方様は主力決戦に敗れても強い気持ちで我々を鼓舞する為に岩槻まで参られたのだ。まぁゆっくり進むのも良かろう。任せるぞ!」
太田資正は足利晴氏の企みを知らずに気楽に考えていました。
しかし、立川明和の心配は現実になりました。先行した500の軍勢が古河公方家の旗印、旗指物を掲げた伏兵に襲われたと騎兵から知らせが入りました。
更に背後から殺気を帯びた古河公方家の援軍が接近中と報告が入りました。
「敵に備えろ!油断するな!」
立川明和が叫びます。
「公方様が我々を裏切るのか?!」
太田資正は信じていた足利晴氏の裏切りに驚きました。
この時、古河公方家の軍勢が東大宮城、岩槻城、東岩槻城、越谷城等、制圧した城から出撃しており、太田資正の軍勢を狙い、包囲の輪を縮めて接近していました。
宇都宮勢、小山勢、佐野勢、那須勢、曹洞宗勢等、総勢12000、四面楚歌の状況になりました。
やがて周囲が騒がしくなりました。
停止した岩槻太田家の行列に迫る軍勢が現れました。
突然、大きな声が問い掛けを始めます。
「太田資正殿に申し上げる!
立花家と手を結び!今秋に示し会わせて古河を攻めると聞いたが真偽や如何に?!」
「悪意に満ちた噂に過ぎぬ!
古河公方家を裏切る気持ちはござらん!
我が身は潔白である!」
太田資正は身に覚えの無い言い掛かりに怒りながら答えました。
「太田資正殿、潔白ならば申し開きを確認する故、お一人で岩槻城にお越しなされよ!」
即答出来そうに無い無理難題が振り掛かります。
「馬鹿者!その手には乗らぬぞ!
岩槻太田領を乗っ取る気であろう!
足利晴氏!汚いぞ!」
その瞬間でした。数本の矢が馬に刺さり、落馬した太田資正に古河公方軍の長槍隊が殺到します。資正を守ろうと側近や兵士達が抵抗しますが、不意を突かれて制圧されてしまいました。
「太田資正殿!討ち取ったりー!」
古河公方軍から声が上がりました。
「戦闘停止!裏切り者は討ち取った!
将兵に罪無し!無駄な戦いを止めよ!」
古河公方軍は戦いの停止を呼び掛けました。
岩槻太田家の2000の軍勢は二列縦隊で1キロ余りの長さで行軍していました。
多数の兵士は襲撃される事情が解らぬまま戦いに巻き込まれ、停戦となりました。
立川明和など、上級家臣50名が選ばれて岩槻城に同行を求められ、それ以外は武装したまま帰宅が許されました。
古河公方軍は手際良く岩槻太田家の軍勢を制圧しました。両軍の死傷者が僅かに押さえられた事が多少なりとも幸いでした。
古河公方、足利晴氏は岩槻太田家を犠牲にして簗田高助との対立を避けました。
史実よりも早く太田資正が星になりました。




