1546年(天文15年)5月21日、簗田親子、居城に到着!
足利晴氏、野田弘明、宇都宮尚綱の行動力が敗戦直後の古河公方家に流れを呼びます。
1546年(天文15年)5月21日
簗田高助、晴助親子の軍勢4000は深井城に2日滞在して疲れを癒し、21日、主力の軍勢を嫡男晴助が率いて陸路を進み、高助は深井湊から200名の護衛と共に簗田家の商船四隻に分乗、利根運河から東に向かい、利根川を遡り、江戸川に入り関宿城内の船着場に入口に到着しました。
城内入口の江戸川の河川敷には領民500名程が手を振り、簗田高助達の船の到着を歓迎しています。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
関宿城の船着場には300名の家臣達が声を合わせて出迎えました。
出迎えには重臣達の顔もありました。
「どうしたのだ?領民に家臣達も負け戦の帰国に手厚い出迎えに戸惑ったぞ!」
船を降りて、簗田高助は簗田家筆頭家老、瀬能英孝に尋ねました。
「殿、簗田親子の軍勢が勝利寸前の激戦を戦った、紙一重の戦いだったと評判になり、勇気を称える出迎えにございます!」
「まぁな、勝利が目の前にあったのは確かだが、お前が仕組んだのか?」
「いいえ、次席宿老、野田弘明様と宇都宮尚綱様が昨日、公方様と共に古河城に凱旋しました。紙一重の大激戦だったと知った領民、兵士達が熱烈に出迎えました。
我が領民、兵士達も同じ気持ちにございます!」
「ぶははは!野田弘明、宇都宮尚綱の二人が仕掛けたな?やるじゃないか!
事実を少し大袈裟にしやがったな?」
簗田高助は野田弘明、宇都宮尚綱が噂を流して事実を脚色して世論操作した事を見抜きました。
「殿、野田弘明様から知らせがございます!
本日、公方様が20000の軍勢を率いて岩槻城に向かわれました」
「何?勝手に軍勢を動かしただと?なぜだ?岩槻城で何するつもりだ?!」
「はい、岩槻太田領を接収するそうです。
この先、岩槻太田家は立花家に鞍替えする恐れがあり、やられる前に古河公方家に吸収するのだと申されました」
「太田資正が、再度立花家に寝返るだろうか?…んんん…有り得るぞ!
岩槻太田領は野田家、簗田家の領地に隣接しているから、立花家に鞍替えされたら、古河公方家の筆頭宿老と次席宿老の領地が危険地帯になるぞ!
仕方無い、許す!それにしても20000も集まったとは、凄いじゃないか?」
「はい、真言宗勢、慈恩殿の軍勢3000、曹洞宗勢、白蓮殿の軍勢3000も加わり、僧兵部隊の参加が多数を占めております」
「何?慈恩も白蓮も簗田一族なのに勝手に動いた?…二人が納得する理由があるはず…」
「殿、野田弘明殿から岩槻太田領を吸収した後、真言宗勢、曹洞宗勢に領地を与え、公方様は岩槻城に移り住む予定だと申されております」
「おぉ、そうか!それで慈恩と白蓮が納得して参加したのだな!」
「殿、立花家に対抗する為に仏教宗派の僧兵が兵力不足解消に役立ちました。誠に殿は慧眼にございます!」
「まぁな、元々簗田一族は武家以外に仏門に養子を出していたからな、次第に簗田一族の養子が各仏教宗派の主要な寺院の跡継ぎになり、仏教寺院各宗派の武力、財力は結集すれば大名並みの勢力になるのは解っていた。
そこで近年は積極的に仏教宗派の寺院へ多数の養子を送り込み、宗派を纏めて古河公方家に協力させる事になったのだ。
今回は戦いに敗れたが、仏教宗派の寺院には余力が有ると見ている。
暫くすれば兵力は回復出来る故、関東制覇の為に何度でも立花家と戦うぞ!」
「殿、公方様の支援に簗田家からも軍勢を出すべきと考え、宇佐美信厚と5000の軍勢に支度をさせております。
明朝なら出陣可能にございますが、如何いたしましょう?」
「流石簗田家の筆頭家老だな、それでは明日、宇佐美信厚を主将に春日部城方面を経由して公方様の軍勢に合流せよ!
伝令を春日部城に送り、軍勢を派遣すると公方様に繋ぎを取れ!」
「はい、手配致します!」
簗田高助は負傷して以来微熱が続き、疲れていました。しかし、久々に居城に戻ると高助の本妻、側室や重臣の面会が続き、夕刻には嫡男、簗田晴助の軍勢が到着すると出迎えの領民、兵士達が拍手と歓声を上げて出迎えました。
晴助も本隊の兵士達も戸惑いながらの入城になりました。
簗田親子が居城に戻りました。
古河公方家に敗戦した暗さはありません。
領内の民や兵士達の拍手と歓声に古河公方家の将兵が励まされました。




