1545年(天文15年)5月21日、古河公方軍、宮代城到着!岩槻公方家創設構想始動!!
足利晴氏の軍勢は宮代城から岩槻太田領内を狙います。
岩槻太田家の軍勢は領内南方の東浦和城に在り、晴氏の軍勢の動きを知りません。
1545年(天文15年)5月21日
足利晴氏の軍勢は順調に南へ進み、夕刻までに20000の全軍が宮代城周辺に到着しました。宮代城の南西に蓮田城、南東に春日部城と味方の城が近くに存在しており、補給の心配無く、明日は岩槻城に乗り込みます。
宮代城には既に20000の軍勢の10日分の兵糧が集められ、更に追加の補給予定が組まれています。明日からの行動に補給の心配はありません。兵糧輸送を手配した古河公方家、次席宿老、野田弘明の財力と輸送能力が発揮されました。
野田弘明は配下に調べさせた岩槻太田家領内の情報を把握すると宇都宮尚綱を呼び出しました。
「尚綱殿、岩槻太田家の領内を調べました。
太田資正の軍勢は東浦和城にて立花軍と終戦交渉中にあり、岩槻城と隣接する城は兵力200程度の守備兵しかおりません。
明日は足利家の軍旗を先頭に掲げて援軍と称して岩槻城を制圧します。さらに東大宮城、東岩槻城を確保して待機します!」
「いよいよですね。野田殿、公方様は家督を嫡男、政孝様に譲り、岩槻公方家の創設を考えておられます」
「尚綱殿、先ほど公方様から聞かされました。公方様は貴殿を宿老にしたいが、大名故に宿老になれぬ、宿老相当の役職を与えて岩槻公方家に加わる方法を尋ねられました。
方法なら有りますぞ!
古河公方家から派遣される駐留軍の主将、または総大将の名目で岩槻公方家の相談役に迎えるなら簗田殿も認めるでしょう」
「駐留軍主将!?それは名案です!
野田殿に感謝致します!」
「尚綱殿、公方様の信頼厚い貴殿が必要なのです!下野国から宇都宮家が参加すれば同じく下野国から小山家、那須家も駐留軍に参加する事になります。
宇都宮家は下野国筆頭の大名家、つまり駐留軍総大将は宇都宮尚綱殿、貴殿の役目になります!実現すれば岩槻公方家の戦力は高まり、古河公方家を守る城壁になります!」
「野田殿!胸の鼓動が高まります!
いよいよ明日からですね!」
野田弘明、宇都宮尚綱二人の会談は岩槻公方家創設へ熱い話しが続きました。
一方、岩槻太田領と立花家の国境では東浦和城に太田資正の軍勢10000が集結、その周囲に立花家、江戸太田家、世田谷吉良家の軍勢17000が周囲の城に分散して包囲する形で停戦を迎えました。終戦交渉の為に派遣された佐伯勝長の軍勢10000が20日に蕨城に到着、本日21日から終戦交渉が始まり、国境の取り決めや捕虜交換の交渉が行われ、大筋で合意、明日の22日に捕虜を交換して、立花軍は23日退去する事が確定しました。
岩槻太田家、太田資正の軍勢は古河公方家の僧兵の支援を受けて立花家、江戸太田家の領内に侵攻しつ七つの城を攻略しましたが、立花義秀の軍勢が現れて那須勢、佐野勢の僧兵16000を壊滅させた事から形勢逆転、立花義秀の軍勢は柏、鎌ヶ谷方面に去りましたが、立花家の軍勢は全てを奪還して、岩槻太田領の南大宮城、道庭城の二つを奪い、東浦和城を巡り戦いの最中に停戦を迎え、終戦に至りました。
─立花家、蕨城─
─佐伯勝長、大石定久─
「大石殿(滝山大石家、先代当主)、岩槻太田家との戦いがやっと終わりました。
ご協力に感謝致します」
「いや、立花義秀殿と貴殿の軍勢が那須勢、佐野勢の僧兵
を粉砕したお陰で負けずに済みました。お二人は柏、鎌ヶ谷方面に向かわれ、古河公方家との主力決戦に勝利されました。何より貴殿が古河公方、足利晴氏殿を生け捕りに成された大手柄との事、お祝い申し上げます!」
「あの時は松千代様に生け捕りを勧められ、運良く捕らえたに過ぎません。
功績よりも、公方殺しの汚名を避けられて安堵しています」
「それは宜しい事、松千代様には度々驚かされますなぁ」
「はい、松千代様が元服なさる頃には立花家は関東を制覇してるかもしれません」
「それは充分に期待出来ます!
長生きせねば、我が身は55歳になりました。関東制覇するまでは長生き致しましょう」
「はい、関東を制覇したら、武田家、北条家を従えて上洛も夢ではありませんぞ!」
「それは素晴らしい夢にございます!
では上洛するまで長生き致しましょう!」
足利晴氏の軍勢は岩槻城制圧の準備を進めます。太田資正はその事を知らず、時間が経過します。