1546年(天文15年)5月15日、高柳ケ原の戦い!古河公方軍の勝利?立花義國らの消息は?
古河公方家、立花家の主力同士の戦いは日没になりました。
立花義秀の元に集まる情報はあまり良い物ではありません。
1546年(天文15年)5月15日
─大堀川、立花義秀陣営─
日没後2時間、主戦場、高柳城から北東9キロ、立花義秀の大堀川陣営には未だ佐伯勢、鹿島勢が戻りません。
陣営の周りは篝火、松明、焚火の灯りが道筋を照らしています。
松千代と義秀が気にしていた高柳城周辺、高柳ケ原の主力同士の決戦情報が入りました。
立花義國が率いる主力29000の軍勢は簗田高助率いる古河公方軍に対して優位に戦いを進め、退却する敵を追撃した事が判明しましたが、勝利したなら義國から勝利の知らせがあるはずです。
陣営の南、7キロ先の小金城からも主力戦場で立花軍が優位なまま追撃した事、その後の続報が無い事が判明しました。
「不味いぞ…義國も追撃中に反撃を喰らったのかもしれぬ…」
やがて、陣営が騒がしくなりました。
佐伯勢の一部が帰還を果たし、陣営に繋がる東の道筋に次々に軍勢が戻る姿が見受けられます。
さらに暫く後に東南の道筋から鹿島勢が次々に戻り始めました。
陣営に戻って来た兵士には直ぐに夕食にお粥が配られ、負傷者には手当てを施しました。
次々に帰還した兵士達の証言から、戦いの様子が判明しました。
佐伯勢は大堀川陣地を攻略すると曹洞宗勢の追撃を開始、東へ逃げる曹洞宗は3キロ先にある高田城へ逃げ込みを図りました。
追撃に夢中になった佐伯勢は法衣の伏兵に奇襲を受け、曹洞宗勢が反転して形勢逆転となり、包囲されてしまいました。
しかし、鹿島政家の騎馬隊と藤原家長の援軍が間に合い、救出されて帰還に至りました。
次に、鹿島政家の嫡男、鹿島政勝の軍勢は大堀川陣地を攻略すると敗走する瀬能勢を東南方面に追撃しました。
追撃中に法衣の伏兵に奇襲を受け、反転した瀬能勢に包囲されていた処、瀬沼信勝の援軍に救われて帰還に至る事が判明しました。
伏兵は法衣を着た僧兵であり、古河公方軍に新たな仏教宗派の援軍が到着した可能性が高まりました。
佐伯勢と鹿島勢の兵士達は次々に戻り、陣営に活気が戻りました。
そこに急報が入りました。
陣営の南7キロ先の小金城からは昼過ぎに出撃した畠山勢13000が敵の軍勢を追撃中に反撃を受けたと知らせが入りました。
小金城から松明を用意した捜索部隊が逃げて来た兵士から事情を聞いて判明しました。
更に高柳城に近い佐津間城主、佐津間紀勝から知らせが入りました。
敗走してきた味方の兵士を収容中との知らせが入りました。畠山勢、本多勢、義國勢の兵士達を収容中との知らせです。
義秀は伝令を呼び出し、詳細を聞きました。
「大殿様!夕刻、我が城から東に1里半(6キロ)の小野田城ですが、立花義弘(義秀の次男)様の手勢が攻略なされました。
さらに、我が佐津間城の隣の藤ケ谷城を立花将広様の軍勢が攻略なされました。
そこまでは順調でございました。
しかし、高柳ケ原一帯で簗田高助率いる軍勢と立花義國様の軍勢が戦い、後退する敵を追撃中に逆襲を受けて包囲されてしまいました!
我が主人は松明と篝火を闇に照らして敵の支配地域から味方の兵士達を収容しておりますが、立花義國様、本多広家殿、畠山忠國殿の消息は掴めておりません!」
「わかった!手数を掛けて済まぬ!
宜しく頼むと佐津間紀勝殿に伝えてくれ!」
「ははっ!」
伝令の使者は頭を下げるとその場から去りました。
「俺が陣営から離れて花輪城の松千代を救いに出た判断が間違いだったか?…他の武将を花輪城の救出に行かせれば佐伯勢も鹿島勢も逆襲されずに済んだかもしれぬ…
日没前に義國と連携出来たかもしれぬ…」
自責の念が立花義秀の頭から離れませんでした。
松千代が義秀の側に寄り添い呟きます。
「お爺、夢でね、不動明王様と一緒に将広爺(立花将広)に頼んだから、父上はきっと大丈夫だよ…」
陣営の中は慌ただしく、義秀は松千代に笑みを見せました。
高柳ケ原の戦いは簗田高助の仕掛けが炸裂した模様です。
立花義國と将兵達の運命は?




