1546年(天文15年)5月13日、釣り野伏せ失敗!
立花義國は簗田高助との決戦に釣り野伏せを仕掛けるつもりです。
古河公方軍は過去に大なり小なり、釣り野伏せに引っ掛かり大敗しています。
簗田高助は釣り野伏せ対策を用意していました。
1546年(天文15年)5月13日
簗田高助が指揮する古河公方軍は四つに別れ、小金城方面に15000、鎌ヶ谷城西部へ10000、鎌ヶ谷城東部へ17000が進撃、簗田高助の本隊は佐津間城を3000の兵力で囲み、残る11000を率いて佐津間城の南に進出しました。
簗田高助の目の前、4キロ先に鎌ヶ谷城の本丸が見えています。
古河公方家の軍旗を風に靡かせて鎌ヶ谷城の立花家の軍勢に威圧を与えます。
更に南へ移動、鎌ヶ谷城の北1キロの地点に11000の本隊を展開しました。
鎌ヶ谷城の西側へ向かった野田勢10000は立花家の軍勢、福島勢4000、本多勢5000と対峙しました。
福島勢と本多勢は鎌ヶ谷城の西南に広がり、陣地前には幅5メートルの馬防柵を不規則に並べ、その内側に高さ120センチ、横240センチの竹柵を不規則に並べ、守りに徹する陣形を構えています。
馬防柵が不規則に並ぶ為、攻め手の野田勢は隊列を乱して前進します。
盾兵を前に並べて前進しますが、福島勢、本多勢は徹底して弓矢の連射を浴びせます。
野田勢は邪魔な馬防柵の破壊に挑みますが、逆茂木と組み合わせた頑丈な馬防柵は蒼龍部隊の金棒や棍棒を使っても破壊に時間が掛かりました。
仕方無く、野田勢は馬防柵の隙間から前進しますが、弓矢の集中連射を浴びて、盾兵すら広範囲の角度から集まる射撃の餌食になり、多数の死傷者が発生しました。
馬防柵の隙間から抜けて先に進んだ野田勢は陣地内部の竹柵が不規則に並んだ場所に入りました。竹柵には3本の竹槍が突き出ています。隊列が乱れながら前進する彼らに弓矢の連射が雨の如く降り注ぎます。
野田勢は大いに苦戦する事になりました。
福島勢と本多勢の陣地は東西北を馬防柵と竹柵に守られています。
野田勢は南側に馬防柵の備えが無い事を知ると3000の兵力を南側へ廻しました。
南へ廻した野田勢3000は本多広家が率いる騎馬隊1500騎が迎撃します。
騎馬隊の兵士は50メートルの距離に接近すると走りながら射撃します。
野田勢の兵士の手前30メートルまで接近、移動しながら弓矢の連射で野田勢に死傷者が続出しました。
騎馬隊の兵士達は背中に10本入りの矢筒を持ちます。そして馬の左右に10本ずつ20本の矢を矢筒を入れています。
25本を放つと戦場から離脱して補給の為に後方に下がります。
安全確保の為、矢を5本残して後方に走り、補給を受けると前線に戻ります。
野田勢は騎馬隊の射撃に苦戦が続きました。
鎌ヶ谷城の東から古河公方軍、真言宗勢12000と宇佐美勢5000が進出します。
これに対して立花義國は鎌ヶ谷城の北側に配置していた高城勢2000を鎌ヶ谷城の東に後退させました。
鎌ヶ谷城から4キロ東の八木ヶ谷城に立花義弘の8000の軍勢を配置すると、旗本の軍勢から5000を割いて山口頼継に軍勢を託し、立花義弘の軍勢の右翼側に配置します。
義國の旗本の軍勢5000は鎌ヶ谷城の南の丘陵に設置した本陣に有り、全軍を指揮します。
鎌ヶ谷城の東から真言宗勢、宇佐美勢17000が進出、立花義弘、山口頼継の軍勢13000が迎え撃つ態勢になりました。
─鎌ヶ谷城外、立花義國本陣─
─立花義國、東郷信久─
本陣の卓上に周囲の地図を広げ、城の配置と軍勢の配置を確認しています。
「信久、古河公方軍の兵力は56000、こちらは城の守備兵を除き、戦力として動かせるのは43000、兵力差と配置の関係から、古河公方軍は自分達が優勢と信じて攻めるに違いない。
釣り野伏せに引き込んで包囲するぞ!」
「若殿、簗田高助も用心しておりましょう。
想定通りになるとは限りません。
釣り野伏せは失敗すれば大敗する危険と背中合わせでございます。
我らの配置は南側が弱点にございます。
南へ監視部隊を配置しておきましょう。
さらに本陣の騎馬隊1500を南からの備えにすれば、幾分か安全が確保されます。」
「わかった!信久、監視部隊と騎馬隊の配置を頼む!」
やがて、鎌ヶ谷城の東、八木ヶ谷城方面に真言宗勢、宇佐美勢の17000が攻撃を開始しました。
八木ヶ谷城周辺の丘陵地帯に展開する立花義弘、鹿島政勝の13000の軍勢が待ち構えます。
八木ヶ谷城周辺に繋がる道は細く、回りには田畑と雑木林が囲んでいます。
大軍同士が決戦する広場は無く、1000から2000の軍勢が闘える場所が散在しています。待ち構える立花軍が有利な地形に布陣しており、真言宗勢、宇佐美勢は盾を前に進みますが、弓矢の連射を浴びて苦戦します。
立花家の軍勢は敵の進路を妨げる為、八木ヶ谷城周辺の道を簡易な竹柵で塞ぎ、道の真ん中に1メートルほどの高さの竹を数本不規則に差しています。
竹柵を破壊する兵士には立花軍の弓矢の連射が集中します。竹柵を突破しても道には不規則に刺さる竹を避けながら進む為、古河公方軍側の隊列が乱れます。
その軍勢の最前列に多数の弓矢が集中します。崩れた軍勢に雑木林、民家の影から弓矢を放ち、長槍部隊を突入させると頭や肩を叩き、打撃を与えると直ぐに退却します。
寄せ手の古河公方軍は最前列が被害を受けながら、少しずつ八木ヶ谷城に迫りました。
─八木ヶ谷城付近─
─立花義弘、伊集院忠久─
「忠久、そろそろ良いだろう、八木ヶ谷城に適度に戦ったら西門から待避するように伝令を頼む!」
「はい、手配致します」
伊集院忠久から指示を受けた伝令が馬を飛ばして八木ヶ谷城に向かいました。
やがて、真言宗勢、宇佐美勢は防衛網を突破して八木ヶ谷城の東門に攻勢を掛けました。
一度、二度、撃退した後、三度目の攻撃が始まる前に東門から兵力を引き上げ、西門から城兵の待避が始まりました。
八木ヶ谷城の東門から真言宗勢、宇佐美勢が三度目の攻撃で門扉が突破され、城内が次々に制圧されました。
「エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!」
真言宗勢と宇佐美勢の兵士達が本丸を制圧して勝鬨の声を上げました。
立花義弘の軍勢と山口頼継の軍勢は八木ヶ谷城の西側へ後退して八木ヶ谷城から待避する城兵300を収容しました。
真言宗勢と宇佐美勢は追撃を開始します。
立花義弘と山口頼継の軍勢は予定通り、後退します。
八木ヶ谷城の西へ1キロ下がった地点で反転して真言宗勢と宇佐美勢を包囲するする計画でした。
しかし、事態は急変します。
真言宗勢の主将、慈恩と副将、慈玄兄弟は古河公方家の筆頭宿老、簗田高助の従兄弟です。簗田高助から釣り野伏せに注意して相手の後方に予備兵力で奇襲する策を授けていました。
慈恩は副将の弟、慈玄に5000の兵力を預け、南へ大回りして敵の警戒網の圏外から接近するように命じました。
慈玄が率いる奇襲部隊5000は地元に詳しい案内人の誘導で立花義弘、山口頼継の軍勢の背後に迂回しました。
斥候部隊から鹿島勢の所在地が判明したと連絡がありました。
慈玄は軍勢を急行させます。
山口頼継の軍勢の近くに必ず、立花義弘の軍勢も居るはずです。
慈玄の軍勢5000は山口勢に接近すると周辺の道筋に別れて背後から迫りました。
山口頼継の軍勢は背後から迫る慈玄の軍勢が後方200メートルに迫るまで気が付きませんでした。
「背後から敵襲!敵に備えろー!」
警備兵が叫んで知らせます。
警備兵が鏑矢を空に放ち、音を発して味方に危機を伝えました。
「うぉーぉー!」
わぁーぁー!」
慈玄が率いる僧兵部隊5000は奇襲に成功しました。
「不味いぞ!背後を取られた!
慌てるな!背後を固めろ!
伝令!義弘様に伝えろ!
奇襲された!僧兵部隊に注意されたし!
以上を伝えろ!」
山口頼継は次々に指示を出します。
「弓兵は集まれ!矢筒を集めろ!密集射撃で敵を近付けるな!
騎兵は敵の脇から連射して援護しろ!
長槍部隊は弓兵を守れ!
引かずに耐えろ!」
さらに指示を続けます。
しかし、八木ヶ谷城方面からも敵の追撃を受けています。山口勢は大きな試練に直面しました。
立花義弘の軍勢の近くに大きな軍勢の歓声が聞こえました。
間も無く山口頼継の伝令から僧兵部隊の奇襲を受けていると知らせが入りました。
─立花義弘、伊集院忠久─
「忠久!頼継が危ない!
やられた!背後から、釣り野伏せの逆手を取られた!助けなければならん!
誰ぞ援護に行ける者は居ないか?」
「若君、我が弟、義久に行かせます!」
「わかった!伊集院義久に1000を預ける!
山口勢を救って参れ!」
側に控えていた義久が一礼しました。
「若殿、行って参ります!」
伊集院義久が1000を率いて急行しました。
「伝令!兄、義國へ伝えよ!
背後から数千の僧兵部隊から奇襲された!
援護は無用!以上、伝えて参れ!」
伝令が飛び出して馬に乗りました。
周りの将兵に立花義弘の覚悟を示しました。
その時、八木ヶ谷城からの追撃が激しくなり、偽装後退を続けてきた先鋒部隊が苦戦してる事が判明します。
立花義弘の軍勢にも危機が迫りました。
簗田高助の釣り野伏せ対策が発動しました。
釣り野伏せの餌食になるはずの真言宗勢、宇佐美勢に逆手を取られ、立花義弘、山口頼継の軍勢が危機を迎えました。
果たして戦いはどうなるのでしょうか?




