1546年(天文15年)5月12日、佐津間城攻防戦!
古河公方家の軍勢が佐津間城に迫ります。
高城義春は志願して佐津間城に入りました。
恩人、佐伯広孝を偲び、生命を賭けて戦います。
1546年(天文15年)5月12日
簗田高助が率いる佐津間城攻略部隊は野田勢5000が佐津間城の西側に廻り、簗田高助の軍勢5000は北から接近、綾部勢4000は東側から佐津間城に進みました。
佐津間城内には領主、高城義春が援軍に入り、城兵の士気は極めて高くなりました。
高城義春は兵士達に呼び掛けます。
「これより、我らは古河公方家の軍勢と正義の戦いが始まる!2年前に我が高城家は戦に敗れ、廃絶の危機に立花家に救われ、大名家として処遇される栄誉を頂いた!
その時から2年間、高城家は立花家と佐伯広孝殿と8000の駐留軍兵士に守り、育てて戴いた!
今こそ、先日亡くなられた佐伯広孝殿のご恩に報いる時が来たぞ!
掛け声を上げろ!天の佐伯殿に届けろ!」
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
兵士達が声を合わせて叫び、佐津間城内の士気が大いに高まりました。
やがて、西、北、東から古河公方家の軍勢が接近します。
西から接近する野田勢5000に対して佐津間城の西南に福島勢4000が布陣しています。福島勢は南へ少しずつ下がりながら野田勢を引き付け、一進一退の戦いが始まりました。
佐津間城の東から迫る綾部勢4000には東南に布陣する、山口勢の騎馬隊2000が馬上から弓矢の連射で動きを封じます。
綾部勢は2倍の兵力を持ちながら、30mから50m離れた位置からの射撃に苦しみました。
佐津間城の北側から簗田高助の本隊5000が北門に迫りました。
高城義春は北門に簗田高助の軍勢が来ると予測して待ち構えています。
北門前には互い違いに幅3mの馬防柵が並べられ、馬防柵には逆茂木が縄で固定している為、簡単に破壊出来ない強固な防御力を発揮します。
北門の廻りには三階階建ての矢倉が中央と左右に三棟設けられ、二階と三階から各々20名が射撃出来る設備がありました。
三棟で120名の射手が待ち構えます。
弓矢の連射で馬防柵近くに集まった簗田勢の兵士達は猛烈な連射を浴びて次々に倒れます。猛烈な射撃に一旦後方に引いた簗田勢は盾兵を前面に出して再度前進します。
高城義春は十分に引き付けるまで射撃を停止させて、北門の20m手前に接近するまで我慢させた時、一斉に射撃を許可しました。
二階建ての建物からの角度に盾は殆ど無力になりました。射撃の対象になった兵士達が次々に弓矢の連射に遭遇します。
北門の辺りには死傷者が続出、簗田勢は再度撤収しました。
簗田高助は伝令を真言宗勢の元に派遣しました。簗田高助は真言宗勢の僧兵部隊から混紡、金棒を主力武器とする蒼龍部隊1000を呼び寄せました。
盾兵を前に弓矢の連射を防ぎ、蒼龍部隊は交代しながら馬防柵をひとつずつ破壊する作業を始めました。
地味な作業で時間が掛かりますが、北門前に備えられた馬防柵は次々に破壊され、北門前の馬防柵は全て排除されました。
蒼龍部隊を先頭に北門に門扉を破壊する丸太が用意されました。
直径30cm、長さ3mの丸太に縄の取っ手を取り付けて10名で門扉に打撃して破壊します。蒼龍部隊の鎧は重厚で城兵の弓矢を弾き、激しい弓矢の雨を突破して門扉に迫ります。
「撒菱を放てー!」
高城義春が叫び、奇抜な策で迎え撃ちます。
北門前の矢倉から地面に数百の撒菱を放つと丸太を抱えた蒼龍部隊の足裏に尖った金属の先端が刺さり、門扉の前で丸太を手放してしまいました。
倒れると撒菱が刺さり、更なる激痛に悶絶します。
「撒菱を広範囲に放てー!」
高城義春は更に手厳しく寄せ手を苦しめます。撒菱がさらに広範囲に放たれました。
倒れた兵士を助けに来た兵士も撒菱を踏みつけて身動きが取れなくなります。
「石礫を放てー!」
高城義春は人の頭程の石や岩を投下させました。日頃から近くを流れる大津川や、城内から集められた石礫は大量に用意されています。矢倉の二階や三階から投下された石礫は一撃で十分な殺傷力がありました。
北門前に倒れた兵士や、助けに向かった簗田勢や、蒼龍部隊に北門の防御力が堅固な事をを知らしめました。
簗田高助は北門の突破を断念、軍勢を東に向かわせました。
移動する簗田勢を眺める高城義春は勝鬨を上げさせました。
「エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!」
北門に迫った簗田勢を撃退した事実は直ちに城内や、周辺の部隊に知らされました。
佐津間城に領主、高城義春が乗り込み、城内の士気が極めて高くなりました。
北門の守備力の高さに簗田勢が圧倒されましたが、簗田高助は簡単には諦めません。
果たして佐津間城を守りきれるのでしょうか?




