1546年(天文15年)5月12日、古河公方軍、佐津間城攻略へ!
下総国、柏方面の戦場に立花義秀の本隊の軍勢が近付きつつあります。
簗田高助は明日の決戦前に邪魔になる佐津間城の攻略を目指して行動を開始します。
1546年(天文15年)5月12日
午前9時頃、古河公方軍の柏城本陣に急報が入ります。
荒川沿いの千住、堀切周辺から立花家の援軍20000程の軍勢が渡河中と知らせが、入りました。
─古河公方家、柏城本陣─
─足利晴氏、簗田高助─
「高助?立花義秀の軍勢は岩槻太田領を攻めるつもりなのか?
それとも江戸川を渡り松戸湊、国府台湊から柏方面に来るつもりだろうか?」
「公方様、花畑城から岩槻太田勢の本陣、鳩ヶ谷城まで2里(8キロ)程です。
この状況で太田資正が決戦するには兵力が足りません。12000の兵力で、20000余りの立花義秀の軍勢に立ち向かう勇気は無いと思われます。
鳩ヶ谷にとどまり、立花義秀の軍勢が立ち去るのを待つか?鳩ヶ谷城から退避すると思われます」
「岩槻太田家は頼り無いじゃないか?
それで、立花義秀の狙いは何処だ?」
「公方様、深井湊へ上陸を予定している佐野勢と那須勢が狙われるのが最も恐れる事でございます。しかし、国境の花畑城から深井湊
付近まで3里強(14キロ)、我が軍勢の支配地域に深く入って来るとは思えず、岩槻太田家の軍勢を牽制するのが狙いと思われます。
立花義秀の軍勢は松戸湊、国府台湊から江戸川を渡るはず、夕刻には全軍上陸、明日は決戦になります。
そこで、明日の決戦に目障りな佐津間城を攻略します」
「おぉ、佐津間城が手に入れば明日の決戦は鎌ヶ谷城が中心だな」
「はい、公方様は本陣にて吉報をお待ちください。これより、佐津間城攻略に行って参ります」
簗田高助は手勢を率いて佐津間城攻略に向かいました。
佐津間城は大軍同士の決戦する場合、是非とも確保したい要地にありました。
立花義國の本陣、鎌ヶ谷城の北3キロにある小高い山に築かれた堅城です。
船取街道を抑え、鎌ヶ谷城の北側を守る要所に存在します。
簗田高助は主的目標、佐津間城を攻撃しながら、鎌ヶ谷城の東部へ牽制する軍勢と鎌ヶ谷城の西部、小金城に軍勢を配置して立花義國の軍勢に的を絞らせない策を進めました。
─古河公方家─
─佐津間城攻撃部隊14000─
簗田高助5000
野田弘明5000
綾部義長4000
─古河公方家─
─小金城牽制部隊20000─
瀬能英孝4000
曹洞宗勢7000
宇都宮尚綱9000
─古河公方家─
─鎌ヶ谷城東部牽制部隊17000─
宇佐美信厚5000
真言宗勢12000
─高城領、佐津間城守備隊5000─
城主、佐津間紀勝1000
福島正義4000
─高城領、鎌ヶ谷城方面部隊20000─
立花義國10000
立花義弘8000
高城義春2000
─高城領、小金城守備隊19000─
城主、高城義明1000
畠山忠國8000
本多広家5000
加賀美利久5000
─高城領、鎌ヶ谷城、立花義國本陣─
午前9時頃、松戸湊から義國宛てに連絡が入りました。立花義秀の軍勢24000は千住、鐘ヶ淵方面から荒川を渡河、岩槻太田勢と江戸川沿いの敵地を牽制した後に松戸湊へ向かうとの知らせが入りました。
─立花義國、東郷信久─
「若殿、義秀様の軍勢は江戸城の東側に向かわず、北側から荒川を渡りました。
きっと敵の意表を突く事を為されましょう。
おそらく松戸湊、国府台湊へ渡るのは明日になります。
そのつもりで本日の行動を定める必要がございます」
「そうだな、父上なら意表を突く事もあるだろう。こちらも何かやらねばならぬ。
簗田高助は佐津間城が邪魔だろう。
敵の支配地域に最も近く、高柳城、藤ケ谷城、小野田城に脅かされる位置にあり、必ず奪いに来るに違いない、適度に戦い、餌撒きに譲ってやるのも良いかもしれん。
明日は鎌ケ谷城の南奥深くまで引き込み、釣り野伏せを仕掛けるのも良かろう。
高城義春殿を呼んでくれ!
佐津間城の扱いを相談せねばなるまい」
「はい、承知致しました」
佐津間城は高城家の譜代の家臣、佐津間一族の名を冠した城です。
相馬氏が創建、相馬一族がこの地にて佐津間氏を名乗り代々高城家に仕えています。
作戦遂行の為には高城家、佐津間一族の協力が必須になります。
鎌ヶ谷城の本陣に呼ばれた高城義春は義國から鎌ヶ谷城周辺の地図と軍勢の配置を見せられ、佐津間城の危機的状況を説明されました。高城義春は義國の考えを察知して申し入れます。
「義國様、2年前、高城家は滅びるべき処を立花家に救われました。亡き本多広孝殿にはお世話になり、恩を返す間も無くお別れになりました。つきましてはお願いがございます!最も危うき城なら、この高城義春が佐津間城に向かいます!我が手勢2000が佐津間城に籠城いたします!
是非にお許しを頂きたく、お願い申し上げます!」
頭を畳に付けて平伏する高城義春に隙を突かれ、義國は慌てて側に控える東郷信久を見ると諦めなされ、と言いたげな目を向けています。
「わかりました。高城殿、佐津間城を託します。立花家は後詰めに福島正義の4000とさらに山口頼継の2000を加えて後詰め致しましょう。佐津間城は9000の兵力で古河公方軍を迎え撃ちます!」
高城義春の機転で高城義春は面目を保ち、立花義國も援軍の主将として責任と面目を保つ事になりました。
午前10時過ぎ、簗田高助が率いる古河公方軍が始動します。
立花義國指揮下の軍勢も移動を開始しました。
佐津間城の周辺が慌ただしくなりました。
古河公方家と立花家の戦いは流動的な要因に導かれて始まりました。




