1546年(天文15年)5月12日、深井湊、上陸攻防戦!
古河公方軍が優勢の状況が続いていましたが、
立花義秀の本隊が荒川を越えて反撃を開始します。今後の戦局を左右する深井湊を巡る戦いが始まります。
1546年(天文15年)5月12日
─江戸太田領、松戸湊─
古河公方家の支配地域に動きがありました。
八潮城から佐野泰綱の僧兵部隊が深井湊方面に出発、更に三郷城の那須政資の僧兵部隊も深井湊方面に出発した事が判明しました。
江戸川を渡船で渡り、利根運河の深井湊に上陸して柏方面の古河公方軍本隊に合流するのが目的です。
早朝から松戸湊の水軍は、立花義秀の本隊が江戸川を渡る際に警護する為、出撃準備に取り掛かりました。
前日に弓矢、鉤縄、石礫等は積込済みです。
飲料水と火薬玉を積込み、出撃命令を待ちました。
前日は八潮城の佐野勢と三郷城の僧兵部隊が江戸川を渡り、深井湊から上陸する恐れがある為、出撃する準備を済ませて待機していました。しかし、敵は出撃せず、す本日早朝、深井湊へ向かいました。
1日違いで立花義秀の本隊が松戸湊、国府台湊から渡河する日程と重なりました。
立花義秀の本隊が江戸川を渡る警護が優先します。しかし、午後 13時頃、松戸湊、水軍統領、瀧川道玄に立花義秀の急使が訪ねて来ました。
義秀の本隊は深井湊に向かった佐野勢、那須勢を追撃する為、水軍は江戸川を渡る敵船を妨害する事を命じられました。同時に簗田水軍を撃破する任務を命じました。
「殿から深井湊へ出撃命令だ!
目的は渡船の妨害と簗田水軍の撃破だ!」
水軍統領、瀧川道玄が叫びました。
水軍の兵士達に命令が届き、出撃の太鼓が鳴り響きます。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
兵士達が気合いを高める為に叫びます。
松戸湊の護衛の兵士や、湊の民が歓声をあげて見送ります。
「頼むぞー!」
「頑張れー!」
民衆も兵士達と一緒に叫びます。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
兵士と民衆が声を合わせて叫びます。
水軍の兵士達は大きな声援を受けて出撃しました。
江戸川の流れは緩く立花水軍の船は帆を掲げ、漕手が速度を上げて北へ向かいました。
小型船18隻、中型船16隻、大型船4隻、合計38隻が約14キロ上流に向かいます。
南東の風が味方になり加速され、目的の深井湊付近におよそ1時間で接近しました。
江戸川の西側の河川敷に多数の軍勢が見えて来ました。
小型船23隻、中型船14隻、大型船4隻、合計38隻が定員になり次第出発しています。常設の渡船場と異なり、仮設の設備には限界がありました。桟橋は小型船用、中型船用、大型船用に用意しなければなりません。
桟橋が足りず、河川敷には乗船待ちの兵士が並び、江戸川の水上に順番待ちの空船が桟橋が空くまで待機してる状況です。
混乱する状況に簗田水軍は小型船10隻、中型船5隻が岸辺から直接兵士を乗せて渡河に協力していました。
早朝に八潮城から3里(12キロ)、三郷城から2里(8キロ)、行軍して辿り着いた先で僧兵達は4時間から5時間も待たされ、時刻は午後14時を過ぎています。
渡河する予定兵数14000、深井湊に上陸したのは6000程で、まだ8000の僧兵が順番を待たされていました。
兵士達は出発時に携行食を与えられましが、少量の戦闘食では空腹の状態です。万が一に備え、乗船の順番が近い軍勢以外は戦闘態勢の布陣をしていましたが、長時間待たされ、地面に座り油断していました。
周囲を警戒する簗田水軍の船は小型船15隻、中型船6隻、立花水軍が午後になっても現れず、兵力のほぼ半数を輸送に割いていました。
立花水軍が先手を取ります。
「戦闘準備!簗田水軍は凡そ20隻!
包囲して潰せ!
潰し終わり次第、渡船を潰せ!」
立花水軍統領、瀧川道玄が叫びます。
─簗田水軍─
小型船15隻、中型船6隻
─立花水軍─
小型船18隻、中型船16隻、大型船4隻
立花水軍が兵力比率で3倍の兵力になりました。小型船同士は同等でも立花水軍が中型船が10隻多く、大型船を持たぬ簗田水軍は圧倒的に不利な状況です。
簗田水軍の統領、簗田義昌は立花水軍の来襲に集合の鐘を鳴らし、防御の陣形を組みました。油断していた為、半数の兵力で守るしかありません。
この辺りの川幅は200m、簗田水軍は桟橋より下流に進み、立花水軍から桟橋を守らなければなりません。
川幅を生かして包囲する立花水軍が風上から先に弓矢を放ちます。
簗田水軍は盾に身を隠して向かい風の弓の射程に入るまで耐えました。
射程に入るや弓矢を放ち抵抗します。河川敷から佐野勢、那須勢の兵士が弓矢を放ち援護しますが、立花水軍の船は盾に防御されており、効果はありません。
立花水軍は接近すると石礫を簗田水軍の船に投げつけ、盾を破壊します。弓矢の連射に火薬玉を投げ入れると簗田水軍に死傷者が続出、さらに立花水軍の大型船が体当りや接近して横波を浴びせて水没する船が続出します。大型船は鉤縄で船を引き寄せて火薬玉を投げ入れ、一方的な戦いになりました。
簗田水軍の船は散り散りに包囲されて沈没又は拿捕されました。
僅か40分程の戦いで簗田水軍を壊滅させた立花水軍は桟橋に残された渡船を包囲、更に水上を深井湊へ向かう渡船を次々に鉤縄を投げ入れて拿捕しました。
河川敷では僧兵達が何も出来ずに水上の戦いに気を取られて、川岸に集結しています。
周囲の警戒を忘れていました。
彼らの近くに立花家の軍勢が接近する事に気付かぬまま、その時が迫ります。
佐伯勝長は立花義秀から深井湊へ渡河する佐野勢、那須勢の攻撃命令を受けた時に、立花義秀の本隊と連携を考えて、敢えて速度を緩めて行軍しました。
万が一、苦戦した場合の安全を確保する為に危険回避を想定していました。
軈て立花軍、佐伯勝長の先鋒部隊、騎馬2000が深井湊へ向かう佐野勢、那須勢が集結している河川敷に接近します。
その後方から残りの軍勢8000が包囲する形で河川敷の僧兵達に接近しました。
河川敷に待機していた那須勢5000、佐野勢3000の僧兵部隊は佐伯勢の騎馬隊が移動しながら連射する弓矢を浴びて混乱します。離れた距離から放たれる弓矢から逃れるには地面に伏せるしかありません。
武士なら恥になりますが、僧兵の彼らは構わず地面に伏せて弓矢の連射に耐えました。
しかし、騎馬隊の後方から迫る佐伯勢の長槍隊と弓隊が彼らに迫ります。
恐怖で立ち上がり、防御態勢に構えた僧兵部隊に佐伯勢が長槍の密集部隊が襲います。
槍先を揃えて突き、更に頭上から叩く威力に圧倒されます。弓隊の連射と連携する佐伯勢に一方的に押されます、しかし、僧兵部隊の中で怖いもの知らずの棍棒と金棒を武器にする精強部隊が現れると僧兵部隊が立ち直り、落ち着きを取り戻しました。
彼らは体格が大きく、蒼龍部隊と呼ばれています。全身が重厚な鎧に守られ、弓矢の連射を弾き、刺さっても、肉体に届かぬ強度があります。100名ずつに部隊を編成し、密集して前進します。佐伯勢の長槍の密集や、弓矢の連射に怯まずに前進します。長槍を弾き、破壊します。蒼龍部隊が前列に現れると佐伯勢が押され始めました。
「なんだ、あの強さは!?
まともに戦わず引いて誘え!」
指揮官、佐伯勝長は敵の蒼龍部隊を引き込み、ゆっくり後退を命じました。
その他の僧兵部隊と引き離す事で蒼龍部隊以外の僧兵部隊を叩きます。
僧兵部隊の指揮官、佐野泰綱は蒼龍部隊の強さに自信を持ちました。
今、河川敷に残された佐野勢3000の中に蒼龍部隊は1000、彼らを前列に送り込み、反撃を開始します。
同時に僚友の那須政資に伝令を出して蒼龍部隊を前列に配置して戦う事を勧めました。
那須政資は佐野泰綱の伝令に応じて蒼龍部隊1500を前列に配置して佐伯勢に反撃を開始しました。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
佐野勢と那須勢が蒼龍部隊を前列に集め、気合いの声をあげて反撃します。
「無理せず、ゆっくり下がるぞ!
伝令だ!焦らず下がりながら土手に上がれ!
土手の上に上がり、有利な地形で戦え!」
伝令が馬を走らせ各部隊に命令を伝えました。間も無く後方から立花義秀の軍勢が到着します。佐伯勝長は無理せず、義秀の軍勢を待つ事で、損害を押さえる事にしました。
さらに水上の水軍統領、瀧川道玄に伝令を出して河川敷の敵勢に弓矢の長距離射撃を依頼しました。
伝令を受けた立花水軍統領、瀧川道玄は水上の戦闘を停止すると、小型船10隻、中型船10隻を集め、川岸から佐野勢と那須勢の背後を射撃を命じました。
彼らの弓の射程は通常の弓で200m、長弓を使用すると最大射程は400mに及びます。
瀧川道玄に命じられ、少し下流の風上から弓自慢の名手300名が長距離射撃を始めると
背後から多数の弓が風を切り裂く音と共に降り注ぎました。
ヒュン!ヒュン!シュッ!シュッ!
水平射撃、中空射撃、高空射撃の三種類が100筋ずつ、15秒間隔で射出します。
1分に1200筋の弓矢の雨が注ぎ、背後からの恐怖にさらされた僧兵達は隊列を崩し、
荒川上流方面に退避する兵士が続出します。
「止まれー!隊列を乱すなー!」
指揮官達の声も空しく、蒼龍部隊が作り出した好機を生かせぬ状況になりました。
その時、立花義秀の先鋒、騎馬隊2000が大地に響く音と共に現れました。
佐野勢の蒼龍部隊1000は義秀の騎馬隊に臆せず立ち向かいます。
弓矢の連射を弾き、怯まずに進みます。
その時、南から義秀の本隊8000が接近します。松千代が義秀に威嚇する事を提案します。
「お爺、エイ!トウ!エイ!の声で威嚇すれば敵は逃げるよ!」
「良し!掛け声をあげて脅してやれ!」
義秀の指示に次々と威嚇の声があがります。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
行軍する8000の軍勢が各々大空に向けて腹から声を出しました。
太鼓の音に大きな声が合致して周囲に響きます。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
佐伯勢も呼応して威嚇の声を響かせます。
凡そ20000の兵士の咆哮が響き、蒼龍部隊は孤立寸前の状態にありました。
やむ無く包囲される前に味方の軍勢に従い、江戸川上流に退避を始めました。
「お爺、気が向かないけど、背中を向けた敵の尻と足に弓を放てば負傷者たくさんになるから、敵の戦力を大きく削げるよ!」
「おぉー!松千代鋭いぞ!それだ!
政家!伝令だ!
敵の尻と足に弓矢を放て!
殺すな!生け捕りにしろ!」
はい!承知致しました!」
側に控える鹿島政家が伝令を出して全軍に通達しました。
背中を向けた敵勢を追撃する立花軍は徹底的に佐野勢、那須勢の尻と足に弓矢を集中しました。
蒼龍部隊の僧兵も重厚な鎧に守られていますが、尻には草摺が太股から尻の周囲を守りますが、足は機動性を優先する為、防御が少し薄くなっています。その他の僧兵の装備も同様です。佐野勢、那須勢は多数の負傷者が包囲されて捕虜になりました。
松千代が尻と足を狙わせたのは尻が目印になり、命中率を高める為です。
厳しい追撃の末、河川敷と水上の戦いに佐野勢の捕虜は800、那須勢の捕虜が2200、合計3000が捕虜になりました。
立花水軍は簗田水軍の小型船3隻、中型船1隻、小型渡船を6隻、中型渡船4隻、合計で14隻の拿捕に成功しています。
この日、深井湊に上陸予定の14000の内、上陸出来たのは佐野泰綱勢2000、那須政資勢4000、ほぼ60%を喪失する事態になりました。
─夕刻、立花義秀本陣─
─立花義秀、松千代─
「お爺、あのね、捕虜が多すぎるから逃がした方が良いよ、日没まで少し時間があるから、ここから一番近い岩槻太田家の松伏城へ逃がしてあげて!」
「なんだ?松千代?何か理由があるのか?」
「松伏城に着いたらね、戦場から離れたから、もう死にたく無いから家に帰りたくなるでしょ?」
「そうだな、武家と違うからな、里心が芽生えるだろうな?」
「それでね、松伏城を昼から攻撃するから、明日の昼までに離れろと伝えるとどーなる?」
「おぉ?それはなぁ、鳩ヶ谷城の太田資正に尾ひれが付いた噂が流れるだろうな?」
「お爺、当たり!すでに鳩ヶ谷城は東西南に立花家の軍勢が居るから更に怯えるよね、松伏城が落ちたら本拠地の岩槻城まで2里半(10キロ)しか無いから不安になるよね?
後はお爺が幾つかの噂を流せば、太田資正は鳩ヶ谷城から追い払えるよ」
「ぶはははは!凄いぞ!
松千代は俺の大事な軍師だぞ!
政家!聞いたな?手配を頼むぞ!」
「承知致しました!手配致します!」
傍らの宿老、鹿島政家は満面の笑みで答えました。
深井湊の戦いは立花水軍、佐伯勝長、立花義秀の連携の強さが勝利に繋がりました。
松千代も軍師の如く大いに貢献しました。




