1546年(天文15年)5月12日、松千代の夢に西新井大師の観音様が現れる!
立花義秀の率いる24000の軍勢は岩槻太田家の軍勢に圧力を与えながら進撃します。
1546年(天文15年)5月12日
立花義秀が率いる主力部隊24000は前日、5月11日早朝、房総半島の立花将広からの朗報を受けて、出発直前に緊急に作戦を練り直し、若干の変更を決めました。
戸田城救援に向かう青梅三田家、三田綱秀の軍勢5000は志木、朝霞、赤塚周辺の荒川を渡船で渡る予定でしたが、松千代が、川越城の東から入間川と荒川の合流点手前なら浅瀬から渡れると進言しました。
更に南に進み、南大宮城を包囲すれば岩槻太田家の進撃に楔を打ち込み、進撃を止められると提案しました。
松千代の大胆な提案に納得した立花義秀は予定変更を決めました。、青梅三田家の軍勢は5月11日、川越城付近に宿営、12日に入間川、荒川の合流地点の上流からなら渡船の必要がありません。渡河させて南大宮城を包囲する作戦に切り替えました。
岩槻太田家の軍勢を西から牽制する事になり、岩槻太田家の軍勢は戸田城、川口城の攻撃に集中出来なくなります。
滝山大石家、大石定久の5000は志木、朝霞、赤塚の3ヵ所から渡船を使い、荒川を渡らせて戸田城の援軍に向かわせます。
立花義秀の軍勢24000は前日の11日に府中を出発、夕刻迄に江戸城の北5キロの小石川周辺に宿営、早めの夕食を取り、早々に就寝すると、翌12日未明から移動を開始して、早朝、6時頃より千住、北千住、堀切、鐘ヶ淵の4ヶ所から渡船に分乗して荒川の渡河を始めました。
荒川の対岸には既に前日から世田谷吉良家の奥沢勢2000が周辺の警戒をしています。
立花義秀の軍勢24000は午後12時頃、渡河を完了すると花畑城周辺に集結しました。この地に一時的に滞在して周辺の情報を集める事と、休息するのが目的です。
対岸に先立って上陸した佐伯勝長の軍勢10000は八潮城方面に進み、江戸川から松戸に至る地域を支配地域として確保する為、広範囲に偵察部隊を出しました。
そして佐伯勝長から第一報が入りました。
八潮城は2日前に古河公方軍、佐野秀綱の僧兵部隊に攻略されましたが、佐伯勢が、八潮城に接近すると守備していた兵士300名は城を破棄して草加城方面に退却、八潮城は佐伯勢に接収され、佐野秀綱の軍勢5000は三郷城方面に移動した事が判明しました。
─江戸太田領、花畑城─
─立花義秀、鹿島政家─
周辺の地図を眺めながら情報を整理しています。地図には主要な城が書かれ、兵力と所属、指揮官の名前が記された用紙を配置して戦況把握して今後の方針を考えています。
「政家、松千代は川越城の東から入間川と荒川の合流手前なら渡船要らずで渡河出来るから三田綱秀殿の5000を南大宮城に向かわせれば、岩槻太田勢の勢いが止まると言い切ったが、凄い発想だな?」
「はい、盲点にございました。
岩槻太田家には大きな衝撃になりましょう。
今頃、三田家の軍勢は南大宮城を包囲している頃です。
戸田城には荒川を渡った滝山大石家の軍勢が加わり、8000の軍勢に守られています。三田勢を川越経由に回した恩恵で当初の予定より早く戸田城の援軍が到着しています。
我が立花家と同盟大名家の軍勢は荒川沿いに41000の大軍が集結しました。
今頃、太田資正は困り果てておりましょう。」
軈て八潮城方面に先行させた佐伯勢から第二報が届きました。
2日前に古河公方軍、那須勢に攻略された三郷城に接近すると那須勢の僧兵部隊は三郷城を破棄して北へ逃げた為、三郷城は接収しました。
佐野勢と那須勢は北へ移動して深井湊から江戸川を渡る予定だと判明しました。
佐伯勝長から更に北へ進み、深井湊周辺で渡河中の敵に攻撃する許可を申請して来ました。
「殿、三郷城から深井湊の辺り迄2里(8キロ)
です。簗田水軍がどれだけの渡船を持っているか不明ですが、推定14000の軍勢の大半がまだ、渡船の順番待ちの状態かと思われます。攻撃する絶好の機会です。
佐伯勢を先行させて、我が本隊も深井湊に進むべきです!」
「お爺ぃー!」
隣室で昼寝をしていた松千代がやって来ました。
「夢にね、西新井大師の観音様が来たんだよ!荒川を渡船で渡る古河公方軍が見えた!
深井湊に渡ってるのを観音様が空から案内してくれたんだよ!
河川敷にはまだ渡れぬ軍勢がたくさん居るから攻撃する絶好の機会だよ!」
「松千代?西新井大師の観音様が夢で教えてくれたのか?」
「お爺、西新井大師の本殿と敷地の設備を修理してくれたお礼に教えてくれたんだよ!」
「おぉー!西新井城を新設する時に地元の為にと、お大師様の大掛かりの修理を命じたんだった!返礼にご本尊の観音様が松千代を通じてお救いにいらっしゃった。
正義の天運は我らに有り!
松千代、深井湊方面に向かうぞ!」
松千代は地図を見ながら指で進路を示します。
「お爺。三郷城付近の佐伯勢10000は深井方面に進撃させる!
お爺の本隊14000は草加城付近に向かい、4000の兵士で草加城を攻撃する振りしたまま待機、お爺は残る本隊10000を率いて深井湊へ向かう!これで、岩槻太田家、太田資正の本隊7000は、東西南の三方向から囲まれ、怖くて鳩ヶ谷城の本陣から出られないよ!」
「ぶはははは!松千代!完璧だ!
政家はどうだ?」
「殿、文句無しの手順でございます。実際は東西南に配置された軍勢は21000ですが、太田資正には41000の大軍に包囲されたと思い込むでしょう。
岩槻太田家が支配地域を離れた我が本隊の動きを把握するのは困難です。見事な策でございます。」
「決まった!
佐伯勢に深井湊方面の攻撃を命ずる!
我が本隊は草加城経由で深井湊方面に向かう!草加城には押さえの兵力4000を配置する!以上だ!」
立花義秀の本隊が草加城経由で深井湊方面に向かいました。
草加城の押さえの4000の主将に鹿島政勝(筆頭宿老、鹿島政家嫡男)が配置されました。
草加城から太田資正の鳩ヶ谷城本陣まで5キロしかありません。
岩槻太田家の軍勢は東西南の三方面から包囲された形になり、心理的に追い込まれる状況になりました。
松千代の夢に現れた西新井大師の観音様に導かれ、新たな展開になりました。




