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戦国立花家三代、新日本国戦記、大國魂神社の大神様に捧ぐ!織田信長を倒して全国統一を目指します!  作者: 近衛政宗


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1546年(天文15年)5月11日、岩槻す太田家、太田資正、戸田城、川口城攻略へ!

岩槻太田家当主、太田資正は立花家、江戸太田家に奪われた城を次々奪還しました。

さらに荒川沿いの戸田城、川口城攻略に向かいます。

1546年(天文15年)5月11日


蕨城を攻略した岩槻太田家、河野秀康の軍勢5000は戸田城を目指しました。

その頃、立花家、諏訪頼宗勢3000の援軍が赤塚城から出発、渡船で荒川を渡り、先鋒部隊が戸田城に向かっていました。

戸田城には城主渋川義則と城兵400が守りを固めています。2キロ北の蕨城が落ちたと聞いて緊張が高まります。

そこに、援軍の諏訪勢の先鋒部隊1000が到着、その後に到着した岩槻太田家、河野勢との戦いになりました。諏訪勢の残りの部隊2000は荒川を渡船で移動中です。



河野勢は荒川を渡河中の援軍部隊を遅延させる為、1000の軍勢を荒川河川敷に向かわせます。戸田城周辺と荒川河川敷で戦いが始まりました。


戸田城を攻撃する河野勢4000に対して、守る側の立花軍は城兵含めて1400、戦力差は3倍になります


諏訪勢1000は諏訪頼宗が一刻を争うと判断して自身が先鋒部隊を率いて急行していました。

岩槻太田家の軍勢より早く戸田城に到着すると軍勢を戸田城の西南へ布陣しました。

兵力で優位な河野勢の攻撃の一部を戸田城に任せる事になり、腹背を戸田城から攻撃されるのを防ぐ為、河野勢は兵力を配置する必要になり、兵力が分散されます。


河野勢は兵力差を生かして諏訪勢を包囲する形で展開すると、攻撃を開始しました。

諏訪勢は騎馬300を3つに別けて弓矢の連射で河野勢の左翼に集中して崩して後退します。崩れた態勢を建て直して前進する河野勢に弓矢の連射を集中します。

弓矢の連射に混乱する河野勢の左翼に諏訪勢の弓隊と長槍隊が連携して攻撃します。

岩槻太田家の軍勢は僧兵が主力の為、集団戦に不慣れです。

諏訪勢の連携攻撃に河野勢左翼が崩壊して退却します。中央から攻める河野勢は諏訪勢が後退しながら弓矢の連射で負傷者が続出します。立花家の弓矢の連射に盾を全面に出さずに無防備に前進した結果、優位に前進したつもりが死傷者が続出して一旦退却する事になりました。


一方、河川敷に向かった河野勢1000は荒川を渡る諏訪勢に襲いかかります。

河川敷に上陸した部隊を急襲すると、諏訪勢が態勢が整わず、後退します。

河野勢は対岸から渡って来る諏訪勢の渡船に向けて弓矢を浴びせます。

諏訪勢の渡船からは弓矢の連射で反撃します。諏訪勢の騎馬隊は上流から馬を泳がせて上陸すると20騎ずつ纏まって河野勢の背後から弓矢を浴びせました。

上陸した騎馬は600騎、背後から包囲して指揮官を狙った狙撃と連射を交えた攻撃を展開しました。

次々に指揮官を倒され、初めて経験する弓矢の連射を浴びて僧兵達は恐怖を感じていました。そこに諏訪勢の長槍部隊20名から30名が各々密集態勢で槍先を揃えて反撃に転じました。突き上げて一撃、さらに頭や肩に槍先を叩きつけて痛撃を与えます。

河野勢は忽ち崩れました。


「僧兵達よ!東へ逃げろー!

僧兵達よ!東へ行くなら助かるぞー!

僧兵達は命が欲しくば東へ迎えー!」

諏訪勢が叫ぶと僧兵達は訳もわからず、命が

助かるならと、東へ逃げ出しました。

諏訪勢600騎が背後から次々に弓矢を放って追撃すると僧兵達は必死に逃走します。

諏訪勢は適度に追撃すると深追いせず、軍勢を纏めて戸田城に向かいました。



戸田城では河野勢4000が態勢を建て直し、盾兵を並べて前進、攻撃を再開しました。慎重に前進する河野勢に諏訪勢の騎馬隊300騎が分散して機動力を生かして移動しながら弓矢の連射を浴びせます。

河野勢は諏訪勢の騎馬隊に接近を試みますが、素早く移動する騎馬隊に翻弄されてしまいます。諏訪勢は少しずつ下がりながら野田勢の隊列を南へ誘導していました。


河野勢の指揮官、河野秀康は諏訪勢が後退すると全軍に前進を命じました。

「押せー!押し出せー!」

指揮官達が叫びます。

諏訪勢は荒川を越えて次々到着する味方の軍勢と連動して河野勢を南に引き込み小部隊毎に包囲して叩きました。


軍勢の後方から眺めている河野秀康は優勢に展開していると思い込んでいました。

4000の軍勢が南に引きずられ、長細い隊列になっています。

荒川を越えて駆けつけた騎馬600騎と後続の軍勢1400が加わり、諏訪勢は3000の集団となり、長く伸びた河野勢の隊列の半分2000程の軍勢を包囲しました。

兵力で劣る諏訪勢は3000の軍勢で2000の河野勢を包囲して優位に戦いました。

包囲された河野勢は死傷者多数を出して混乱しました。


両軍合わせて7000の軍勢が戦う戦場は縦に長く、河野勢の先端部隊は河野秀康から1キロ程離れています。引き込まれて包囲されている姿は見えません。

包囲されてると知るまで時間が掛かりました。伝令から長く延びた隊列が包囲されたと報告があるまで優勢を信じていました。

「引き鐘を叩けー!

落ち着いて蕨城に戻るぞー!」

河野秀康は周囲に慌てずに撤収を呼び掛けました。


午後17時を過ぎています。

敵地では夕闇が来る前に撤収しなければ危険です。河野秀康は手元の300を率いて味方の撤収を支える為に前に進みました。

軍勢の中段まで進み、引き鐘を合図に撤収を呼び掛けます。

諏訪勢を深追いした先頭の部隊に多数の死傷者が出ましたが、河野秀康は軍勢の中段の部隊を落ち着かせて、追撃する諏訪勢を巧みに捌いて蕨城へ撤収する事に成功しました。



諏訪頼宗は岩槻太田家の本隊の7000の動きを警戒しています。河野勢を深追いせず、追撃を停止して、戸田城に止まり、蕨城及び、味方の川口城から鳩ヶ谷城周辺に斥候部隊を出して情報把握に努めました。


鳩ヶ谷城を攻略した岩槻太田家の軍勢は川口城方面に逃れた太田正義を追撃していましたが、太田正義は追撃を振り切り、川口城へ辿り着きました。川口城には江戸太田家からの援軍、葛西清春の軍勢1000が派遣されていました。酒井勢は太田正義の危機を知り、救援に向かい、無事に太田正義を川口城に収容しました。

しかし、岩槻太田家の追撃部隊4000は川口城を包囲に掛かりました。

別動隊2000は川口城の南、赤羽城付近一帯の河川敷を制圧しました。

これで対岸の赤羽城付近から立花家や同盟大名家が援軍を送る事が難しくなりました。


─鳩ヶ谷城、岩槻太田家本陣─

─太田資正、立川明和─


「殿!川口城には江戸太田家から援軍が入っていました!

追撃中の太田正義が援軍に救われて川口城に逃れ、現在、追撃部隊は川口城を包囲する配置に付きました!」


「それは残念だった!

河川敷の制圧はどうだ?」


「はい、赤羽城付近の荒川河川敷を制圧しました。赤羽の渡船場から来る敵は撃退可能です。しかし、荒川対岸の立花家や江戸太田家の城は朝霞城、赤塚城、中曽根城の城に渡船場が備えられ、そちらから渡船を使われると対応が難しくなります。」


「そうか、明日からは荒川を渡る援軍との戦いになりそうだな。」







岩槻太田家、太田資正は順調に進撃を続けました。荒川沿いの戸田城、川口城、舎人城、西新井城、花畑城の5つを奪うのが目標です。

立花家と同盟大名家の援軍の動向が気になります。



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