1546年(天文15年)5月11日、簗田高助の苦悩、泥酔軍師、立花将広の躍進!
3月下旬に古河公方家が仕掛けた房総半島の攻防戦は立花将広の活躍で大きく動きます。
立花家には里見義堯の妹が立花家嫡男、義國へ嫁ぎ、松千代が生まれました。
里見義堯の嫡男、義弘に立花義秀の養女(吉良家)が嫁ぎました。
立花家、里見家は二重に婚姻して絆を高めています。
立花将広は松千代の推薦で兄義秀から房総半島の状況打開を託されました。
補給線が長くなり、問題解決に半月掛かりましたが、進撃を再開します。
1546年(天文15年)5月11日
古河公方軍の柏城本陣には前日の戦いの死傷者、未帰還者の報告が入ります。
全体的には勝利続きですが、城攻め、野戦の死傷者、未帰還者が想定を越える数字になりました。
簗田高助は各軍勢の稼働出来る軍勢を把握しなければ作戦が成り立ちません。
毎日、大きな地図に軍勢の配置と軍勢の兵力を記入した紙片を置いて戦場全体を確認します。5月9日、10日の2日連続して激戦となり、簗田高助の指揮する古河公方軍69000から、死傷者と未帰還者は6000に及びます。損耗率8パーセントですが、さらに連日続くと深刻な状況になります。
さらに移動した軍勢には補給路を確保して兵糧や必要物資の手配など、簗田高助の近臣達は忙しく働きます。
最近は日々支配地域が増えて、彼らの業務は更に多忙になりました。
─古河公方軍、柏城本陣─
─足利晴氏、簗田高助─
「高助、今日はどうだ?
兵士達の状況は?」
「良くありません。
優勢に展開していますが、死者と未帰還者より、負傷者が多く発生しています。
この2日間の激戦で1割の兵力が削られました。」
「やっぱり弓矢にやられたか?
立花家は飛び道具に頼る狡い奴らだからな。」
「今回は兵力差を生かして優位になりましたが、立花軍は以前に増して至近距離でも弓矢の攻撃を徹底しています。
本日は負傷者の治療を優先します。」
「それでは、高助、三郷城を攻略した那須勢10000と八潮城を攻略した佐野勢6000は動けるのか?」
「公方様、那須勢と佐野勢は2日続けて城を攻略して疲れております。休息を与えて明日、江戸川を渡らせます。」
「そうか、高助の判断に任せる。
最善を尽くしてくれ!」
─上総国─
3月下旬、上総国では古河公方家が支援する下総公方軍が里見家が支援している上総公方家の領内に侵攻しました。
同時に里見家内部に反乱が起こっていました。
立花将広が率いる軍勢は4月上旬に海を渡り、里見家の本拠地、木更津を出発して以来、茂原城周辺で上総公方家領内に侵攻した千葉家の軍勢を壊滅させました。
さらに市原城周辺移動すると、下総公方軍を撃破しました。
そして4月中旬には上総南部の里見家の反乱軍を鎮圧に向かいました。
里見家の反乱軍は古河公方家の支援で常陸国の軍勢と千葉家の連合軍の支援を受けています。その反乱軍側に仏教宗派の支援が加わり、総勢14000の僧兵の軍勢が参加する事になりました。
僧兵部隊は簗田水軍に運ばれ、半月の間に海路、勝浦湊に10000の軍勢が上陸、万喜城方面の原勢に合流しました。
さらに鴨川湊に上陸した4000の軍勢が安房国、里見義光の軍勢に加わり、反乱軍側の士気が高まりました。
上総国南部に向かった立花将広の軍勢は補給路が長くなった事で武器と兵糧の補給が遅延する問題に直面しました。
補給物資は立花領、横浜湊、六浦湊から海路で木更津湊に運ばれ、輸送部隊が木更津から東へ30キロの茂原経由で更に20キロを移動して50キロ離れた立花将広の軍勢の宿営に届きます。
反乱軍の拠点、大多喜城攻略に向かった新納勢の補給も木更津から茂原経由で50キロの遠距離補給になる為、武器と兵糧の遅延問題がありました。
立花将広の軍勢7000は八幡城に布陣しています。その南へ2キロ先に里見義堯の軍勢7000が万喜城周辺に布陣しています。
目の前には夷隅国府台城に反乱軍の原勢6000が布陣しています。万喜城と夷隅国府台城は2キロの近距離にあり、両軍の小規模な戦闘が各所で発生しました。
ここで勝利しても敵が退却して勝浦城方面に退避した場合、武器、兵糧が不足して前進するのは危険でした。
さらには西に位置する敵方の大多喜城から背後を攻撃される危険がありました。
立花将広は補給の不安解消を優先しました。
大規模な作戦を控えて、嫡男、立花頼将に補給路の警備と効率化を任せて経験を積ませました。半月後には補給路が整備されて十分な補給を確保するに至り、反乱軍と戦う準備が整いました。
しかし、半月ほど立花軍側が停滞している間に反乱軍側には僧兵10000が加勢され、立花将広、里見義堯にとって厳しい状況になりました。
立花将広は万喜城に里見義堯を訪ねました。
─上総国里見領、万喜城─
─立花将広、里見義堯─
「里見殿、半月も掛かりましたが、武器も兵糧も十分な蓄えが確保出来ました。
反乱軍側に仏教宗派の僧兵の大軍が加勢した様ですが、決戦を挑みましょう。」
「立花殿、ご尽力に感謝申し上げます。
反乱軍に僧兵10000が加勢しております。当方の兵力は14000、敵方は16000と思われます。
僧兵の軍勢と何度も小競り合いになりましたが、接近戦になると棍棒や金棒の威力があり、苦戦致しました。」
「里見殿、我が軍勢も僧兵部隊と小競り合いを致しました。
長槍の部隊が4割、棍棒、金棒の部隊が4割、弓が2割で、騎馬は少数に限られておりました。確かに接近戦の棍棒金棒の部隊は威力がありました。
敵方は棍棒、金棒の部隊に自信を持っていると思われます。接近したら徹底して弓矢を浴びせて直接戦闘を避けます。
我らは徹底して弓矢を主力にした射撃で戦いましょう!騎馬隊が弓矢を放ち、移動攻撃を行えば、優位に戦えます!」
「なるほど、立花殿、素晴らしい観察力にございます。弓隊を軸に戦いましょう!」
「里見殿、通常の軍勢ならば弓隊の割合は1割に過ぎませんが、立花家は3割が弓隊です。常に空間を制して戦います。
敵方には武士にあるまじき卑劣な戦い方と言われますが、立花家は弓を主力に源義家公以来、400年余りを生き抜いて参りました。
古河公方家の圧倒的な勢力に対抗出来たのは弓を主力にして来たからです。」
「立花殿、決戦となれば両軍30000の軍勢が対戦します。総大将は立花将広殿、貴殿にお願い致します。」
「里見殿、これは兄、立花義秀からの命令です。総大将は里見義堯殿、貴方しかありません!貴方が総大将で反乱軍を鎮めなければ、勝利しても、家中がひとつになりません!
房総半島の民の安寧の為、正義を貫く姿を示さねばなりません。
私は副将、貴方が総大将です!」
「承知致しました。
御配慮に感謝申し上げます。
名目上の総大将と承知の上、立花将広殿の意見に従います。」
「ぶはははは!
言いにくい事を正直に申された!
それでこそ!二重に婚姻を重ねた両家が互いを信じて前に進めます!
我が兄は房総半島を里見家がしっかり統治して頂く事を望んでいます。
それでは、反乱軍を征伐いたしましょう!」
立花将広、里見義堯は反乱軍との決戦に望みました。
4月30日、万喜城と夷隅国府台城の周辺に集結した両軍に決戦の雰囲気が高まりました。
─反乱軍、夷隅国府台城─
─原胤勝、正木時忠─
「正木殿、敵方は随分弱気だったが、やっと決戦する気配を見せた様だな?」
「はい、敵方は補給路が相当延びましたから、苦労してるのでしょう。
補給が整うまで時間が掛かった様にございます。」
「正木殿、貴殿は僧兵軍10000を率いて立花将広の軍勢7000を退治してくれ!
我が軍勢6000は万喜城から出て来る里見勢7000を蹴散らしてやります!」
両軍の決戦への気配が高まりました。
万喜城から出撃した里見勢7000は夷隅国府台城周辺に待ち構える原勢6000と対峙しました。
八幡城から出撃する立花将広の軍勢7000は夷隅国府台城の西に1キロ、刈谷周辺に展開する正木時忠率いる僧兵10000と対峙しました。
4月30日の正午過ぎから始まった決戦は、里見勢が、東から抜け道を伝い夷隅国府台城の南西に迂回しました。
迂回に成功した2000の軍勢が原勢の背後から襲撃すると原勢が劣勢になりました。
立花将広の軍勢は刈谷方面で戦う本隊と別に刈谷から3キロ西の大野城に佐竹勢3000を派遣しました。
大野城は正木一族の持ち城ですが、一枚岩ではありませんでした。
立花将広は半月の間、補給路の整備をしながら、大野城に市原城の和議交渉の末に借り受けた正木一族の正木重勝を密かに使者に送り込み、内応工作を進めていました。
不意打ちを受けた大野城は佐竹義廉の巧みな采配と内応した曲輪から侵入、一気に攻略する事に成功しました。
佐竹勢は守備隊1000を残し、2000の軍勢を刈谷方面に進めました。
刈谷の正木時忠の陣中に大野城陥落の知らせが入りました。さらには佐竹勢2000が接近中と知らせが入りました。
その時、正木時忠は立花将広の軍勢を押し込み、優位に戦っていました。
正木時忠は焦り、混乱します。
大野城は反乱軍の大事な根拠地、大多喜城まで5キロの重要な城です。
大多喜城との連携が断絶して反乱軍に大きな打撃になりました。
とにかく、佐竹勢に腹背から攻撃されては致命的な敗北に繋がります。
正木時忠は引き鐘を叩き、守備的配置に変更を試みました。
しかし、僧兵部隊は立花将広の術中に嵌まり、後退する立花勢を追撃していました。
引き鐘がなりますが、僧兵部隊は追撃を継続、刈谷から2キロも北へ誘い込まれ、気がついたときには包囲されてしまいました。
追撃した僧兵8000は各所に分断されて包囲を受けました。
「降れー!降れー!
武器を放棄すれば生きて返す!
家族の元に返すぞ!降れー!」
嫡男、立花頼将が叫びます。
退却を偽装する釣り野伏せに成功、無闇に命を断つのを避ける為、降伏を勧めます。
包囲された僧兵は忽ち武器を破棄して降伏を始めました。
降伏しない僧兵は忽ち弓矢の餌食になり、徹底的に弓矢の射撃に晒され、多数の死傷者が発生します。
正木時忠の手元に残った軍勢は2000、大野城方面から現れた佐竹勢が太鼓と大きな声を挙げて軍旗を掲げ、威嚇しながら包囲を始めました。
集団戦に馴れぬ僧兵達は混乱して散り散りに逃亡を始め、混乱の極みとなりました。
正木時忠は残った旗本100名を率いて夷隅国府台城の原勢を頼り、退却しました。
刈谷方面の正木時忠の僧兵10000は潰滅、多数の死傷者と数千の捕虜が発生しました。夷隅国府台城方面の戦いは里見義堯の軍勢が原胤勝の軍勢を撃破、原胤勝は城を破棄して勝浦城方面に退却する事になりました。
反乱軍側の作戦は里見勢や立花勢を湿地帯に引き込むはずが想定と異なる戦いになりました。夷隅国府台城の戦いは里見家、立花家連合軍の勝利となりました。
原胤勝の軍勢は死者300、未帰還1700
負傷者多数、8キロ南の下布施城に4000が生存して辿り着きました。
損耗率33%
正木時忠率いる僧兵部隊は死者800、負傷者多数、捕虜3000、未帰還4000、生存して2000の軍勢が下布施城に辿り着きました。
捕虜と未帰還者を含めて損耗率80%、優勢だった反乱軍は16000の軍勢が6000の軍勢に縮小してしまいました。
62%の軍勢を喪失、負傷者多数を抱えながら防御体制を取る必要に迫られました。
里見家、立花家の両軍の死傷者は400、損耗率3パーセントしかありません。
稀にみる快勝に終わりました。
捕虜の3000には豚汁と握り飯を与えて明朝解放すると伝えます。
食事をする捕虜達に立花軍は援軍10000が到着次第、勝浦城を目指して南下するから、解放されたら勝浦城には近寄らない様に注意を呼び掛けました。
5月1日、立花将広の発案で、早朝、捕虜達に対して握り飯ひとつだけ与えて下布施城に向かわせました。
捕虜達には念仏を唱えて下布施城に向かえば自由を与えると告げて解放しました。
─立花将広、里見義堯─
「立花殿?捕虜に対して甘いのは、何か目的がありますな?」
「ぶはははは!勿論、援軍10000は大嘘でござる。捕虜達を解放しましたが、全ての僧兵が素直に下布施城に向かうとは思いません。好き勝手に逃れましょう。
逃げた先で立花軍の援軍が現れ、勝浦城が攻撃されるから近寄るな!
などと他人に語れば効果が現れます。
下布施城へ辿り着いた兵士は動揺して逃亡する者が出るでしょう。
勝浦城周辺から人々が退避すると反乱軍はさらに不安になり、勝浦城を維持出来る戦力が残るでしょうか?
解放した捕虜が再び僧兵になろうとも構いません。捕虜になった時の恐怖に勝てる程の勇気ある捕虜がどれ程でありましょうや?」
「なるほど、戦力は削がれましょうな?
立花殿は何と恐ろしい!
泥酔軍師と呼ばれる深謀に恐れ煎りました!」
下布施城に向かった3000の捕虜は次第に道から外れて分散しました。
下布施城周辺に辿りついたのは900になり、下布施城の反乱軍の陣中に入ったのは僅かに300になりました。
立花将広の狙い通り、立花軍の援軍が到着すると勝浦城は30000の大軍に囲まれると噂が流れる事になりました。
噂の効果は大きく、下布施城に退避していた反乱軍6000は翌日5月2日、南に6キロの御宿城に退却すると、兵力は4000に減ってしまいました。
5月3日、里見義堯の軍勢7000が南下、御宿城に接近すると御宿城の反乱軍は勝浦城に向かって退却、勝浦城に辿り着いた反乱軍は僅かに1000に減っていました。
5月4日、勝浦城を目指して里見義堯の軍勢が包囲に向かうと原胤勝は旗本を引き連れて勝浦湊から海路で下総国、銚子湊へ逃亡、正木時忠は立花将広が派遣した正木一族の使者、正木重勝に説き伏せられて降伏、勝浦城を明け渡しました。
里見義堯は勝浦城が降伏した事を喜びましが、正木重勝に降伏させた秘訣を聞くと破格の待遇を提示した事が判明しました。
①降伏すれば正木時忠と正木一族は立花家が引き取り、命を保証する。
②地位ある者は立花義秀の直臣に取り立てる。
③正木一族に立花家領内に纏めて5万石の領地を与える。
④大多喜城に向かい、成否は問わぬ条件で反乱軍の兄、正木時茂を説得を依頼。
立花将広は破格の交渉で正木時忠を落としました。里見義堯は勝浦城の守備に平山勢2000を残し、正木時忠を伴い5000の兵力を率いて5月6日、大多喜城に到着しました。
大多喜城には正木時茂が2000の軍勢で籠城を続けていました。
大多喜城の目の前の山に栗山城、1キロ先に大多喜根古屋城の2つの支城がありましたが、新納忠義の軍勢に包囲されて兵糧が尽き果てて両城は降伏、大多喜城は新納勢、立花将広の軍勢15000に包囲されていました。
正午過ぎ、里見義堯の軍勢5000が到着すると大多喜城は20000の大軍に包囲されました。
里見義堯に伴われ、正木時忠は立花将広の陣中に呼ばれて挨拶を済ませると、将広から交渉内容の説明を受けました。
正木時茂宛ての書状と米20俵、清酒の酒樽5樽、焼酎5樽、酒のツマミの漬物5樽を持ち込み、従者を従えた正木時忠が大多喜城の大手門から兄、正木時茂に対面したいと、大音声で呼び掛けました。暫くすると大手門の扉が開き、時忠が使者として入城しました。
弟、正木時忠は兄、正木時茂に対面しました。里見義堯に降伏した事を謝罪すると、降伏した理由を明かし、立花将広から預かった書状に目を通しました。
「和議だと!?……降伏勧告じゃないのか?」
「はい、兄上、和議です。
降伏ではありません。
立花将広殿の発案ですが、里見義堯様も承認されています。
和議に応じて頂ければ、正木一族は立花家に直臣として召し抱え、一族は立花家領内にて5万石の領地を与えると、破格の待遇になっております。」
「時忠?こんな事を信じて騙され、一族を抹殺するのではないのか?
里見家と立花家は二重の婚姻で固く結ばれている故、小弓公方家と里見家の2つの領主に仕えた複雑な事情など理解出来まい!
先代当主、里見義豊様殺害の因縁も理解されておるまい!」
「兄上、立花将広殿は全て承知で和議を勧めております。通常なら降伏勧告が当然にございます。兵糧も残り僅かのはず、立花家は私に米俵20俵を持たせております。
城兵に腹一杯食べて、酒を呑み、房総半島の民の安寧の為、和議に応じて欲しいと願われておられます。」
「時忠!信じて良いのだな?
一族存亡を賭けて良いのだな?」
「兄上、立花家は川越上杉家を川越城から追い出しております。
川越城周辺の領主が空席との事、書状にある通り、正木一族が立花家の直臣になれば飛躍の機会に恵まれます!
関東制覇を目指す立花家に夢を託しましょう!」
「良し!夢か?託してみるぞ!
俺を説得した責任は重いぞ!
お前の勧めで一族の繁栄か?滅亡か?
どうせ、死ぬなら、夢に賭けるぞ!
時忠!和議に応じる!
今からそちらの本陣に参るぞ!
案内を頼む!」
本陣を訪ねた正木時茂は里見義堯、立花将広と対面しました。
時茂は里見義堯に反乱軍を率いた事を謝罪、全ては古河公方家、簗田高助が主導して千葉家と常陸国の国人領主の支援と仏教宗派の支援があった経緯を語りました。
焼酎が運ばれ、ツマミに餃子や漬物を食べながら和議の詳細が次々に決まり、大多喜城の財産全てを持ち出し可能としましたが、現実的ではありません。
大多喜城以外にも反乱軍に参加した一族の持ち城に含まれる全ての財産を立花家が買い取る事になり、計算が面倒な立花将広の爆弾発言で「5万貫(50億円)良いだろう!」
のひと言で周りの一同が驚愕する事になりました。
側に控えていた新納忠義が2万貫(20億円)
で充分と囁きますが、将広は笑っています。
「ぶはははは!正木一族は一年で5万貫の働きをして貰う先払いだ!」
酒が入り泥酔軍師、立花将広は酔いながらも計算した論理で和議の効果を高めます。
正木一族は木更津湊から海路で横浜湊、六浦湊に向かい、府中城で立花義秀に対面した後、与えられた領地に向かう事になりました。
新納忠義が心配になり、将広に尋ねました。
「将広様?正木一族を引き受けて立花家の直臣にするなど、話しを勧めて大丈夫ですか?
4年前に、大石家が難題を抱えていた賃貸物件の滝山城を少林寺から大金で買い取りした時とは随分状況が違います!
事後承諾で殿の逆鱗に触れては大変でございます!」
「ぶはははは!大丈夫!
松千代の発案でなぁ、反乱軍の主力の一族丸ごと引き抜き、反乱の根っこを抜いて来いと松千代に尻を叩かれたぞ!
義秀兄上が承諾しておるからな、銭もなぁ、ぶはははは!好きなだけ使い放題だ!」
新納忠義は銭の使い放題には事後承諾の疑念を抱きながら、笑ってしまったので、追及を諦めました。
立花将広は正木時茂を酔わせて上総国、安房国の国境、造海城の反乱軍の平定に向けて従軍する約束を取り付けた事を切っ掛けに和議の内容を次々固め、翌日の早朝には正木時茂に署名させて和議が成立しました。
5月7日、午前中、里見義堯を総大将とする軍勢20000は大多喜城を出発、久留里城を経由して西へ進み、反乱軍の首領、里見義光が布陣する金谷城に向かいました。
上総国、安房国の国境の造海城に攻め込んだ里見義光の軍勢は仏教宗派の支援で4000僧兵を加えて10000の軍勢に膨らんでいましたが、反乱軍鎮圧に向かった吉良頼貞率いる8000の軍勢が奮戦、攻め寄せる反乱軍を撃退、戦場は金谷城周辺になり、海岸線の狭い道の山の上に布陣する反乱軍に対して無理をせずに少しずつ支配地域を広げる堅実な戦いに徹し、味方の援軍を待つ戦いを続けていました。
5月9日、正午過ぎ、造海城経由で里見義堯、立花将広が率いる10000が金谷城周辺に到着、新納忠義の別動隊10000は金谷城の背後の海岸線に迂回に成功、午後14時過ぎには金谷城の南から包囲する布陣を展開しました。
金谷城は28000の軍勢に包囲されました。
立花将広は総大将、里見義堯の使者として正木時茂、正木時忠の両名を指名しました。
金谷城に派遣する前に里見義堯を臨席させて打ち合わせを行いました。
交渉内容は降伏勧告にあらず、和議を求め、里見義光や反乱軍武将の命を保証する。
里見義光には立花家の領地、横浜湊近くに所領を与え、文化人とし平穏に暮らす権利を与える。正木勝春、土岐頼久、酒井忠治は本領安堵、又は立花家の領内に現在の領地と同等の領地と地位を与える。
想定される領地は川越周辺と見込まれる。
僧兵達の罪は問わず、所属する宗派の寺院へ戻り、平穏に暮らす様に諭す。
以上の条件で承諾するなら日没前に回答する事、拒否、又は日没までに回答無き場合は明朝、総攻撃すると通告すると決まりました。
正木時茂、時忠兄弟は和議の内容を記載した書状を持って和議の使者として金谷城に向井ました。
立花将広は万が一を考え、下総公方家から借り受けた酒井一族の酒井道永に場内の酒井忠治と接触する事を命じました。
城内に異変があり、知らせてくれたら命を助ける事、罪無き、僧兵達を出来る限り、戦わせず、逃がす事を伝える様に要請しました。
酒井忠治の陣地は上総酒井家、三つ巴の家紋が掲げられており、酒井道永は出入りする商人の姿で潜入、旧知の酒井忠治に対面を果たしました。
道永から取れた情報は反乱軍が次々に支配地を広げた時と異なり、吉良頼貞の軍勢が現れてから次第に押し込まれ、士気が下がり、僧兵の軍勢が来てからは支給される兵糧が減り、喧嘩が絶えず、幹部の武将達の口論が増えて険悪な雰囲気だと伝えて来ました。
更には勝浦城、大多喜城の陥落が噂になり、諦める将兵が増えて、助けてくるならと、酒井忠治から内通の承諾を確保しました。
金谷城に入った正木時茂、時忠兄弟は城内から「裏切り者ー!何しに来たー!」
「生きて帰れると思うなー!」
城内の雰囲気は殺伐としていました。
金谷城本丸で里見義光、正木勝春、土岐頼久が和議交渉の席に着きました。
降伏勧告を覚悟していた里見義光が和議の説明に驚き、死ぬ覚悟から生きる希望が有ると知り喜びの笑みを浮かべました。
しかし、土岐頼久は最初から不機嫌で、反乱軍が負けたのは正木兄弟の裏切りが原因だと追及しました。金谷城が包囲されると、気持ちを落ち着かせる為に彼は酒を呑んでいました。
激昂しますが、里見義光に宥められて落ち着きを取り戻しました。
しかし、正木時忠が正木一族は川越城周辺に5万石を貰う事を語ると、大人しくしていた土岐頼久が突然、時忠の左胸に太刀を突き刺し、「裏切り者ー!成敗致す!」
隣の正木時茂の左胸を突き刺し、両者の胸から血が吹き出し、居合いの達人の土岐頼久は一瞬で二人に致命傷を与え、止める間も無く、2つの首を切り落としました。
「裏切り者、正木兄弟は討ち取った!
お前ら!武士の意地を見せろ!
玉砕覚悟で戦えー!」
土岐頼久は彼の近習二人に各々の首を持たせて城門前に晒しました。
酔った勢いで土岐頼久が暴走、敵も味方も驚く事になりました。
「裏切り者、正木時茂、時忠兄弟は俺が成敗したぞー!
里見義堯!立花将広!文句があるなら攻めて来い!」
土岐頼久の行動は金谷城の兵士達に複雑な影響を与えました。
城門前に土岐頼久を支持する兵士が集まり、鬨の声を挙げました。
「エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!」
和議の使者を討ち取った事を支持する兵士、危険を察知して降伏する兵士、事件を知って逃亡する兵士、混乱した反乱軍は統制を失ないました。
立花将広に内通した酒井忠治は僧兵達に逃げて寺院に戻る事を勧めました。
彼に従う僧兵を逃がすと立花将広に城内二の丸から周辺に火を放つから、二の丸、本丸に接近しない事を知らせて来ました。
想定外の事態に里見義堯は迷いました。
和議の使者が斬られ、城門に首を晒しています。武門の意地で強襲すべきか?
そこに嫡男、里見義弘が現れます。
「父上!総攻撃しましょう!
論外な仕打ちを見捨てるなら国内の家臣達に示しがつきません!
里見家の正義を見せねばならぬ時にございます!」
「義弘!良くぞ申した!
総攻撃だ!貝を吹けー!
太鼓を叩けー!総攻撃だー!」
里見家の軍勢が金谷城に殺到しました。
乱暴な土岐頼久を支持する兵士は金谷城の中で2000の兵士に過ぎず、僧兵の大半は逃げ散り、里見義光、土岐頼久の軍勢だけが、必死に戦いました。
正木勝春は一族の本家の当主、当主の弟を討たれ、何より正木一族を代表して土岐頼久に一矢報いる決意を固めました。
正木勝春の軍勢1000は城門に布陣する土岐頼久の軍勢の背後から攻め掛かり、正木兄弟の仇討ちだと、手勢を励まし、奇襲に成功しました。土岐頼久に弓矢を集中すると数本の矢が当たり、一気に土岐頼久の首級を挙げました。
「正木兄弟の敵!
土岐頼久殿、討ち取ったりー!」
歓声が上り、土岐勢が戦意を喪失、里見義光も戦いを諦め、里見義堯に降伏する使者を出しました。
和議交渉中に使者が殺害されて始まった戦いは、金谷城の味方同士が戦い、和議交渉を破壊した土岐頼久が討たれて終結する波乱の結果、金谷城は降伏、反乱軍の首領、里見義光は里見義堯の本陣を訪れ、頭を下げて不測の事態を謝罪する事になりました。
─立花将広、里見義堯─
「立花殿、和議交渉の使者が討たれて、総攻撃になりました。城内で正木一族の仇討ちの末、反乱軍は降伏…波乱の結末になりました。
反乱軍の武将達の扱い方についてご意見を伺いたいのですが?」
「ぶはははは!単純明快に参りましょう。
和議に提示した条件を基本にすれば穏便に静まりましょう。
反乱軍の首領、里見義光殿は立花家領内、横浜湊の近くに領地を与え、文化人として暮らして頂きます。正木勝春と反乱に加担した正木一族、酒井忠治と反乱に加担した酒井一族は立花家が引き取り、家臣に加えます。
正木時茂、時忠兄弟を殺害した土岐頼久と一族は貴殿の宿老、万喜城主、土岐為頼殿に預けるのが宜しいでしょう。」
「僧兵の捕虜や逃亡した僧兵の扱い、並びに常陸国から集められた兵士の捕虜、逃亡した兵士の扱いについてご指導頂きたいのですが?」
「ぶはははは!難題ですなぁ、僧兵は古河公方家の都合の良い思想で操られています。
仏教宗派の捕虜には同じ宗派の寺院に託して国許に送らせては如何でしょう。領内の寺院宛てに高札を立てて、協力を求めれば宜しいでしょう。国許へ送る費用と寺院への謝礼などの諸経費は立花家が負担します。捕虜は腹一杯旨い物喰わせて、酒を呑ませて無事に帰してやれば落ち着きましょう。二度目は許さぬ事を伝えて釘を刺す程度に穏便に済ませるのが、宜しいでしょう。
常陸国から来た兵士達は立花家が帰国を手伝いましょう。
金谷城から常陸国の兵士2000が投降しておりましたな。
全て預かり、明日は木更津に入り、明後日には市原に入ります。
立花家には既に夷隅国府台城、勝浦城、大多喜城の戦いで常陸国3000の捕虜を抱えています。彼らと合流して市原城の先、下総公方家、千葉家との国境に進み、彼らを雇い主、古河公方家に預けて後始末を任せましょう。」
「えっ?立花殿、常陸国の捕虜をお任せして宜しいのでしょうか?」
「ぶはははは!気になさるな、実は下総国、柏城方面に古河公方家の大軍が現れ、我が軍が苦戦してるらしいので、こちらの都合もあり、捕虜を利用させて頂きますぞ!」
「なんと?!立花殿、何か企んでますな?
ご指導を賜り感謝いたします!僧兵の扱いと高札の手配を致します!」
「里見殿、お願いがございます。
これより、嫡男義弘殿と佐貫城に移動して頂きたい。明朝、夜明けに木更津城に向かって頂きます。早朝に反乱軍を平定した総大将と嫡男を里見家領内の民に歓迎して頂きます。
既に木更津城の宿老、真理谷信隆殿に早馬で準備を頼んでおります。護衛に吉良頼貞率いる8000の軍勢を従えて出発して頂きます。
その後方から我が軍勢が常陸国の兵士をつれて木更津へ向かいます。
総勢30000の軍勢が木更津に凱旋します。里見家が房総半島の大半を平定した事を示しましょう。
我が軍勢はその勢いを借りて、古河公方家の軍勢に立ち向かいます。
里見殿は木更津城から当面は内政に専念して頂きます。」
「お待ち下さい。それでは里見家は立花家に顔が立ちません!嫡男、義弘を軍勢に加えて頂きます!是非ともお願い致します!」
「ぶはははは!そこまで頼まれては、承知致しました!喜んで義弘殿を預かりましょう。
初陣から世話をしていたらまるで我が息子も同然になりました。
嫡男、頼将は義弘殿を実の弟の様に可愛がっております。
こちらこそ、援軍に感謝致します!」
里見家の反乱軍が平定されて、立花将広は休む間も無く次々に先手を仕掛けました。
5月10日、午前9時頃、木更津の街に里見義堯の軍勢の行列が凱旋します。
領内の民が多数集まり、反乱軍を平定した軍勢が歓声と拍手に迎えられます。
里見家の軍旗が現れ、見え始めた行列に拍手と歓声があがります。
総大将里見義堯、嫡男、里見義弘の人気高く、領民の支持を得ている証が見えました。
やがて、拍手の中、立花家の軍勢にも拍手が湧きました。
やはり別格人気を集めたのは立花将広でした。泥酔軍師の活躍は総大将里見義堯を助け、嫡男、里見義弘の初陣から数々の戦いを経験させて武将としての才能を引き出した事が知れ渡りました。
立花将広の軍勢は木更津で休息すると、里見家に貸し出していた軍勢3000を受け取り、南上総城を目指して進みました。
夕刻、立花将広の軍勢30000は南上総城に凱旋しました。
出迎えには上総公方、足利頼純、立花家宿老、奥住利政が立ち合いました。
駐留軍兵士達から拍手と歓声、太鼓が響き、歓迎を受けました。
上総公方家の危機を救い、房総半島を駆け巡り、市原城、茂原城、万喜城、勝浦城、大多喜城、金谷城の戦いに連戦連勝して凱旋した英雄です。駐留軍兵士から絶大な人気がありました。
立花将広は久々に二人と対面して、反乱軍平定の概要を語りました。
奥住利政からは敵方、下総公方家、千葉家との国境の情勢を聞きました。
先月の和議から国境の詳細確定が進みましたが、千葉家は仏教宗派の僧兵を集めて下総国、柏方面に侵攻した事を知らされました。
柏方面には古河公方家の大軍が集まり、立花義國の軍勢が高城家を支援するも苦戦中との情報がありました。立花将広は明朝、市原城に向かい、小弓城方面に常陸国の兵士5000を解放する事を決めました。
反乱軍を平定してもまだまだ、立花将広にはやらなければならない事が山積みでした。
奥住利政に勝利を祝う宴席を断りました。
満腹になる食事の提供を頼み、将兵の休息を優先する事を命じました。
5月11日早朝、立花将広は30000の軍勢と、常陸国の兵士5000を引き連れて市原城付近に展開しました。
前日の夜、常陸国の兵士に豚汁と酒を与えて、事前に解放する事を伝えました。
数日同行していた彼らと立花家の軍勢は互いに敵意は無くなっていました。
彼らには帰国するための銭300文(3万円)
が与えられました。
利根川を渡る船賃や、飲食など、無駄使いしなければ常陸国に帰国するのに充分な金額でした。
彼らには小弓城の下総公方家と本佐倉城の千葉家に古河公方家、簗田高助から約束された給金の支払いを求める事を勧めました。
立花将広は下総公方家筆頭宿老、簗田直助宛てに常陸国の兵士に正当な給金を支払わぬなら、小弓城を攻める用意があると書状を書いて代表者に預けました。
同じく千葉家の当主、千葉利胤宛てに同様の書状を兵士の代表に預けました。
立花将広が出来る事は彼らの無事を祈る事でした。
市原城の北2キロ先が下総公方家の領内になります。5000の兵士達に武器を返還して軍列を組ませて小弓城に向かわせると、立花家の兵士達と別れの挨拶を交わし、手を振りました。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
別れを惜しむ兵士達が太鼓と掛け声で別れの掛け声を贈りました。
市原城には立花将広の軍勢30000が、多数の軍旗を掲げています。
立花将広は下総公方家や千葉家の領内に間者を送り、立花将広が40000の軍勢を率いて小弓城を攻める!千葉家の本佐倉城を攻める!などと、噂を流しました。
─立花将広、嫡男、立花頼将─
「父上、あの兵士達は無事に常陸国へ帰れるでしょうか?」
「古河公方家、簗田高助が常陸国から騙した兵士達を海路で運び、争乱を起こした事実と未払いの給金も事実だからなぁ、可哀想な兵士を支援するにも限界がある。
無事に帰国するのを祈るだけだ。
下総公方家と千葉家は対応を間違えたら常陸国の武家の信頼を失うだろう。
彼らにも綱渡りの仕掛けを与えて苦しんで貰うぞ!」
「父上、綱渡りの仕掛けですか?
恐ろしい仕掛けです。」
「これで、柏方面の古河公方軍本隊に緊急事態だと、知らせが入るだろう。
本隊が動揺すれば、少しは義國(立花義國)の軍勢の役に立つはずだからな。
あとは柏方面の状況次第で進撃する方向が変化するぞ!」
「父上、それは小弓城、本佐倉城、柏方面の3つにございますか?」
「正解だ!ぶはははは!
さぁ、楽しくなって来たぞ!」
立花将広が次々に新たな仕掛けを繰り出します。泥酔軍師から魔術師に相応しくなってるかもしれません。
4月中旬の日付から、5月の房総半島の戦いを描けずに時間が経ちました。暫く立花将広の戦いを書き込めずに時が流れました。約ひと月の戦いを土曜日から書き始め、4日掛かって書きあがりました。
長い文面になり、お詫び致します。




