1546年(天文15年)5月10日、古河公方軍の攻勢!
早朝から午前中に掛けて立花軍と古河公方軍は佐津間城周辺て激しく戦いました。
勝敗は微妙…痛み分け?
更なる駆け引きが始まります。
1546年(天文15年)5月10日
2年前、古河公方家の配下、千葉家から分離独立する形で高城家は立花家の同盟大名として自立しました。
立花家次席宿老、本多広孝は古河公方家対策の為、下総国、鎌ヶ谷駐留軍、総大将の地位を任されました。
下総国西部の広大な領地を占める高城家と松戸城周辺を領する江戸太田家と微妙な関係の両家の間を取り持ち、高城家、江戸太田家の経済発展と軍事力強化に貢献していました。
4月の上旬に古河公方軍が柏城周辺に侵攻してからの1ヶ月間、簗田高助の野望を食い止めた功績はとても大きく評価されていました。本多広孝を失った義國は本多勢を嫡男、本多広家に引き継がせて、補佐役には長年兄、広孝を支えた本多信孝を任命しました。
野田勢は撤退しましたが、佐津間城の北側から綾瀬勢5000、真言宗勢7000が攻撃中です。本多勢5000、福島勢4000、
義國の軍勢3000は各々整列して軍勢を纏めると高柳城の東側に向かいました。
正午を過ぎて、立花義國が軍勢を佐津間城の東に軍勢を展開すると、真言宗勢は北東方向に退避を始めました。
簗田高助は午前中に高柳城を確保した事で、十分な成果だと判断しました。
一旦休息を取る為、藤ケ谷城に綾部勢と真言宗勢を退避させて、自身の軍勢は高柳城に向かい、野田勢と合流する事になりました。
立花義國は引き上げる古河公方軍に追撃せず、佐津間城の南側へ軍勢を戻して昼食を取らせました。
早朝から動いて午後13時を過ぎていました。兵士達は各々が携行した乾燥固形食を食べます。
普段の食事には笑い声や和やかな会話となりますが、次席宿老、本多広孝を失った事で将兵の気持ちが落ち込む様子が見受けられます。
そこに小金城から古河公方軍の攻勢に苦戦中との知らせが入りました。
小金城周辺には畠山忠国が13000の軍勢を率いて防御しています。
古河公方軍は23000の大軍で攻勢を掛けて来ました。
兵力差10000の差は大きく、放置出来ない状況です。
─立花義國、本多広家─
「若殿、本多勢に小金城の救援をお命じ下さい!必ず敵を撃退致します!」
「待て、広家、簡単では無いぞ、かなり危険だぞ!お前の父上を亡くしたばかりで危険に晒す訳には参らぬ!」
「若殿、こちらには父に従い2年の間、高城家の領内各地を訪ねてこの辺りの地形には馴れております。
小金城には真っ直ぐに向かわず、西廻りに東松戸城付近から北上致します。
敵の最前線の高柳城から離れた安全圏から進みます!」
「そうか、そこまで考えているなら許す!
広家!本多勢を率いて小金城の救援を頼む!
しかし、高柳城が古河公方軍に取られた故、お前の軍勢を妨害する可能性が高い!
こちらから福島勢の騎馬隊に高柳城の牽制をさせるが、高柳城の敵からの攻撃に注意せよ!」
「はい!有り難き幸せにございます!
では、出発致します!」
本多勢が小金城方面に向かいました。
佐津間城の攻防戦が落ち着き、本多勢が小金城の救援に向かいます。
午後からは新たな展開になりそうです。