1546年(天文15年)5月8日、古河公方軍、勝利の酒宴!
古河公方軍は小野田城の戦いに勝利しました。
簗田高助が仕掛けた千葉家の軍勢が戦場に現れて勝利の鍵となりました。
1546年(天文15年)5月8日
小野田城を巡る攻防戦は千葉家の軍勢が戦場に現れて立花家の軍勢を敗走させて快勝しました。小野田城の宇佐美勢から古河公方軍の柏城本陣に吉報が入りました。
─古河公方家、柏城本陣─
─足利晴氏、簗田高助─
「高助!千葉家の軍勢を呼び込んだのか?
凄いじゃないか?
千葉家は市原城の攻防戦で立花将広の軍勢に大敗して暫く立ち直れぬと聞いていたぞ!」
「はい、公方様にも内緒にしておりました。
千葉家は市原城にて多数の死傷者を出しましたが、茂原方面でも立花将広の軍勢に大敗して多数の死傷者を出しており、再建するには僧兵を持つ仏教寺院の協力に頼るしかありません。情報が漏れては立花家に勝利は於保つかず、公方様にも秘匿しておりました。
公方様、申し訳ございません。」
「良いぞ、気にするな!
高助が俺に打ち明けておれば、忽ち喋ってしまうだろう。
情報が漏れては不味いからな。
高助、お前を信じて任せる故、大事な事は秘密に進めて構わぬ、これからも頼むぞ!」
「ははっ!有り難き幸せに存じます。
公方様の広いお心のお陰で高助は腕を振るう事が出来ます!
公方様に深く感謝申し上げます!」
頭を下げる簗田高助の態度に古河公方、足利晴氏は満足な笑みを浮かべました。
この夜、柏城の本陣は勝利を祝う酒宴になりました。
兵士達が気分が高まり、勝鬨が挙がります。
「エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!
エイ!エイ!おぉー!」
簗田高助は本陣近くに布陣する兵士達にも泥酔しない程度の酒を与え、士気を高める事に気を配りました。
この夜は勝利を喜ぶ兵士達から何度も勝鬨が挙がりました。
一方、負けた側の立花義國は小野田城から西へ4キロ、小野田城と鎌ヶ谷城の中間地点に陣地を構え、武将達を集めて軍議を開きました。
敗戦の原因は千葉家の援軍は無いだろうと無警戒だった事、千葉家との国境に警戒網を広げて無かった事が挙げられ、今後、千葉家の援軍の動きに対応せねばなりません。
さらに古河公方軍、柏城の本陣に新手の真言宗勢3000が着陣した事が知らされました。
─小野田城の戦い─
古河公方軍宇佐美勢5000
千葉家軍勢17000
総計22000
死者600負傷者1700
損耗率10パーセント
立花義弘9000
高城義春の軍勢4000
総計13000
死者300、負傷者800
損耗率8パーセント
戦場の後始末は夜になっても続きました。
立花義國の命令で、日没後の数時間に限り、松明や篝火に照らして死者と重傷者を敵味方に関わらず集め、古河公方軍の重傷者にも治療を施しました。
彼らから治療の際に少しずつ情報を集めます。彼らは捕虜になりますが、後日の交渉に役に立つ事になります。
軍議の席に敵味方の死者数が報告されて、小野田城の戦いの状況が明らかになりました。
古河公方軍側の死者はおよそ600が確認され、立花軍の死者は300、負傷者は800に及びました。
小野田城を巡る戦いは古河公方軍が立花軍を包囲して勝利しましたが、兵力では劣りながら立花軍は包囲を突き破り、退却に成功しました。古河公方軍は立花軍の2倍の損害を出している事が判明しました。
立花義國は立花義弘、伊集院忠久、高城義春に千葉家の僧兵部隊の戦い方を尋ねました。
僧兵部隊の装備は弓、長槍、薙刀、棍棒、金棒、馬は少数、死ぬ事を恐れず、死ねば極楽に行くと信じている事、棍棒と金棒の部隊は大柄な兵士の集団で長槍を破壊する威力を持ち、侮れぬ強さを持つ事が判明しました。
集団行動については部隊を左右に移動したり、後退する行動が鈍い事が指摘されました。
侮れぬ強さが有るが、左右前後に揺さぶりを掛けると脆い可能性があります。
今後の戦いに生かせば古河公方軍の兵力が多くても付け入る隙が見えました。
しかし、古河公方軍には次々に援軍が集まり、推定64000の大軍に膨れ上がりました。立花義國の率いる軍勢は45000と劣勢になりました。
兵力で19000の差を埋めなければなりません。
明日以降、千葉家の軍勢が南下して幕張城、津田沼城を狙う可能性があります。
そして休息を取れた真言宗勢と曹洞宗勢が戦いに加わります。
想定される事に対応策を考えると軍議は夜遅くまで続きました。
立花義國は敗戦を噛みしめ、軍議を開きました。小野田城の戦いを分析すると古河公方軍の僧兵部隊の強さと弱さの一面が見えました。
しかし、兵力差は19000もあり、明日から厳しい戦いになりそうです。




