1546年(天文15年)5月8日、簗田高助の先手、後手の立花義國の対応は如何に?
立花義國は真言宗勢、曹洞宗勢の疲労度を考慮して真言宗勢の支配地域の裏手から攻撃を計ります。
しかし、簗田高助が既に先手を打っていました。
1546年(天文15年)5月8日
昨日は真言宗勢と曹洞宗勢の活躍で7つの城を獲得した古河公方軍は立花義國が率いて来た援軍と決戦を控えて士気が高まっていました。
しかし、真言宗勢、曹洞宗勢の僧兵達は参戦初日に張り切り過ぎて疲労困憊、筋肉痛になっている兵士が多く、休息が必要でした。
早朝の柏城の本丸最上部から立花家の軍勢の軍旗が見えています。
本多勢が守る高柳城まで3キロ、畠山勢が守る小金城まで5キロと、短時間で移動出来る距離に布陣しています。
─古河公方軍本陣、柏城─
─足利晴氏、簗田高助─
「高助、昨日、立花義國の軍勢の大半が松戸湊に渡れず、国府台湊に上陸したから集結に手間取りそうだな?」
「公方様、その通りにございます。
それでも立花義國の予定を半日分遅滞させたに過ぎません。
こちらはその時間を生かして先手を取りに行きます。」
「ぶはははは!高助?どんな手を使うのだ?」
「昨日一番の体力を残していた宇佐美勢に小野田城を攻略させます。
真言宗勢が休息を取る為に小野田城の地勢が重要な場所になります。
千葉家の領地境に隣接していますから確保すれば補給路の確保にもなります。」
「高助、本陣が手薄になるじゃないか?
大丈夫なのか?」
「公方様、柏城の本陣に9000が残ります。
立花義國の軍勢が直接攻めて来ても弾き返す自信があります!
ご心配無用にございます。」
「そうか、高助が言い切るなら信じて任せる、頼んだぞ!」
簗田高助の指令を受けた宇佐美勢は本陣を出発、南東に10キロ先の小野田城に移動を開始しました。
小野田城は2年前にも古河公方軍と立花家の戦いに戦場となりました。
和議が成立して古河公方家の配下、千葉家の領地になりましたが、その後、高城家が攻略して高城領になっています。
高城家当主、高城義春は相馬清胤に小野田城を与えました。
相馬一族は常陸国から下総国に一族が広く分散してします。下総国の相馬一族は衰退していましたが、高城義春が相馬一族の再興の為に温情を与えて小野田城を任せました。
小野田城主、相馬清胤は昨日、手賀沼南部一帯の城が陥落した事を知り、警戒を強めています。最後に落ちた小森城から南にわずか4キロの距離にあり、周囲数キロに斥候部隊を配置して監視を続けていました。
やがて、北から宇佐美勢5000が接近している事が判明します。
小野田城は城兵僅か400、兵力は10倍以上の差がありました。
宇佐美勢は小野田城を囲むと降服勧告の使者を送りました。
城を明け渡すなら武装したままの退去を認めると、寛大な勧告ですが、相馬清胤は拒否しました。
宇佐美勢は仕方無く攻撃を開始します。
南の囲みを開けて三方向から攻撃を開始します。小野田城は低い丘の上にあり、守りが固い城では有りません。
戦いが始まると1時間足らずで城門が破られて二の丸が落ちました。
さらに本丸に宇佐美勢が殺到します。城主、相馬清胤は討ち取られて、小野田城は陥落しました。
立花義弘の軍勢9000が鎌ヶ谷城を出発して間も無く、小野田城の相馬清胤からの伝令が到着、小野田城に宇佐美勢5000が来襲と知らされました。
義弘の軍勢は速度を上げて小野田城に向かいますが、斥候部隊から小野田城の陥落が知らされました。
─立花義弘、伊集院忠久─
「なんだと?小野田城が落ちた?
忠久、どうする?
相手が5000なら勝負になるぞ!」
「義弘様、5000だけとは限りません。
真言宗勢の中にも動ける軍勢が居るはず、必ず後詰めに来るでしょう。
危険です!」
「しかし、先を越されて面子丸潰れだぞ、何か打つ手は無いのか?」
「宇佐美勢は柏城の本陣近くから移動しています。軍議で見た絵図の布陣の様子が正しければ古河公方軍の柏城本陣の兵力は1万程になります。義國様の軍勢と我らの軍勢で柏城の本陣を狙う手もあります。」
「ならば、兄上(立花義國)にダメ元で打診してみるか?」
「はい、急ぎ伝令を出して確認しましょう。」
立花義弘の軍勢は行軍を停止して、総大将、立花義國の判断を待つ事になりました。
簗田高助が先手を繰り出して、古河公方軍が優位な状況ですが、後手の立花義國は状況を替える事が出来るでしょうか?




