1546年(天文15年)5月7日、簗田水軍襲来!松戸湊の攻防戦!
利根運河について、深井城と大室城付近の利根川の運河は史実では明治時代に開削されますが、この世界では簗田一族が300年以上早期に開通させました。
簗田一族は100年前から利根川と江戸川に水運利権を持っていました。
簗田水軍がその利権を100年間守ってきました。
遂に簗田水軍と立花水軍が対決します。
1546年(天文15年)5月7日
立花義國の軍勢14000は5月5日に川越を出発、戸田城、八潮城を経由して7日の早朝から松戸城方面を目指して中川を渡り、江戸川沿いの湿地帯を進み、松戸湊の渡船に乗ります。
別動部隊、立花義弘の9000の軍勢は5月5日、川越を出発、川口城から花畑城を経由して7日の早朝、中川を渡り、国府台湊の渡船に乗ります。
立花家は下総国の松戸、船橋、柏方面への出兵の為に江戸川沿いの松戸城と国府台城に湊を作り、渡船と商船を整備しました。
新たな湊を開き、商人と漁民を集めて市場を開き、賑やかな湊町を作りました。
湊の管理は立花家と江戸太田家、船橋高城家の三者で協力しています。
立花家が湊を開くまで、江戸川の水運は簗田一族の独占状態でした。
特に江戸川上流と利根川の分岐点、関宿の地に関宿城を構えた簗田高助が水運の利権を握り、莫大な資産を蓄えていました。
簗田一族はおよそ100年前に関宿に城を築き、大きな湊を開いて利根川と江戸川の分岐点の地の利を生かして巨万の富を得ていました。古河公方家を支えていたのは簗田一族の財力でした。
簗田一族が独占していた江戸川水運の利益は松戸湊、国府台湊が出来た事で収益が2割から3割減少していました。
簗田高助は松戸湊、国府台湊に攻撃する機会を待ち望んでいました。
簗田一族 は大室城の北側(現在の柏市と野田市の市境)付近から利根川の運河を開削して深井城沿いに繋ぎ、深井湊に水軍の基地を持っています。普段は江戸川と利根川の要所に分散している水軍の主力部隊を集結させていました。
─深井湊、簗田水軍─
中型軍船30隻、漕手20名、兵士20名
小型軍船40隻、漕手10名、兵士10名
簗田水軍は江戸川を渡る立花義國の軍勢を待ち構えています。
午前11時頃、立花義國の軍勢が松戸湊の対岸、葛飾側の河川敷に到着しました。
東郷信久の軍勢3000が周囲に展開して古河公方軍の襲撃を警戒します。
松戸湊には常駐する渡船に加えて各地で稼働している渡船が集められています。
松戸湊付近の川幅は140メートル、最大水深8メートルで大型渡船が運行可能です。
─松戸湊、渡船一覧─
大型渡船、乗員50名、10隻
中型渡船、乗員30名、20隻
小型渡船、乗員20名、30隻
馬専用渡船、搭乗10頭、20隻
渡船は1時間に3回往復します。
机上の計算では1時間5000名が運べるはずですが、実際には乗船、下船に手間取り、1時間に運べるのは4000程度と思われます。これを護衛する為、水軍が配備されています。
─松戸湊、立花家水軍─
中型船、漕手20名、兵士20名、20隻
小型船、漕手10名、兵士10名、30隻
今回は立花義國の軍勢が江戸川を渡る為に水軍も警戒の為、松戸の渡しの上流に出撃して万が一に備えています。
やがて乗船が始まり、定員になり次第、出発すると5分程度で松戸湊に到着します。
乗員が荷物と共に下船すると、船は折り返し対岸へ戻ります。
順調に乗船した船が2度の往復を済ませて再び乗船が始まりました。
その時、上流から簗田水軍の来襲が告げられます。
上流の警備をしている東郷信久の軍勢が太鼓を鳴らして水軍来襲を知らせます。
「敵襲!古河公方家の黄金日の丸の軍旗!
簗田水軍の軍旗が見えます!
敵の軍船は50隻以上有り!」
早馬で状況が知らされました。
─立花義國、福島正義─
「若君!大型渡船10隻に弓兵を多数乗せて守りに加えます。中型と小型の渡船は定員になり次第、渡りを続けましょう!」
「わかった!大型渡船に弓兵を集めて乗せろ!水軍の戦いに参加させるぞ!」
「殿!大型渡船の指揮官が必要です。
私に指揮権を頂けないでしょうか?」
「正義、お前は中型、小型の渡船の指揮をしてくれ!大型渡船には俺が行く!
急な事で混乱があるだろうが、頼んだぞ!」
緊急時の判断を誤れば多数の犠牲者が発生します。立花義邦國は危険を承知で大型渡船に乗りました。
義國が乗った大型渡船には立花家の軍旗が掲げられ、総大将の存在を示しました。
その頃、上流では簗田水軍が70隻、立花水軍が50隻、戦力で上回る簗田水軍は中央に船を密集しました。
葛飾側の河川敷からは立花軍、東郷勢が弓矢を放ちます。水平射撃では簗田水軍の船に当たりますが、船には前後左右を防護壁で囲われて兵士達の安全が確保されていました。
上空から落ちてきた僅かな弓矢だけが、兵士を死傷させます。
東郷勢は上空高く弓矢を放ち、射撃を続けました。
簗田水軍は東郷勢の上空からの弓矢に対し、盾を頭の上に乗せて防ぎます。
江戸川の中央に5隻縦列の隊形で進みました。中型船30隻が前になり、小型船40隻が後から縦列を形成します。
待ち構えていた立花水軍50隻は中型船10隻が江戸川の中央に横並び二段に構えます。その背後の小型船は左右に15隻ずつ二手に別れて待ち構えました。
簗田水軍の指揮官、水軍統領、簗田義昌は中央密集隊形で立花水軍を突破して松戸湊の渡船を徹底的に潰し、松戸湊を焼き払う事を目標にしていました。
「密集して突破するぞー!」
簗田義昌が叫びました。
太鼓が鳴り響き、戦いの合図が伝わりました。
立花水軍の指揮官は瀧川道玄、上方、堺の湊で立花家が現地採用した坊主頭の巨漢です。瀬戸内海の覇者、村上水軍の一族出身で、実戦経験を買われて松戸湊、国府台湊を統括する水軍の統領に抜擢されました。
瀧川道玄が叫びます。
「敵は中央突破を目論んでる!
東側から攻撃するぞー!」
太鼓と鐘が響き、東側から包囲の合図が指示されます。
立花水軍の隊列が東側から包囲する形に動きます。
立花水軍の中型船20隻が東側に位置取り、簗田水軍の東側に移動して2列縦隊で接近しながら弓矢を放ちます。
立花水軍の小型船は東側に移動すると簗田水軍の中型船の密集した隊列に接近して分断を試みました。
実戦経験豊富な簗田水軍は立花水軍を見下しています。立花水軍の小型船が迫ると弓矢と拳大やそれ以上大きなの石礫を投げて攻撃します。
小型船の盾の役目の防護壁は次々に破壊されますが、立花水軍の小型船は怯まずに火薬玉を放って反撃します。
火薬玉の爆発で簗田水軍に被害が続出します。初めて遭遇する火薬玉に簗田水軍は苦戦しますが、密集して直進を続けます。
立花水軍中型船部隊も接近すると火薬玉を放ち攻撃を開始しました。
簗田水軍は新兵器、火薬玉に苦戦しながらも中型船部隊17隻が中央突破を果たしました。その後方では乱戦が続いていますが、中央突破した17隻だけで松戸湊を目指しました。
しかし、目の前に立花家の大型渡船10隻が現れます。
大型渡船を率いた立花義國は5隻ずつ二段構えで上流にやって来ました。
立花義國が叫びます。
「敵の船に舳先を当てろ!
密集して体当たりするぞ!」
立花家の渡船には戦いを想定して体当たりで敵襲を防ぐ事を想定しており、舳先を強化していました。それを知っている義國は体当たりを命じました。
簗田水軍中型船は密集して直進を続けますが、立花家の大型渡船が体当りして来ると悟りました。
「分散して突破しろー!」
簗田義昌が叫びました。
太鼓と鐘が響き、分散せよと音で指示を伝えます。
ドーン!ドーン!ガガーッ!
体当りを喰らった簗田水軍中型船は6隻を沈めましたが、11隻が突破して松戸湊に向かいました。
立花義國は非情かも知れぬ決断をします。
「そのまま直進!
目の前の簗田水軍の船に体当りを続けろ!」
「若君!それでは松戸湊が!渡船や兵士達がやられてしまいます!」
「直進だ!大型渡船では小回りが出来ぬ!
戦が出来る旋回性能が無いから足手まといになるのが見えている!
我らは直進して残りの簗田水軍の船を体当りで沈める!松戸湊や渡船の兵士達は水軍の統領、瀧川道玄を信じて託すぞ!」
側近は義國の判断に納得して従い、大型渡船の僚船に直進して体当りを実行する事を伝えました。
松戸湊の上流で簗田水軍と立花水軍の戦いが始まりました。
実戦経験豊富な簗田水軍の攻撃が始まりました。簗田水軍が優勢な状況で戦いが激しくなりました。