1546年(天文15年)5月7日、世田谷吉良家、青梅三田家の思惑。
近衛府で秩父藤田家の大使館のお披露目が終わりました。
1546年(天文15年)5月7日
─府中近衛府、世田谷吉良家大使館─
─吉良頼高、奥沢秀政─
秩父藤田家の大使館のお披露目行事が終わり、世田谷吉良家、先代当主、吉良頼高は初めて吉良家の大使館を訪れました。
「秀政、これが我が吉良家の大使館?
なかなか立派な造りだぞ!
あちこちに金箔が使われてるではないか?
これ程とは驚いたぞ!」
「大殿、立花義秀様から世田谷吉良家は足利将軍家に跡継ぎ無ければ将軍を継ぐ資格を持つ程の家柄と、特に格式が高いから当然の事と、惜し気も無く立派な御殿様式の大使館を戴きました。」
「立花家の下に付くのが不満であった故、昨年4月の開府の式典には出る気がしなかったが、立花家が吉良家の格式を高く評価しているのが理解出来たぞ!」
「大殿、若君、頼貞様は立花家の評価も高く、2年前に練馬城と周辺の領地を与えられました。
今は房総半島にて、里見家の反乱軍鎮圧の鎮圧部隊の主将を努められております。
大きな手柄を挙げれば新たな領地を得られるかもしれません。」
「そうだな。里見家の反乱軍を鎮圧したら、下総公方の征伐、さらに古河公方家の有力家臣、千葉家の征伐と忙しくなりそうだ。」
「大殿、立花家は里見家の反乱軍を鎮圧した後は一旦鉾を納めると聞いております。
戦を長引かせると房総半島の田植えが遅れるとの配慮の為です。」
「そうか、房総半島は今も兵士の多くが農民からの徴兵だからな。
田植えが収入を左右するから配慮するのは仕方なかろう。
我が吉良家は立花家の指導を受けて戸籍を基に施政を改革した結果、米に左右されずに数倍の収入になったから、立花家と手を組んで正解だった。」
「はい、立花家の好意で品川湊、横浜湊、六浦湊、六郷湊の利益の分配も大きな収入になっております。世田谷、練馬、蒔田(横浜)の領地と合わせて20万石に匹敵する収入になります。吉良家の財政は飛躍的に良くなりました。」
「これからの吉良家の発展の為にはさらなる兵力の増強が必要だな。」
「はい、若君、頼貞様も吉良家単独で5000軍勢を率いなければならぬと申され、将来は10000以上の軍団を任される武将になりたいと申されております。」
「秀政、立花家はさらに勢力を広げるだろう。
吉良家の地位を確立する為にも早期に兵力の増強をせねばならぬ。
青梅三田家、滝山大石家に負ける訳にはいかんぞ!」
吉良家は名門の誇りが高く、源氏の嫡流に近い血筋を自慢しています。
ライバル視する青梅三田家、滝山大石家よりも上位にあるべきと考えています。
─府中近衛府、青梅三田家大使館─
─三田綱秀、木住野泰知─
「泰知、2年前の1月に旧主家、前橋上杉家から正式に独立して以来、立花家と同盟を結んでから、波乱の連続だったが、立花家の勢力は広がり、我が三田家を始め、同盟大名は武田家、北条家、里見家、滝山大石家、秩父藤田家、世田谷吉良家、江戸太田家、船橋高城家に及び、古河公方家の勢力を越える事になった。」
「はい、立花家が敵対していた北条家と和解した事には驚きました。さらには我が三田家の領地と国境を接する武田家と同盟した事には誠に安堵致しました。」
「それから2年前の4月には岩槻太田家が立花家を裏切り、古河公方家に寝返った際には岩槻太田家が享受していた品川湊、横浜湊、六浦湊の権利の分配を我が三田家と滝山大石家が戴く事になった。
石高3万石の収入しか無かった我が三田家は今や20万石の収入に等しくなった。
立花家には誠に感謝している。」
「大殿、川越上杉家征伐の恩賞で賜った田波目城、山根城、毛呂城、高取城を加えるとさらに収入が増えます。
それに若君は泥酔軍師、立花将広様の軍勢に従い、房総半島の戦いに参加しております。
さらなる恩賞があるかもしれません。」
「そうなれば良いがな。」
「大殿、先の戦いにて大殿は5000の軍勢を任されております。
見事な戦い振りに立花義秀様からも高い評価を戴きました。
この先の松山上杉家征伐の折りには我が三田家が先鋒となる可能性があります。
三田家の兵力も増強せねばなりません。」
「そうだな。立花家が大きくなると我々も相応の兵力を備えて置かねばならんな。
まずは5000の軍勢を揃えるぞ!」
青梅三田家は収入が増大した分、相応の兵力増強を計る事になりました。
近衛府に大使館を持つ大名家各々に思惑があります。吉良家先代当主、頼高は立花家の同盟大名家の中で筆頭の扱いを受けたいと望んでいます。
三田家とは考えが異なる様です。