1546年(天文15年)5月7日、立花義秀、秩父藤田家を近衛府の仲間に招きます!
藤田重綱は1年前に主家、前橋上杉家に不当な裁定を強いられて、領地の8割を奪われ、本拠地、鉢形城を退去させられ、秩父に引きこもりました。
困窮した処、親戚の大名、青梅の三田綱秀を頼り、立花家と同盟大名家の支援を得る事になり、旧領全域を奪還するに至りました。
立花義秀は今後の結束を深める為、藤田重綱、三田綱秀を府中城に招待しました。
1546年(天文15年)5月7日
─早朝5時頃、府中城天守閣展望台─
─松千代、儀礼部隊─
府中城で毎日行われる早朝の儀式に久々に松千代が参加します。
街にはツツジの花が満開になり、新緑の美しい季節になりました。
小鳥達の囀ずる声が早朝の清々しさを飾ります。
松千代と儀礼部隊の若者20名は水垢離を済ませ、白装束の姿で儀式に臨みます。
松千代の6歳の高音の声が響きます。
「大國魂のぉーぉー!
大神様にぃーぃー!捧ぐぅーぅーーう!
我がぁー!魂をー!
正義とぉー!民のぉー!
安寧の為にぃーぃー!捧ぐぅーぅーーう!
君が代ぉー!斉唱ぉー!」
「君がぁーぁー代ぉーぉーわぁー!
千代にぃーぃーぃ!八千ぃー代にぃー!
さざーぁーれぇーぇー石のぉーぉ!
巌ぉーぉーと、なぁーぁりてーぇ!
苔のぉーぉー!蒸ぅーぅすぅー!
まぁーぁーぁでぇーぇー!」
太鼓が響き、応援歌を歌います。
ダダダン!「ニッポン!」
ダダダン!「ニッポン!」
「おぉーぉーぉー!にぃーぃーっぽぉーぉん!
にぃーぃーっぽぉーぉん!
にぃーぃーっぽぉーぉん!
にぃーぃーっぽぉーぉん!
ハイハイハイハイ!
おぉーぉーぉー!にぃーぃーっぽぉーぉん!
にぃーぃーっぽぉーぉん!
にぃーぃーっぽぉーぉん!
にぃーぃーっぽぉーぉん!
ハイハイハイハイ!」
ダダダン!「ニッポン!」
ダダダン!「ニッポン!」
「奮えぇーぇー!奮えぇーぇー!
た、ち、ば、な!
奮え!奮え!たちばな!
奮え!奮え!たちばな!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
府中城天守閣から大國魂神社に向けて行う儀式は日の出から始まり、府中の街に響き渡り、人々の生活が始まります。
府中城の兵士、文官、城内の奉公人は元より、街中の民が起床すると掃除が始まります。
街の民は玄関先と周りの道を箒で掃き浄めます。ご近所同士挨拶を交わしながら担当する場所の整頓を終えると朝食を食べて1日の生活が始まります。
立花義秀の招待で宿泊した青梅三田家、三田綱秀、秩父藤田家、藤田重綱の二人は朝の儀式に驚いて起床しました。
小姓から水を貰い乾いた喉を潤します。
二日酔いで足元がフラフラしています。
促されるまま、露天風呂に案内されると
立花義秀が手招きして湯船に誘います。
─立花義秀、三田綱秀、藤田重綱─
「お目覚めですな?
おはようございます。
早朝から始まる府中の街の習慣でしてなぁ、一年中、朝日が昇ると儀式が始まります。
二日酔いになると辛いのが難点です。」
「噂には聞いておりましたが、素晴らしい事、街の民は玄関先や、道の掃除を済ませてから朝食を摂ると聞きました。
青梅でも取り入れてみたいと思います。」
などと三田綱秀が語ります。
「あの松千代様の声の響き、神様に捧げる言葉に聞き入りました。
君が代の歌の合唱に応援歌の気合い!
二日酔いですが、気合いを貰い元気が沸き上がりました。」
と、藤田重綱が語りました。
「さて、本日の湯船には青梅から戴いた湯の花、秩父から戴いた湯の花を混ぜております。それに乾燥させた柚子の皮を袋に入れて浮かべております。
柑橘系の香りは気持ちを和らげ、肌艶が良くなります。
身体がほぐれたら、朝食、そして近衛府を見て頂きたく、ご案内致します。
完成した秩父藤田家の大使館を是非ご覧下され!」
義秀は簡単に予定を告げると二人にはゆっくりするように告げて先に風呂から上がりました。
─青梅三田家、三田綱秀55歳─
─秩父藤田家、藤田重綱55歳─
「三田殿、昨年より秩父藤田家の為にご尽力頂き、お陰様にて旧領全域と本家の立場を奪い返す事が出来ました。誠に感謝申し上げます。」
「藤田殿、青梅と秩父は隣同士、我が娘が貴方の嫡男、康邦殿に嫁いでおります。
孫の国松は9歳になりましたな。
孫の笑顔の為にした事でございます。
お気になさらず、これからもお付き合いをお願い致します。」
朝風呂を楽しんだ二人は露天風呂を堪能すると、小姓に案内されて朝食の席に案内されました。朝食会には立花家と関係の深い同盟大名家の前当主達が招かれています。
彼らも湯の花を利用した朝風呂を堪能してから朝食会に出席しています。
─府中城本丸御殿、朝食会出席者─
─立花家─
立花義秀56歳、松千代、鹿島政家、
─世田谷吉良家─
吉良頼高56歳、奥沢秀政
─青梅三田家─
三田綱秀55歳、木住野泰知
─滝山大石家─
大石定久55歳、田野倉英明
─秩父藤田家─
藤田重綱55歳、中山秀征
朝食は二日酔いの義秀の要望で鴨肉の朝粥になりました。
府中産の鴨と秩父産の行者ニンニク、大根おろし入りの朝粥と青梅産の梅干し、世田谷産の里芋煮が出されました。
朝食会に出席した現役当主は立花義秀だけであり、残る四名は家督を譲っていました。
同世代の前当主達と義秀は孫の自慢話を中心に和やかな雰囲気で会話が弾みました。
食後には完熟した枇杷と枇杷茶が出されました。
胃に優しい果実、枇杷なら食した経験がありますが、初めての枇杷茶の旨さに招待された全員が絶賛します。
緑茶の生産は主に青梅三田家と立花家が、瑞穂、入間、狭山周辺で大きな茶畑を持ち、さらに同盟大名家に伝授され、お茶の生産は定着しています。
「ぶはははは!枇杷の葉から作る枇杷茶は二日酔いに最高の薬かもしれぬ。
作り方は簡単だから皆さんにも公開しましょう。」
義秀は気軽に枇杷茶の作り方を説明しました。枇杷の葉を3枚用意して水に付けて表と裏を洗います。葉の裏に薄毛があるので布を当てて優しく取り除き、天日で乾燥させたら細かく刻んで煮るだけで枇杷茶が出来上がります。
葉を洗って乾いたら刻んで煮るだけ、簡単に出来るので緑茶より手軽です。
残った茶葉は肥料になり、抗菌防虫作用があると説明しました。
同盟大名家の領内にはどこでも枇杷が栽培されており、手軽に手に入る為、大いに喜ばれました。
朝食会は和やかに終わり、義秀は同盟大名家の諸侯と家臣達を天守閣の展望台に招きました。府中城の天守閣は5層6階建て、地上から凡そ30メートル、小天守を備えた熊本城の姿を参考に作られました。
土台には武者返しの反り上がりる石垣が組まれ、最先端の建築技術が使われました。
天守閣展望台は四方が見渡せる絶景が自慢です。北に前原城、国分寺城、西に西府城、高幡城と黄金色相輪が輝く高幡不動の五重の塔、そして雪冠の富士山と丹沢の山々が見えました。
南に府中の街、大國魂神社、その先に関戸城と多摩丘陵の山々、西に白糸城、国領城、浅間山城の姿、諸侯と家臣達は絶景に時間を忘れて眺めを堪能しました。
どの城も立派な本丸が周囲に威厳を放って見えています。
展望台の見学を終えた諸侯達は天守閣内部を案内された後、府中城から西に1キロ離れた近衛府(近衛中将府)まで、各々一家毎に漆黒の馬車5台に分乗して石畳の道を走ります。
馬車の周囲には200騎の儀仗騎兵が護衛にあたり、馬蹄の音が軽快に響きます。
近衛府の敷地に差し掛かると石垣の塀に沿って美しい水路が流れています。
やがて近衛府の正門に差し掛かり、1000の儀仗兵が馬車を出迎えます。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
気合いの声を響かせて歓迎を受ける5台の馬車が近衛府に入ります。
馬車から降りると新たに建てられた秩父藤田家の大使館が目の前にありました。
御殿様式の立派な建物は完成されて間もない新築独特の杉や檜の香りが漂います。
100名程が入れる大広間に大使や職員の執務室、会議室、応接間など、畳の部屋と板張りの部屋と多用途に使える様に作られ、武道場、弓道場も併設されています。
大使館から少し離れた場所に大使公邸、職員宿舎、護衛兵士の宿舎が設けられ、各々屋内の風呂と露天風呂が備えられています。
仕事場とと生活の場を切り離して心身の健康が気遣われています。
近衛府は東西南北1キロ四方、周囲4キロの広大な敷地に建てられました。
敷地内には立花家を始め、青梅三田家、滝山大石家、世田谷吉良家、木更津里見家、船橋高城家、江戸太田家、小田原北条家、甲斐武田家、上総公方足利家の大使館がありました。秩父藤田家は11番目の大使館が与えられました。
秩父藤田家の大使館前にて総員整列、兵士の代表20名の合唱部隊を中心に立花家の将兵が君が代を斉唱し、荘厳な儀式が始まりました。大國魂神社、猿渡盛村大宮司がお清めの清酒を散じて祝詞を唱えます。
神々へ無事に完成した事、引き渡しに至るお礼を言上しました。
次に、近衛府の総責任者、立花義秀が挨拶の言葉を語り、秩父藤田家の大使館引き渡しを祝う言葉を述べました。
続いて秩父藤田家を代表して先代当主、藤田重綱が涙を流しながら、お礼の言葉を述べました。
儀式は最後に総員で一本締めが行われ、総員で「パンッ!!」と一発決め、盛大な拍手となりました。
儀式が終わると、秩父藤田家と諸侯の関係者が大使館邸内に案内を受けました。
広い邸内を案内されて藤田重綱の目には涙が滲みました。
お披露目の儀式が一通り終わると立花家の大使館へ移動して昼食会となりました。
前夜に浴びる程呑んだ来客に配慮して、昼食はたこ焼き、鴨肉の蕎麦、ドジョウの天婦羅が振る舞われました。
食後には薩摩芋のモンブランと枇杷茶が出されて大いに喜ばれました。
「何と旨い!」
薩摩芋のモンブランを初めて食べた諸侯達は余りの旨さに驚きました。
「ぶはははは!旨いだろう。
同盟大名家の皆さんの料理人達に伝授いたしましょう。」
自慢気に立花義秀が満面の笑みで答えます。
諸侯は勿論喜び、楽しい時間が流れました。
秩父藤田家の大使館引き渡しが終わり、諸侯達は自国の大使公邸に宿泊する事になりました。立花義秀と松千代は府中城に戻ります。
─立花義秀、松千代─
「お爺、楽しかったねー。
皆喜んでくれたからねー。」
「そうだな。藤田重綱殿は涙を流されておったからなぁ。立花家の為なら命を賭けて働くと申しておったぞ!」
「お爺、この先、立花家が関東を制覇したら、同盟なのか?一門扱いなのか?家臣なのか?3つの中から選別する時になりそうだよ。」
「松千代、そうだな、秩父藤田家、船橋高城家、江戸太田家は特に恩義を感じて事ある毎に家臣にして欲しいと言うて参るからなぁ。」
「お爺、房総半島の里見家の戦いが終結したら反乱軍の主犯達を纏めて立花家が預かるのはどうなの?
史実の里見家は代替りした里見義弘の時代に大規模な反乱が起きるから、放置してたら何らかの問題が残りそうだよ。」
「そうだな、将来の反乱の目を摘むのも必要だな。主な首謀者に下総公方の征伐と常陸国侵攻の先鋒を任せるとするかな?」
「お爺、それと、上総公方、足利頼純様の扱い方をしっかり決めておかなきゃ駄目だよ。
先代の公方様、足利義明様は古河公方、足利晴氏の叔父に当たり、自分が正当な古河公方になるべきだと信じている人物だったよね。
我が母上の兄、里見義尭殿が公方様を支援してるから立花家も支援したけど、跡継ぎの足利頼純様は周りに流されるだけの14歳の若君だよ。地方の貴族領主で安寧な立場に置くのが無難だよ。」
「松千代が言うならそうなんだろう。
大舞台に出さぬように、扱いに気を配るとするぞ。」
二人を乗せた馬車は200騎の騎兵に守られて府中城に戻りました。
史実では、足利一族が任命された公方家、自称して名乗った公方家の大半は北条家に滅ぼされ、残る公方家は自然消滅してしまいました。今の関東に存在する公方家は3つ
①古河公方家、足利晴氏(古河城)
②下総公方家、足利晴宗(小弓城)
③上総公方家、足利頼純(上総城)
立花家が関東を制覇する為には3つの公方家との関わりがどうなるか、注目されます。
秩父藤田家の大使館の引き渡しが終わりました。秩父藤田家が約束通り、正式に立花家の同盟大名になりました。