1546年(天文15年)5月6日、松千代、立花義秀、府中に凱旋!
箱根ケ崎、福生周辺から立花義秀率いる軍勢が府中城を目指して行軍します。
完成から間もない玉川上水を見ながらの行軍中に松千代の好奇心が疼きます。
魚釣りやクワガタ採集など、前世で好きだった事がやりたくなりました。
やがて大國魂神社周辺はお祭りの最終日で多数の民に迎えられて凱旋します。
1546年(天文15年)5月6日
5月4日、入間川河川敷にて戦勝を祝う酒宴を終えると5月5日午前中、立花家嫡男、義國は23000の軍勢を率いて下総国、柏方面に向かいました。
激戦を勝ち切った喜びから、飲み過ぎた将兵が続出していました。
柏方面に向かう軍勢は川越城、鉢形城の戦いの疲労を考慮して1日5里(20キロ)の行軍を組みました。
川越城→戸田城→三郷城→小金城に至る進路で5月7日に戦闘地域に入る予定です。
5月5日、立花義秀は松千代を連れて12000の軍勢を率いて府中に向かいました。
松千代が心配した通り
立花義秀はしっかり二日酔いになりました。
─立花義秀、松千代─
「お爺、きゃははは!鹿島政家、藤田重綱殿、三田綱秀殿もお爺が呑ませるから昨夜はベロベロ、今はヘロヘロだよ。」
「まぁな、愉しくてなぁ、ついつい呑ませて呑んでしまった。反省してるんだがな。」
「お爺、馬に乗るんだから、二日酔いで乗るのはダメなのわかってるでしょう?
きゃははは!胃がムカムカしてキラキラ(胃の内容物)ぶしゃー!になるでしょう?」
「ぶはははは!キラキラぶしゃー!
それは面白い表現だな!
もう今朝から2回もぶしゃー!したぞ!」
祖父と孫のやり取りを聴きながら護衛の兵士達も笑いながら行軍します。
この日は義秀の軍勢は箱根ケ崎、福生周辺に滞陣しました。
5月6日、松千代と立花義秀の軍勢は五日市街道を東へ向かいました。
行軍途中で五日市街道と玉川上水が交差します。玉川上水は2年前、滝山大石家の滝山城が関東管領、前橋上杉家の軍勢に包囲され、立花家の支援で大勝利になった時以来、青梅三田家の協力を得て、羽村から多摩川の水を利用して昨年開通しました。
史実では江戸時代1653年に開設するはずが、凡そ100数年ほど繰り上げて玉川上水を作りました。
玉川上水の本流は五日市街道沿いに流れ、小金井、三鷹の先、井の頭付近で神田川に合流させています。
支流の一部は北東へ分水して史実の野火止用水の様に清瀬、新座方面に流れ、河川の少ない地域に導水する事により、農産物の生産が高まり、名称を変えて武蔵野用水と命名しました。
─立花義秀、松千代─
「お爺、玉川上水の水量凄いよ!
魚が見えるよ!
鮎にウグイが見える!」
「そうだろう、この水が武蔵野の大地を潤して、水田や畑が広がるだろう。
この辺りに住む人々は新鮮な川魚を食べる事が出来る様になり、食生活も向上するだろう。それからこの先にはなぁ、箱根ケ崎城近くの湧水を水源とする残堀川があるんだが、水量が乏しく、残堀川周辺の民の暮らしは厳しい環境だったのだ。
玉川上水から残堀川に分水してみたら水量が増えて最近は残堀川流域に水田や畑が増えたぞ!」
「お爺、田んぼが出来れば川海老、鯰、ドジョウの養殖も出来るよ。
ドジョウ鍋とか、鯰の蒲焼き!
食生活が豊かになるよ。」
「養殖事業か、公共事業として民の暮らしの為にやっても良さそうだな。」
「お爺、川越の開発なんだけど、江戸時代に伊佐沼から導水して荒川と繋ぎ、運河の運用をしたはずだよね。
入間川からも導水して伊佐沼と繋いで運河を作ると良いかも?」
「あの川越城の東の湿地帯の辺りだな?
ならば史実よりも立派な運河を作るぞ!
ついでに水路を狭山、三芳方面に分水すれば水に困ってる地域に田畑が出来るだろう。
楽しくなりそうだな。」
祖父と孫の会話に護衛の兵士も耳を傾けますが、前世の記憶の話題は理解不能の会話として聞き流すしかありませんでした。
やがて五日市街道から府中街道に入り、南下します。府中の街が近付くにつれて沿道に領民が集まり手を振り、勝利を祝福します。
途中で道を東に進み、国分寺城周辺を通る頃には多数の領民が沿道に集まりました。
手を振る領民に立花家の軍勢も手を振って声援に応えます。
国分寺城は令和の時代には殿ケ谷戸庭園と呼ばれる場所に建てられています。府中城から4キロ北にあり、府中街道、国分寺街道を警備する役目があります。
やがて国分寺街道に入り、坂道を下り、野川に差し掛かり、橋を渡ります。
─立花義秀、松千代─
「お爺、野川に鮎が泳いでるよ!
あの頃(前世の頃)は見た事無かったよ!」
「ぶはははは!世田谷で多摩川と合流するんだから、鮎だってここまでやって来るんだぞ!
松千代はまだ、幼いから外出を控えさせていたから知らない事だらけだろう。
地元の地理をしっかり把握せねば未来の立花家を背負う者として恥ずかしいからなぁ。
そろそろ好きな様に外出するが良いだろう。」
「ヒャッハー!お爺!魚釣りしたい!
夏には浅間山にクワガタ取りに行くよー!」
「ぶはははは!好きにして良いぞ!
但し、危ない事はダメだぞ!」
祖父と孫の微笑ましい会話が続きます。
ゆっくりと行軍する立花家の軍勢は午後4時頃、ようやく大國魂神社参道前の並木通りに入りました。
お祭りの為に拡張された道は軍勢が通過する事も想定され、8列縦隊で進む事が可能です。14000の軍勢の長さは凡そ2キロになります。
そして、この辺り一帯の欅並木は立花家の先祖、源氏の棟梁、源義家公が奉納した欅の苗が育ち、凡そ樹齢500年の大木が並ぶ並木道になっています。
「お爺、大國魂神社の大神様と源義家公が青い空の中から笑顔で見ているよ!」
「おぉ?そうなのか?
あの龍の形の雲が見えるぞ!」
「お爺、正解!あの龍雲のあたりから笑顔で迎えてくれてるよ!」
「ぶはははは!そうか、大神様と義家公も喜ばれてるなら安心して酒を呑んでも良いかな?」
「お爺、二日酔いが抜けたばかりで、まだ呑めるの?」
側に控える兵士達がクスクス笑っています。
この日、5月6日は大國魂神社の暗闇祭りの最終日です。府中の街に関東各地から人々が集まり、賑やかに盛り上がる頃に立花義秀率いる14000の大軍が多数の軍旗を掲げて登場しました。
府中囃子の賑やかな演奏の響きの中、領民の拍手と歓声が上がります。
テンテンテテツクテンツクツ!
テンテンテテツクテンツクツ!
太鼓と鐘の音、笛の音が響きます。
「松千代様ぁー!
誕生日おめでとうございまーす!」
「義秀様ぁー!大勝利おめでとうございまーす!」
「松千代様ぁー!」
「義秀様ぁー!」
領民から多数の声が掛かります。
松千代、義秀も笑顔で手を上げて歓呼に応えます。
領民は日の丸の小旗を振って出迎えます。
兵士達も誇らしげに胸を張り、手を振り歓呼に応えます。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
数千の軍勢が気合いを上げると拍手と歓声に包まれました。
やがて大國魂神社の正門に到着すると、立花義秀、松千代と主だった諸将が馬から降りて整列すると、大鳥居にて一礼します。
目の前には大國魂神社の大宮司、神職一同が一礼して出迎えます。
先代大宮司、猿渡盛胤が松千代に声を掛けて抱き上げます。
「松千代!凄いじゃないか?
川越城と鉢形城で大活躍と聞いておるぞ!
百済神社の神様と諏訪の神様にお世話になったと聞いたぞ!」
「はい、ご老公さま、神様のお導きがあったからね、みんなに頑張って貰ったから、偉いのは瀬沼のにぃーにと、鹿島のにぃーにと、たくさんの兵士の皆さんだよ!」
「そうか、なんと謙虚な!
義秀!お前が羨ましいぞ!
神々に愛された孫に恵まれおったな!」
ほっこりする会話をしながら本殿に向かいます。本殿にて祝詞を上げて戦勝報告を済ませると、お祓いを済ませて儀式が終わります。
大國魂神社の暗闇祭り最終日の為、簡素に済ませました。
正門まで、大宮司、神職達に見送られ、大鳥居にて互いに一礼すると、立花義秀と松千代達は馬に乗り、府中城を目指して行軍を再開しました。
沿道の多数の民の歓声があがります。
大國魂神社の周囲数キロの範囲には大國魂神社の系列の一之宮から六之宮までの6台の山車と大國魂神社の山車が加わり7台の山車と各々日本最大級の大太鼓7台が付いて順路を巡ります。
大太鼓の重低音の衝撃波を全身に浴びながら14000の軍勢が府中城に向かいます。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
府中城に至るまで将兵の声が響きました。
立花義秀の軍勢は府中城に帰還しました。
府中城に戻り、松千代と義秀は久々の露天風呂に入り、小姓達に垢擦りをして貰い、全身が軽くなり、心身共に楽になりました。
「ぷはー!お爺!天国じゃー!」
「天国だな、秩父土産の湯の花を溶かした温泉だぞ!骨まで染み込む程気持ち良いぞ!」
半月程の遠征の間、二人は湯を沸かして行水程度の湯を浴びていましたが、本格的に湯船に浸かり、疲労が癒されました。
今宵は青梅三田家当主、三田綱秀、秩父藤田家先代当主、藤田重綱を招いての宴会です。
「お爺!呑みすぎたらダメだよ!」
松千代は無駄と理解しながらの忠告をしますが、「努力はしてみるぞ!」
と答える義秀…
小姓や側近達がクスクス笑います。
翌朝、義秀は三田綱秀、藤田重綱を道連れに二日酔いになりました。
立花義秀の軍勢は大國魂神社、暗闇祭り最終日に凱旋を果たしました。
沿道の民の熱烈な歓迎を受けてお祭り最終日が盛り上がりました。