1546年(天文15年)5月4日、松千代、立花義弘、川越に凱旋!
立花義弘率いる軍勢が川越に入りました。
入間川河川敷にて父と兄の前で凱旋行軍をする事になりました。
1546年(天文15年)5月4日
立花義弘の軍勢は鉢形城から南東に進み、川越を目指して進みました。
義弘は父、義秀に鉢形城攻略に功績を挙げた将兵を謁見して欲しいと要望していました。
─立花義弘軍、総勢22000─
立花義弘5000
福島正義5000
三田綱秀3000(立花家貸出し2000)
伊集院忠久4000
鹿島政勝4000
大石家、田野倉英明1000
三田家、木住野泰知1000
立花義秀は次男、義弘の要望に応え、凱旋する軍勢を観る為に川越城から西へ4キロ、入間川河川敷に長男、義國を伴い15000の勢を引き連れて出迎えました。
鉢形城は前橋上杉家から奪い、川越城は川越上杉家から奪いました。
これで立花家と秩父藤田家、青梅三田家の同盟大名家が北武蔵に大きく領地を広げる事になり、凱旋する軍勢がその勢力を誇示する事になります。
入間川河川敷には敵国の間者が様子を探る事を承知しています。
義秀は河川敷に高さ2メートルの物見台を持ち込み、長男、義國を隣に座らせて凱旋する次男、義弘の軍勢を謁見しました。
この辺りの河川敷は広大な荒れ地、草原が広がり、100000以上の大軍が集結可能な程の広大な土地でした。
入間川の彼方には秩父の山々、奥多摩や丹沢の山々と富士山が美しい姿を魅せています。
─午前11時、入間川河川敷─
先頭の軍勢がやって来ました。
「エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!
エイ!トウ!エイ!」
物見台の義秀、義國の前を通る軍勢が太鼓の音に合わせて掛け声を張り上げ、見渡す限りの大地に響きます。
立花義弘勢、三田綱秀勢、伊集院忠久勢、鹿島勢、大石家、田野倉勢、三田家、木住野勢、総勢22000が立花家当主と次期当主の謁見を果たしました。
いずれの軍勢も秩父方面で輝かしい戦果を挙げ、謁見の栄誉を受けるに相応しい将兵達です。
一番盛り上がったのは鹿島勢が物見台の前を通る時でした。
龍魂の軍旗を掲げた松千代が率いる鹿島勢が立花義秀、立花義國の前を行進する時でした。川越城の攻防戦で3度の戦いで戦果を挙げて、鉢形城の攻防戦でも大きな働きが知られており、将兵から絶大な歓声が上がりました。
「松千代様ぁー!
お誕生日、おめでとうございまーす!」
「松千代様ぁー!」
多数の兵士達から声が掛かります。
太鼓が響き、応援歌が始まります。
ダダダン!「ニッポン!」
ダダダン!「ニッポン!」
「おぉーぉーぉー!にぃーぃーっぽぉーん!
「にぃーぃーっぽぉーん!」
「にぃーぃーっぽぉーん!」
「にぃーぃーっぽぉーん!」
「はい!はい!はい!はい!」
「おぉーぉーぉー!にぃーぃーっぽぉーん!
「にぃーぃーっぽぉーん!」
「にぃーぃーっぽぉーん!」
「にぃーぃーっぽぉーん!」
「はい!はい!はい!はい!」
「ダダダン!ニッポン!」
「ダダダン!ニッポン!」
ダダダン!「まつちよ!」
ダダダン!「まつちよ!」
松千代は川越城の攻防戦で神様のお告げで3度、大きな功績を挙げ、鉢形城でも2つの大きな功績を挙げました。
将兵達は神様のお告げを伝えるだけで無く、自ら軍勢を率いて戦う6歳の松千代を信奉しています。
松千代の事を神様の皇子と呼ぶ者まで現れています。
─入間川河川敷、物見台─
─立花義秀、立花義國─
「義國、ここから見渡す限り、入間川の河川敷周辺では広大な土地が手付かずで残されておる。お前に川越城と周辺の新領地を任せた故、水路や土手を整備して、米、麦、野菜等の大きな生産地に育てるが良い。」
「はい!父上、お任せください。
数年で大きな生産地に致します!」
「さて、松千代の事だがなぁ、川越城の攻防戦では神様のお告げを受けて戦いを勝利に導く貢献している。奇襲を受けて討ち死に寸前のお前を救出した事は良く覚えているだろう。
松千代はなぁ、鉢形城でも奇襲されて危うかった義弘の元に駆けつけて命を救った事はお前も聞いているだろう。
今の松千代は別格の才能を備えておる。
最近は夢のお告げ以外にも戦の才能も発揮し始めておる。
松千代こそが大國魂神社の大神様と源義家公の選んだ天下統一を完成させる人物と思うのだ。俺達の役割は松千代に天下を取らせる事だ!
「はい!肝に命じます!」
「それでだなぁ、川越城の城下町の復興やら後始末は良いから、お前には下総国、柏方面に遠征して貰うぞ!
古河公方軍が柏城周辺に進出しており、本多広孝、畠山忠國らの軍勢と膠着状態になっている。
お前が総大将!義弘を副将とする!
軍勢を従えて柏方面の戦いを鎮めて参れ!詳細は鹿島政家から説明する!」
「はい!柏方面!古河公方軍!
義弘と一緒に!?
それは望む処にございます!
父上、御配慮ありがとうございます!」
「長男、次男の二人合わせ23000程の軍勢になろう。古河公方を柏方面から追い出すだけで良い。
兵力の差で追い払って参れ!」
─下総国、柏方面援軍─
立花義國5000
東郷信久3000
山口頼継2000
立花義弘5000
福島正義4000
伊集院忠久4000
総勢23000の軍勢が柏城周辺を制圧した古河公方軍と戦う為に派遣されます。
援軍として派遣される立花義國が現地の軍勢の総大将となります。
─立花家、下総国、柏方面軍配置状況─
─小金城周辺13000─
本多広孝5000
加賀美和久3000
高城家、高城義春5000
─花輪城周辺12000─
畠山忠國4000
江戸太田勢2000
安藤義長3000
小山田信盛3000
筆頭宿老、鹿島政家から立花義國に現地の状況が説明されました。
─立花義國、鹿島政家─
「義國様、古河公方軍24000が高城家の領内、下総国北部、柏城周辺を制圧しています。
これに対して現地の立花家の駐留軍、本多広孝が率いる軍勢13000、援軍の畠山忠國の軍勢12000、合計25000が古河公方軍の進撃を食い止めましたが、膠着状態です。
義國様は総大将として総勢48000の軍勢を率いて頂きます。
古河公方軍を撃退して国境まで追い返し、我孫子周辺、利根川沿いの地域一帯を確保して頂きます。
「政家、柏方面で古河公方軍を撃退したとして、次に岩槻太田家の本拠地、岩槻城を攻めるべきかと思うのだが、政家はどう思うか?」
「義國様、岩槻城より、優先すべき事がございます。房総半島、上総国の戦いにて立花将広様が古河公方の配下の常陸国の佐竹義廉の軍勢を味方に引き抜きました。
古河公方家は佐竹家の裏切りを許さず、必ず佐竹征伐に手を出すでしょう。
立花家は常陸国南部に進出して佐竹家を支援する必要があります。」
「政家、昨年9月、佐竹義篤が亡くなり、その直後に古河公方軍に水戸城まで攻められて佐竹家は降伏して古河公方家の軍門に屈したよな?
跡継ぎ佐竹義昭は15歳で、今回は叔父の佐竹義廉が上総まで軍勢を率いて、立花家に降伏…
これは、佐竹義廉の独断で、本国では把握して無いかもしれんな?」
「はい、詳細は不明ですが、常陸国の最大勢力、佐竹家を味方に出来れば常陸国内の諸勢力が立花家に靡く可能性が高まります。
常陸国南部に進出して常陸国内の古河公方家の勢力を弱める必要があります。」
「承知したぞ!将広叔父の功績を無駄には出来ぬからな。柏城周辺を奪還するぞ!
古河公方軍を追い払い、利根川対岸に進出してやるぞ!」
立花義國は翌5月5日、川越城を出発、軍勢は→戸田城→三郷城→小金城に5月7日に到着する日程が組まれました。
立花義秀は長男、立花義國と凱旋する次男、義弘の軍勢を謁見しました。
謁見が終わると義秀は長男、義國に更なる経験を積ませる為、柏方面の鎮圧に向かう事を命じます。