1546年(天文15年)4月26日、立花義秀、鉢形城に派兵を決意!
秩父方面の状況が有利になりました。
立花義秀の判断は?
1546年(天文15年)4月26日
─早朝、立花家、川越城─
─立花義秀、鹿島政家─
早朝の川越城に秩父からの知らせが届きました。4月25日朝、越後上杉家の援軍、本庄実政、柿崎信秀の軍勢が帰国、午後には長瀞城を降伏開城させた事が判明しました。
「殿、本庄実政が親書を預かり、越後上杉家当主、上杉房朝に届ける様ですが、前橋上杉家の筆頭宿老、長尾憲長の死去で影響が出るかもしれません。」
「政家、立花家の親書を受け取れば、越後上杉家は朝廷の意向に逆らわず、前橋上杉家への支援が手控えられると見ていたが、長尾憲長の死去で影響があると思うのか?」
「殿、懸念がございます。
前橋上杉家の筆頭宿老、長尾憲長の死去、川越上杉家は当主、上杉朝定、筆頭宿老、長尾信忠が亡くなりました。
越後の国主から見ると自国の影響下にある
二つの国が迷走する可能性があります。
川越上杉は川越城を失い、消滅の危機にあると見えましょう。
本拠地が松山城になりますが上杉朝定は21歳で亡くなり、後継者がおりません。
越後上杉家から後継者を送り込む事になれば厄介な事になります。
越後上杉家の安泰を考えるならば、親書の提言を無視する可能性があります。」
「そうか、越後本国から見える物は我々と違う可能性があるんだな?
ならば古河公方、足利晴氏と筆頭宿老、梁田高助はどうするか?
足利一族から上杉朝定の後継者に養子を送り込む可能性があるだろう?
古河公方家筆頭宿老、梁田高助の弟、梁田義助が松山城へ入城しているからな。」
「殿、古河公方家も上杉朝定の後継者に一族から選んだ人物を送り込む可能性があります。
どちらにせよ、後ろ楯が大きくなり、油断は出来ません。
今は川越上杉家と年内停戦の約束をしております。
新領地の内政を優先するしかございません。」
「そうだな、年内は停戦故、まずは川越の新領地をしっかり把握せねばならん。
大火で焼けた城下町の復興が優先だ。
それから上杉家が本拠地を松山城に移転した故、松山上杉家…武蔵松山上杉家…
決めた!新たな名称は武蔵松山上杉家!
これで良いか?」
「はい、武蔵松山上杉家にて名称を通達致します!」
「さて、それから、秩父の状況が断然有利になった故、秋口に鉢形城攻略の予定だったが、繰り上げるぞ!」
─鉢形藤田領、鉢形城攻撃部隊─
立花義弘5000
福島正義4000
三田綱秀4000
諏訪頼宗3000
合計16000
立花義秀の命令で立花義弘を主将に鉢形城攻撃部隊が編成され、先鋒を三田綱秀が努めます。
正午過ぎに川越から軍勢が出発しました。
青梅三田家の新領地、毛呂山、越生を通過して北西に向かいました。
立花義秀は秩父方面の完全制覇を目指して鉢形城の攻撃を決断しました。




