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戦国立花家三代、新日本国戦記、大國魂神社の大神様に捧ぐ!織田信長を倒して全国統一を目指します!  作者: 近衛政宗


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1546年(天文15年)4月25日、秩父方面に動き有り!

越後上杉家、援軍の主力、本庄実政、柿崎信秀の軍勢が帰国しました。

律儀に本庄実政から伊集院忠久に連絡がありました。


1546年(天文15年)4月25日


─鉢形藤田家、天神山城─


鉢形藤田家を支援する為に秩父に侵攻した越後上杉家の軍勢は4月19日、秩父藤田家、立花家の連合軍と激戦の末、主将の本庄実政が捕虜になる壊滅的大敗を喫しました。


捕虜になった本庄実政は立花家の伊集院忠久と対面すると越後上杉家当主、上杉房朝宛ての親書を託されて解放されました。


天神山城に戻った本庄実政は立花家から越後上杉家当主、上杉房朝宛ての親書を託された事を明かします。

これ以上戦う事は越後上杉家の為にならずと、柿崎信秀、上野勝家と話し合い越後本国に帰国を働きかけますが、二人は同意しません。立花軍の捕虜になった本庄実政の事が信じられず、立花家軍に内応している疑惑を持たれてしまいました。

柿崎信秀、上野勝家は鉢形藤田家の支援継続を主張して譲らず、撤退派の本庄実政と意見が合わず、膠着状態となっていました。


しかし、4月24日、前橋上杉家、川越上杉家、両家の筆頭宿老が同日に死去する知らせと、川越城周辺の戦いに大敗した悲報が届きました。

越後上杉勢は前橋上杉家の最高権力者、長尾憲長の依頼で鉢形藤田家の援軍を引き受けていました。

依頼主の死去に伴い、今後の対応について協議した結果、本庄実政、柿崎信秀の軍勢が越後に帰国、上野勝家勢が天神山城に残る事になりました。


4月25日、本庄実政、柿崎信秀の軍勢が越後に向けて出立しました。

本庄実政は使者を通じて秩父藤田家、立花家に帰国する事を伝えました。


─秩父藤田領、皆野城─

─立花家、伊集院忠久、藤田康邦─


伊集院忠久の軍勢に捕虜になりながら解放された恩義を忘れず、使者を通じて帰国の挨拶として僅かに情報を提供して来ました。

本庄勢と柿崎勢が帰国する情報だけでも大きな情報です。


「藤田殿、越後勢の大半が帰国しました。

天神山城に残る上野勢1000、鉢形城に越後上杉軍、沼田勢が1000から2000、鉢形藤田勢が1000、出撃可能な軍勢は最大でも4000程度になります。

最大で19000だった敵が4000に減りました。

こちらから攻勢に出るべきです!

長瀞城を奪還しましょう!」


「伊集院殿、感謝致します!

しかし、奪還しても立花家にお礼する事がでが出来ません。」


「藤田殿、秩父の神々が鉢形藤田家では無く、秩父藤田を選びました。

それを忘れてはなりません。

秩父の神々の郷を秩父藤田家が統治するべきです。

立花家はお手伝いをさせて頂きます!

これは、主の立花義秀からの命令にございます。」


「伊集院殿、秩父藤田の先祖に成り代わり、深く感謝申し上げます!」


秩父藤田家当主、藤田康邦は立花家の無欲な申し出に頭を下げて涙が溢れました。


伊集院忠久が地図を広げました。

「ご覧あれ、敵の長瀞城の兵力は推定400です。これを伊集院勢4000と藤田勢1000の軍勢で包囲します。

長瀞城の北、1里弱(3キロ)に天神山城の越後上杉家の上野勢が控えていますが、天神山城の荒川対岸付近に岡本勢2000を配置します。我が軍勢7000にたいして上野勢は先日の大敗の為、精々1000の軍勢です。

長瀞城は3日あれば落ちると思われます。

鉢形藤田家の本拠地、鉢形城には2000程の兵力しかありません。

鉢形城の南1里(4キロ)辺りに三田家の軍勢1000を配置して牽制致します。

これで鉢形城からの兵力を封じます。」


「伊集院殿、見事な配置です。

敵の戦意が下がると思われます。」


「数日に及ぶ激戦の為、こちらも消耗しています。心理戦に持ち込み、優位に構えたいと考えています。長瀞城を囲み、藤田殿から長瀞城に降伏勧告して頂きます。

総大将は藤田康邦殿、立花家はお手伝いでございます。」


「伊集院殿……感謝致します!」

立花家の無欲な事に感激して又、涙が滲みました。


正午過ぎに秩父藤田家、立花家の軍勢が動きました。

伊集院勢と秩父藤田勢の5000が皆野城を出発、3キロ先の長瀞城を包囲しました。


国神城から出発した岡本勢2000が天神山城の対岸に布陣しました。

荒川を挟んで天神山城に圧力を掛けました。

天神山城の上野勢は3キロ先の長瀞城の救援に向かう事を封じられました。



長瀞城は秩父藤田家、三峯神社の神旗、秩父神社の神旗、立花家の軍勢が掲げる菊紋の軍旗に囲まれ、心理的に追い込まれました。

元々秩父の神々を恐れる農民中心の徴発された兵士達です。

忽ち戦意が下がりました。

「エイ!トウ!エイ!

エイ!トウ!エイ!

エイ!トウ!エイ!

エイ!トウ!エイ!」

包囲した軍勢が威嚇の声を挙げます。

長瀞城の兵士達は恐怖を感じていました。


藤田康邦が長瀞城へ使者を送ります。

数日前の大敗と越後上杉家の軍勢が引き上げて戦意の低下は著しく、城主浅見和敏は降伏を決意しました。


夕刻、長瀞城は降伏、長瀞城は開城して藤田家に接収されました。










長瀞城が半日掛からずに降伏開城しました。

次は天神山城攻略に動くのでしょうか?


立花家の軍勢も激戦の為に死傷者と疲労の激しい兵士を戦力から外しています。

天神山城攻略は簡単ではありません。

果たして次の展開は?

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