1546年(天文15年)4月24日、川越城攻防戦、上杉朝定が最前線に現れ、戦いが動きます。
午前中の戦いで川越上杉軍が健闘しました。
最前線に総大将、上杉朝定が現れ、将兵の士気が高まりました。
1546年(天文15年)4月24日
─正午、古河公方家、梁田勢陣地─
午前中の戦いで立花義弘の軍勢11000は西第四砦を餌に梁田勢を誘き寄せて包囲を試みました。川越城から援軍が加わり、川越上杉家、当主、上杉朝定が別人になったかの如く最前線に現れ、梁田勢の救援に成功しました。
─上杉朝定、長尾信正─
「殿、余り前に出過ぎぬ様にお願い致します!
殿を見かければ立花軍の弓に狙われ、大変危険でございます!」
「信正、出過ぎぬ様にする、初めて前に出たが、実戦は結構疲れるんだな?」
普段の上杉朝定は弓、槍、太刀、乗馬の訓練等、最低限の鍛練しかやりません。
武芸は苦手、趣味の遠乗りで馬を走らせるのが好きな、過保護に育てられた御曹司に過ぎません。過去の立花家との戦いでは前線から離れた安全な本陣に居るのが常でした。
「信正、城の中で自害するまで粘るより、城外で生死を賭けて潔く散りたいのだ!」
「殿……いつの間に……?」
「信正、別人になったみたいだろう?
長尾信忠が父の如く大好きだったのが解ったからな、信忠の居ない川越城に未練が無いのだ!松山城にも逃げたく無いのだ!」
「殿、何処であろうと、信正がお供致します!」
周囲の将兵達が朝定の言葉を聞いて驚きました。上杉朝定の覚悟を知った瞬間でした。
若干21歳の当主の決意が将兵に伝われば、普段よりも士気が上り、手強い軍勢になります。
─立花家、今福城─
─立花義秀、鹿島政家─
午前中の戦況は特に進展は無く、川越城の北門、東門、南門の守備は固い状況にあり、突破出来る見込みがありません。
西第四砦と梁田勢の陣地付近に両軍の兵力が集まり、午後から激しい戦いが予想されます。前線の立花義弘から戦況が報告されました。
「政家、梁田勢の救援に上杉朝定が出て来たらしいな?
臆病な人物と認識していたが、勇気があるじゃないか?」
「はい、上杉朝定が最前線に出て来たのは幸運です。難攻不落と称される川越城に籠城されるより、野外決戦の方が確実に仕留める確率が上がります!
今は梁田勢の陣地に7000程の軍勢が集結しており、この軍勢が敵方の要にございます。包囲して潰すべきかと存じます!」
二人は川越城の地図を見ながら、両軍の兵力を駒で配置して考えます。
「そうだな、義國の軍勢から5000を梁田陣地の北側から背後を攻撃させる!
我が本陣から髙梨義成に5000を与え、大手門を封鎖させる!
上杉朝定を城に戻らせぬぞ!
さらに、田波目城から川越城の北西に三田綱秀の軍勢が移動してるはずだ、
西第四砦、梁田勢陣地、大手門、自由自在の攻撃を任せる!
政家、それで良いな?」
「はい、理想的な配置と思われます。
直ぐに手配致します。」
午後から兵力配置を変更する立花軍は3倍強の兵力差を生かした戦いを進めます。
立花軍の攻撃に上杉朝定がどんな戦いをするのでしょうか?




