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1546年(天文15年)4月24日、立花軍、川越城攻撃へ!

西第四砦と梁田勢の陣地を巡る攻防が川越城の運命を左右しそうです。

激しい戦いが始まります。

1546年(天文15年)4月 24日


早朝から立花軍が動きを見せました。

─川越城北門、東門攻撃部隊─

主将、立花義國13000


─川越城西第四砦、南門攻撃部隊─

主将、立花義弘11000


立花軍の主力部隊は次期立花家当主と次男の軍勢24000に託されました。


今福城本陣に立花義秀の軍勢8000

田波目城から三田綱秀の軍勢5000が川越城の西側に向かっています。

予備の軍勢が13000

さらに、松千代が府中から率いてきた600騎が今福城本陣に滞在しています。


上杉家から立花家に投降した兵士は800を超えて増え続け、大胡重家、広沢政弘に任せて収容中です。


─川越城、川越上杉軍─

─北門守備隊500─

─東門守備隊500─

─南門守備隊500─

─大手門守備隊500─

─西第四砦守備隊500─

─西第四砦支援部隊、梁田義助3000─

─上杉軍、出撃可能部隊5000─


─立花軍37600─

─川越上杉軍10500─


立花軍が3倍以上の兵力優位になりました。

城攻めの基本は城方の3倍と言われています。

立花軍が二度の戦いで前橋上杉軍8000を粉砕して帰国させた事が鍵になりました。さらに、前橋上杉軍は秩父に越後上杉軍8000を含めた19000を派遣して秩父藤田家の攻略に失敗、大敗してしまいました。


前橋上杉軍の予定では秩父藤田家に勝利した軍勢が川越の戦場に現れ、前橋上杉、川越上杉連合軍は35000前後の軍勢で立花家に対抗する戦略を考えていました。

今は亡き前橋上杉家、筆頭宿老、長尾憲長の考えた戦略でした。

秩父に19000の大軍を派遣すれば勝てると楽観したのが間違いとなりました。

秩父遠征軍は各地で各個撃破され、計画は頓挫したまま、長尾憲長は詳細を知らぬまま永眠しました。



─早朝、立花家、今福城本陣─

─立花義秀、鹿島政家─


「政家、前橋上杉軍が、秩父に軍勢を送らず、全力で川越に来ていれば、危なかったな?」


「はい、全力で川越に参れば敵の連合軍は35000ほどになりましょう。

立花家は33000と今より減ります。

敵の重臣を鞍替えさせるのは至難となり、全く違う戦いになり、苦戦必須と思われます。」


「危なかったな、立花家は秩父藤田家の援軍に伊集院勢5000と青梅三田家、滝山大石家から1000ずつの7000だけで、残るは近衛府中将府の駐留軍と秩父藤田家の軍勢だけで勝ってしまったからな、ぶはははは!

褒美を奮発せねばならんな」


「殿、秩父の近衛中将府の長官、岡本政國を指名したのは松千代様です。

秩父藤田家の援軍の主将、伊集院忠久を指名したのも政千代様です。

二人が大活躍しております。

秩父の神々が松千代様を通じて助けてくださりました。

そして川越にては百済神社の神様から松千代様にお告げがあり、勝利に繋がりました。

紙一重の勝利かと思われます。」


「ぶはははは!

神々のお告げに救われて紙一重の勝利か……?

いや、大勝利続きに見えて、実は紙一重?

敵が逆の策で来てれば負けてる戦いもあったという事だな?

考えただけでぞっとする……」


「殿、私自身が数日前に敵に四方を囲まれ、死ぬ覚悟を致しました。

正に死と紙一重の瞬間に松千代様が府中から率いてきた600騎に救われました。

あの時、紙一重とは物事の裏返し、命とは常に紙一重と思う様になりました。」


「んんん??政家?難しいな?

死と紙一重の境地か?」


そこに松千代が現れました。

「人間ごじゅうねんーんーん!

げてんのうちおーぉー!

くらぶれぶぁーぁーあー!

夢ぇー幻のぉーぉー!

如くなりぃーぃー!

ひとたびぃー!生を受けぇーぇー!

滅せぬ者のぉーぉー!

有るべきかぁーぁー!」


松千代が扇子を片手に唄いながら舞いを演じました。


「ぶはははは!久々に敦盛をやってくれたな?

可愛い!見事じゃ!」


「政家おじさん!敦盛の唄の気持ちが解ったんだよね?紙一重の気持ちだよね?」


松千代がキラキラ目線で見つめ、鹿島政家は満面の笑みで松千代に語ります。


「松千代様、敦盛の境地に至りました。

これはあの時、松千代様に救援して頂いた時に悟りました。有り難うございます。」


「ぶはははは!

松千代が政家を敦盛の境地に導いたのか?

命とは紙一重?紙一重だから…懸命に生きるべし!と言う事か?」


「お爺、正解!一期一会、紙一重、まぁ茶の湯の境地に近いかも?

右か?左か?選択を間違えたら一寸先は闇みたいな?お爺、一期一会、紙一重、これはね、大國魂神社の大神様から授かったの、人の道は一期一会、人の道は紙一重、この言葉を大事にしなさいと教えられたょ。」


「おぉ、そうか、人の道は一期一会、人の道は紙一重……茶の湯みたいな境地だな?

松千代!大神様から授かった言葉を大切に生きるぞ!」


「お爺、偉い!」

孫に煽てられて義秀はご満悦でした。



─川越城北門、東門攻撃部隊─

─主将、立花義國13000─


立花義國の軍勢は停戦時に封鎖していた北門と東門前の馬防柵を外して封鎖を解除しました。

城方は門前に土嚢を重ねて弓隊と長槍隊が守りを固めています。さらに盾を並べて立花軍の弓の連射に対抗しました。

土嚢と盾の壁を作り、逆茂木をならべています。その周囲に土嚢を不規則に配置する事で接近する立花軍は足元が悪い状況になり、守りを固めた上杉軍が有利な戦いとなりました。


─川越城西第四砦、南門攻撃部隊─

─主将、立花義弘11000─


南門前には城方が配置した馬防柵と土嚢、盾を組み合わせた陣地が築かれ、逆茂木を並べて固い守りを見せます。


立花義弘は南門には牽制的な攻撃に限定させる事にしました。

敵方が元気な状況では不利、疲れた頃まで待つ策を取りました。

狙いは西第四砦と古河公方家の援軍、梁田義助の軍勢3000に絞ります。


川越城の西第四砦と大手門の距離は2キロ、

その中間に梁田義助の軍勢3000が陣地を構えています。

梁田義助の軍勢を排除しない限り、川越城の西にある大手門に迫る際には川越の街中で市街戦になり、地勢に詳しい敵方が有利でした。

しかも街中の要所に隠し弓矢倉と伏兵が配置されており、高所から弓に狙われ、苦戦を強いられました。


立花義弘はまず、西第四砦の西から2000、南から2000の軍勢に攻撃させました。そこに梁田勢が援軍に現れます。

西へ1000、南へ1000を支援に向かわせました。梁田義助は本隊1000を率いて

後方に待機しています。


梁田勢に対して寄せ手の立花軍は守勢に転

じ、後退を偽装します。

背後から梁田勢に対して西へ2000、南に2000を加勢して支援する梁田勢を二分して包囲を試みます。


「罠だ!引き返せ!

伝令!各部隊、包囲を回避せよ!

伝令!川越城へ救援要請に走れ!」


梁田勢は包囲されぬように退避して陣地に退避を試みます。

立花義弘は第四砦と梁田勢の連携と、更に川越城から援軍が来るのか試していました。


立花義弘は追撃部隊2000を繰り出して梁田勢を追い込みます。

陣地に戻る前に包囲殲滅を狙います。


─川越上杉家、川越城、上杉朝定─


早朝から北門、東門、南門の戦闘が始まり、

西第四砦付近の戦闘は開戦当初から川越城の上杉朝定まで知らせが届いていました。

直ちに援軍に河越勝重の 1000が出撃していました。


「西第四砦と梁田勢が危ない!

俺も出るぞ!長尾信正!今は亡き兄、信忠の精鋭をお前が引き継げ!

俺の旗本と合わせて2000!

今から救援に向かう!

曽我和正!

後の総指揮を任せる!」


止める間も無く朝定は出撃します。

残された曽我和正は朝定不在中の総指揮を任されました。

まだ決まらぬ筆頭宿老の座が自分に与えられる可能性を感じて朝定を引き留めませんでした。しかし、万が一を考え、宇田川長広に朝定の後詰めを頼み1000の軍勢で朝定の後を追わせました。


梁田勢は包囲されまいと抵抗しますが次第に包囲の輪が縮まり、危機をむかえた時、河越勝重の軍勢1000が救援に駆けつけました。河越勝重が叫びます。

「密集隊形!槍を揃えろー!」

長槍部隊が槍先を揃え、包囲の網に穴を開けました。

立花軍は弓の連射で河越勢の長槍部隊に攻撃を加えます。態勢を建て直した立花軍が両翼を広げ、再び包囲を試みます。

10000の軍勢で4000の上杉軍を包囲にかかります。


その時、上杉朝定の軍勢2000が現れました。朝定は部隊の先頭に進みました。

「命を惜しむな!南に進み!

敵を崩すぞ!前に進めー!」

「おぉー!」

朝定の声に兵士達も驚きながら馬上の朝定に従います。


朝定の軍勢は立花軍の一角を押し返し、東から南に進み、包囲を崩すと、さらに北へ密集隊形で進みました。

「進めー!命を惜しまず前に進めー!」

叫ぶ朝定に兵士達の士気が高まります。

夢中で戦い、梁田勢を陣地に下がらせます。

さらに川越城から宇田川長広の軍勢1000が加勢しました。

川越上杉軍の士気が盛り上がり、立花軍は追撃を断念しました。

川越上杉軍の軍勢は梁田勢の陣地に入り、救援に成功しました。


立花義弘は、意外に手強い朝定の軍勢を受け流し、追撃を中止、再び西第四砦の攻撃に切り替えました。


西第四砦攻撃に福島勢4000、梁田勢の陣地前に鹿島勢4000を配置、立花義弘は予備の軍勢として3000を率いてどちらにも動ける中間に布陣しました。


立花義弘は今福城の父、立花義秀に戦況を報告しました。

午前中三時間に及ぶ戦いは、一旦落ち着き、

立花家の軍勢は携行食料を取り、午後からの戦いに備えて休憩を取りました。


















西第四砦の危機を知り、上杉朝定が率先して最前線に向かいました。

今までの臆病な君主ではありません。

長尾信忠の死が彼を変えたのでしょうか?


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