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戦国立花家三代、新日本国戦記、大國魂神社の大神様に捧ぐ!織田信長を倒して全国統一を目指します!  作者: 近衛政宗


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1546年(天文15年)4月23日、上意討ちに成功した上杉朝定が川越城に戻ります!

上杉朝定が命じた上意討ちが成功しました。

川越城内では後始末に上田派狩りが始まりました。

結束を高めるはずが、立花義秀の仕掛けに嵌まります。

1546年(天文15年)4月23日


─未明、川越上杉家、塚越城─

─上杉朝定、長尾信正─


川越城から上意討ち成功の知らせが入りました。川越城全体を制圧、上杉朝定の帰還を待っているとの知らせが届きました。


「やったぞ!信忠の仇を討ったぞ!

信正、川越城に戻るぞ!

立花家には約定の破棄を通告せねばならぬ、信正任せて良いか?」


「はい、喜んで立花家に通告して参ります。兄、長尾信忠謀殺の為に混乱した事を正直に伝えて正々堂々戦う事を伝えて参ります!

まず、西第四砦の古河公方軍、梁田勢に事態を知らせた上、立花家に通告して参ります!」


「解った!信正に全権を与える!

立花家と新たな取り決めが話し合われるなら、信正が即断即決して構わぬが、長尾信忠の弔う時間だけ交渉してくれないか?

出来るだけ引き延ばし、新たな防御配置をせねばならぬ、心苦しいが信忠の弔いを理由に交渉を頼む!」


「殿!有り難き幸せに御座います!

兄は殿のご配慮に喜んでおりましょう。

必ず弔う時間を確保して参ります!」


長尾信正は手勢200名を率いて第四砦へ向かい、梁田義助に事情を伝え、協力を取り付けました。


さらに南第三砦、立花義弘の陣地を訪ね、川越城で起きた事実を伝えました。

立花家当主の次男の義弘は事情を聞くと、先ほど上意討ちされた上田朝直の弟、上田義直が訪ねて来た事を伝え、今福城の立花義秀の本陣へ案内する事にしました。


─早暁、立花家、今福城本陣─


上意討ち取された上田朝直の弟、義直が鹿島政家と対面して川越城で起きた政変の内容が掴めました。

病魔に倒れた筆頭宿老、長尾信忠は次席宿老、上田朝直に謀殺された事が判明しました。

弟の義直謀殺現場の本丸から離れた場所におり、謀殺には関与していないと主張しています。

謀殺した事は暫く後に兄から聞かされたと証言しました。

兄は筆頭宿老代理を任され、兄の指示に従うしかなく、事実の公表が出来なかったと項垂れます。

立花家に降伏したのは謀殺事件に巻き込まれて悪人として死にたくなかったと正直に答えました。


鹿島政家から報告を受けた立花義秀は降伏は受け入れるが、川越上杉に保護している事を公表すると決めました。

謀殺の主犯では無いが、弟の取り扱いを武家同士で話し合われるべき、案件と判断しました。


そんな事があって早朝、さらに南第三砦の主将、立花義弘から、上杉朝定の使者として、長尾信正が現れ、今福城の本陣に案内すると連絡が入りました。


─立花義秀、鹿島政家─


「政家、昨夜から寝かせて貰えぬな?

深夜に政変が有り、早暁に降伏した者が訪ねて来るし、少し寝たら次は義弘から報告か?

何、謀殺された長尾信忠の弟か?

ぶはははは!

松千代にも予測出来ない事が起きてるみたいだな?」


「殿、全て見透すのは無理でございます。

政変が起きるまでは松千代様の予測通りでございました。

それで充分にございます。」


暫くすると立花義弘が長尾信正を連れて本陣にやって来ました。


挨拶を済ませると長尾信正は川越城の政変の経緯を語り、筆頭宿老を謀殺した次席宿老が主導した松山城への退去はせず、上杉朝定は川越城に戻り、正々堂々立花家と戦うつもりだが、長尾信忠を葬る為、弔う時間まで停戦を継続願いたいと申し出ました。


─立花義秀、長尾信正─


「長尾殿、本丸と二ノ丸にて上田勢と戦い、双方に多数の死傷者があろう、敵味方関係無く、正義と信じて戦った者は等しく弔うならば、本日中の停戦に応じるぞ。

如何かな?」


「はい、勿論異存御座いません。

敵味方関係無く、弔います。」


「それでな、我が本陣に上田朝直の弟、義直が投降して保護しているが、彼は謀殺現場におらず、後から謀殺を知ったが、兄に逆らえず命令に従ったと申しておるが、如何かな?

引渡しを要求するか?

立花家に身柄を任せるか?」


長尾信正は少し考えます。


「お答え致します。上田義直殿の人柄は良く存じております。

他人を陥れたり、嘘を語る人物ではありません。義直殿が申された事ならば信じて構わぬと存じます。

義直殿の身柄は立花家にお任せ致します!」


「そうか、解った、上田義直の身柄は預かるが、立花家で採用すると決めてはおらぬ、複雑な事情故、少なくとも川越上杉家とは関わらぬ、海上交易に携わる仕事を与えるのも良かろうと考えておる。」


「それは宜しいかもしれません。

ご配慮に感謝申し上げます!」


「これで決まった、長尾信忠と政変の犠牲を弔う時間を与える!

全ての犠牲者を互いに正義を信じた者として平等に弔う事!」


川越城の周囲一里(4キロ)に置いて、一日限りの停戦協約の書状が署名されて成立しました。


長尾信正は立花義秀と初対面で大きな譲歩を得たと喜びました。

川越城に戻ると上杉朝定から見事に譲歩を取り付けたと褒められました。

交渉の内容を示した協約の書状は重臣達に回覧され、正義と信じて亡くなった犠牲者を敵味方の区別無く、平等に弔うと表記された文字に注目した者は僅かでした。


上田朝直の指示に率先して従った者、上田朝直の派閥と見なされた家臣達が次々捕縛されました。

上杉朝定に従った曽我和正、宇田川長広、河越勝重、長尾信正が新たに宿老に指名されました。上田派の家臣の処分は上杉朝定と四名の宿老で協議され、斬首や追放等の処分が決められました。

立花家との協約では亡くなった兵士は差別無く平等に弔うとされた条文は上杉朝定が断固拒否して罪人として扱われ、新たに斬首された者も罪人として弔われました。


曽我和正、宇田川長広、河越勝重に敵対してる家臣達は死罪は免れても、謹慎や濡れ衣で斬首された者もありましたが、長尾信正だけは正直に対応しました。

上田派の審査に私欲が無かったのは信正だけでした。信正は三人の中では最年少の為、年配の三人へ反論が言えずに審査が決まってしまいました。


立花義秀が停戦の協約に亡くなった兵士の平等な弔いを表記したのは川越上杉家の結束を崩す仕掛けがありました。


停戦期間が一日あれば必ず上田派狩りが始まります。上杉朝定が一番信頼する長尾信忠を謀殺された憎しみから多数の上田派を消し去りたいと想います。

新たに政権中枢で権力を得た者は必ず邪魔者を上田派に仕立る事で排除するでしょう。

やられた側の離反が加速します。

上田派の取り締まりで結束を目指すはずが、逆になる仕掛けです。


義秀の仕掛けに上杉朝定が反発した結果、昨夜の二ノ丸、本丸の戦いで亡くなった数より、斬首された数が上回りました。

長尾信忠の葬儀が簡素に行われ、味方と判断されて弔われた者、罪人として弔われた者は

明確に別れました。

この日に埋葬した総数は300を越え、凄惨な1日になりました。


一方で早朝に柏原城から出発した三田綱秀の軍勢5000は田波目城に向かいました。

田波目城には前日から前橋上杉家、上杉英房の軍勢1000が布陣しています。

北西4キロ先の山根城に移動した長尾時長から兵糧30 俵が届き、久々に充分な食事が取れて安堵していた時に三田勢5000の接近が知らされ、城内は騒然としました。

田波目城の守備には川越上杉家の軍勢400と前橋上杉軍、上杉英房の軍勢1000しかありません。

しかも頼りの長尾憲長は黄泉に旅立ちました。戦える状況にありません。

上杉英房は初めて自分で決断する立場になり

田波目城主、加治隆幸に相談します。

隆幸は戦いに利在らず、山根城へ退避するように勧められました。


「加治殿、我らが去れば貴殿の城は敵に蹂躙されます。逃げる訳には参りません!」


上杉英房は世話になった城主を見捨てるなど出来ないと思いました。


「上杉様、今戦えば前橋に帰れず、あなたの家臣、領民を守れなくなりましょう。

今は耐えて山根城へ向かい、長尾時長殿と合流して帰国なさるのが最良の道にございます。

田波目城の事はご心配無用でございます。

立花家は理不尽な事は行いません。

私も家臣、領民の為に最善を尽くします。

お構い無く山根城へ行かれませ!」


「加治殿!ご配慮に感謝致します!

それでは互いの無事を祈ります!」


上杉英房は加治隆幸の手を握り感謝を示し、別れの挨拶を済ませると軍勢を率いて山根城に向かいました。


やがて三田勢5000は田波目城を囲みました。三田綱秀は使者を送ります。

三つの提案が示されました。


①日没までに退去するなら武装解除は行わず、城内から武器、兵糧、財産の持ち出しを全て許可する。


②立花家、三田家のいずれかに臣従する。

待遇は現在の地位に配慮する。


③正々堂々戦う。


三つから選ぶ様に提案しました。

情報として、先日落城した今福城は立花家に臣従した大胡重家が川越上杉家の重臣を臣従させた褒美として今福城主へ返り咲きが決まった事を知らせました。


城主、加治隆幸は三田綱秀の本陣に出向いて三田綱秀と対面する事になりました。

二人が直接対面すると加治隆幸は三田綱秀の誠実な態度に感銘を受けました。


「三田殿、私は貴方にお仕えしたいと思います。宜しくお願い致します。」


「加治殿、立花家では無く、三田家で宜しいのですか?」


「はい、立花家を嫌う訳では、ありません。

この地域に暮らす者として青梅三田家の施政をずっと見せて頂き、素晴らしい領地経営を為されてと感じました。

先日の前橋上杉軍が百済神社を攻めた時には我慢強く人質奪還に動かれているのが見えました。長年百済神社とご神領

を支配せず、守護されていた事に地域の代表として感謝申し上げます。是非三田家にお仕えしたいと存じます。」


「解りました。加治殿、三田家の為に家臣の皆様と協力をお願いいたします。

待遇に関してですが、三田家は立花家の指揮下で行動しております。今回は立花家から与力の軍勢を与えられ、5000の軍勢の主将を勤めております。


立花家は朝廷から綸旨を授かり、三田家は立花家の指示に従う立場にあります。

立花家に田波目城の件を報告した後に立花家当主、立花義秀殿が田波目城の扱いを決める事になります。

ご理解頂けますか?」


「はい、承知しております。

田波目城は預かり物、川越上杉家を去るのですから、手放すのは当然です。」


二人の対面の結果、田波目城は明け渡され、立花軍が入城しました。

加治隆幸は手勢400を率いて北西に4キロ先の山根城に向かい、川越上杉家の軍勢に前橋に帰国する様に説得する役目を与えられました。


山根城にて上杉英房と加治隆幸が対面した結果、山根城を退去、前橋に帰国する事が決まりました。

更に山根城主、猪俣時宗は加治隆幸の説得で降伏、三田家に臣従したいと申し入れがありました。

更に山根の北3キロの高取城も降伏、加治隆幸の説得に応じて城主、越生久則おごせひさのりが三田家に従う事になりました。



─夕刻、立花家、今福城─

─立花義秀、鹿島政家─

三田綱秀から田波目城、山根城、高取城を降伏させて、前橋上杉軍は前橋に帰国したと報告が届きました。


「殿、三田綱秀殿が見事に三つの城を降しました。田波目城主、加治隆幸が彼方の地域の盟主の様な存在の様です。

三田殿は善き武将を味方につけた様です。」


「それで、加治隆幸、猪俣時宗、越生久則、三名は三田家に服属したいと申し入れた様だ。

彼らは百済神社に縁ある武将達であろう。

彼らは日頃から青梅三田家が百済神社を守護してる様子を知っているから降伏したに違いない。

希望通り、三田綱秀殿に任せる。

三つの城の領地全てを三田家に与える!

政家、三田綱秀殿に早く知らせてやれ!」


「はい、直ぐに手配いたします!」




立花義秀は冷静に川越城内の様子を探る一方で三田綱秀を主将に5000の軍勢を田波目城、山根城方面に侵攻させました。


三田綱秀は見事な手腕を発揮しました。

今後の活躍が楽しみな武将です。

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