1546年(天文15年)4月20日、秩父三峯神社の神様が百済神社の為に動きます。松千代を通じて神様のご意向を伝えます。
昨日は苦戦の末、立花軍が勝利しました。
翌早朝から前橋上杉家、川越上杉家、立花家、各々がかれからの戦いに備えます。
秩父の神様が百済神社を守る為、松千代に意志を託します。
松千代が祖父、義秀に神様からのメッセージを伝えます。
1546年(天文15年)4月20日
昨日19日、長尾憲長の考えた作戦は早朝に始まり、百済神社、岡城を攻略、抑えの軍勢を残し、東へ転進、立花義秀の本隊を百済神社方面に引き込みました。
主力不在の立花軍の稲荷山砦を前橋上杉軍と挟撃に成功して立花軍は敗走します。追撃に転じた時には九分九厘勝利したと確信していましたが、立花軍の援軍が現れると一気に形勢が逆転、川越上杉軍、前橋上杉も敗走する事になりました。
前橋上杉軍は長尾憲長の指示で素早く戦場から抜け出して退却しましたが、日没後の闇夜を僅かな灯火で退却する際に道に迷い、脱落した兵士がありました。
田波目城に辿り付いた兵士は4000、残る兵士は1000が消息不明になりました。
─早朝、田波目城、前橋上杉軍─
─上杉英房、長尾憲長─
昨日の敗戦が信じられない状況の前橋上杉軍は早朝から元気がありません。
暗い雰囲気に包まれていました。
「義父上?九分九厘作戦は完璧でした。
立花軍は何故逆襲出来たのでしょうか?」
「婿殿、俺が聞きたい!あれは何だ?
立花義秀の軍勢が引き返して来たのか?
圧倒的に勝っていたはずが、騎馬隊数百が現れて一気に形勢が替わった!」
「義父上?これからどう致しますか?」
「取り敢えず、柏原城方面と川越城方面の状況を確認せねば動きが取れぬ!
そろそろ、秩父から戦況報告が来るだろう。
それらを合わせて考える故、婿殿は堂々と平常心で家臣達に接するようになされよ。」
「はい、義父上、平常心で務めまする。」
関東管領家、最高権力者の長尾憲長にも耐え難い精神的ダメージがありました。
状況を把握しなければ原因が掴めません。
課題は昨日占領した百済神社、岡城の捕虜達をどう利用するか?
考える為にも状況の把握が優先されました。
川越城と田波目城の距離は約15キロ、間者達が状況把握するには時間が掛かる距離にありました。
─川越城、川越上杉軍─
昨日、上杉朝定は川越城に残り、長尾信忠の帰りを待ちました。
出撃した長尾信忠は8000の軍勢を率いていました。
最初の連絡では前橋上杉軍との挟撃に成功、稲荷山砦を攻略して立花軍が敗走、追撃中との知らせに川越城の将兵や川越の民が喜びに包まれてましたが、日没後に入った戦況は逆襲されて敗走中との知らせになりました。
上杉朝定は松明を多数用意させて迎えの兵士を街道筋に配置して敗走してくる兵士達を迎えました。
やがて長尾信忠は無事に帰還しましたが、早朝までに帰還した兵士は6000、死傷者は多数出ています。
未帰還者は2000に達しました。
─上杉朝定、長尾信忠─
「信忠?稲荷山砦を攻略して追撃の最中に立花軍の逆襲に遭遇したらしいが、半数以下の立花軍はどうして逆襲出来たんだ?
伏兵にやられたのか?」
「はい、稲荷山砦を攻略して追撃しておりました。しかし、500ほどの騎馬の集団が現れ、暴れ馬に多数の兵士が薙ぎ倒され、弓矢の連射を浴びて混乱した処、立花軍が逆襲に転じて一気に崩れてしまいました。
伏兵だったのかもしれません……」
「信忠、柏原城が落ちて広沢政弘が城兵を率いて退却してきたが、追撃を受けて帰還した兵士は1000、与えた3000の内、2000が戻らぬ、しかし、川越城には古河公方様からの援軍3000を含む10000の兵士が有る!」
「南に今福城の大胡重宗の2000、東に難波田城の難波田憲久の3000が残っているぞ!まだ我らに15000の兵力が残されている!
信忠!ここが踏ん張り処だ!
後は任せる!頼んだぞ!」
「殿!激励の言葉を頂き、勇気が湧いてまいりました。我が将兵に殿のお言葉を伝えて参ります!」
普段の上杉朝定なら不安で消極的になっていた事でしょう。
しかし、負けた信忠を励ましています。
まだ21歳の若き当主は少しずつ成長してるのかもしれません。
─柏原城、立花軍─
柏原城から川越城の距離は9キロ、この城を攻略した事で川越城には大きなプレッシャーが掛かる事になります。
立花家対策に拡張した城がほぼ無傷、兵糧もそのまま大量に確保出来ました。
前橋上杉軍が布陣している田波目城まで10キロの地にあります。
─立花義秀、鹿島政家─
柏原城は小高い丘に本丸を構え、周囲数キロが広範囲に見渡せます。
二人は絶好の立地の城を確保した事を実感しています。地図を眺めながら今後の策を相談します。
「政家、松千代が提案した小谷田陣地のお陰で稲荷山砦、柏原城まで確保出来た。
東に1里(4キロ)程に陣地を構えるのはどうだ?」
「はい、入間川の西側河川敷に構えましょう。
川越城から来る敵兵力を入間川を防御に使えます。しかし、背後の前橋上杉軍が田波目城に存在する事を忘れずに備えます。
田波目城の抑えも必要です。」
「そうだな、政家、岡城付近の三田綱秀に我が将兵2000を託して3000の兵力がある故、この軍勢と連携出来る位置、高萩はどうだろうな?」
「はい、高萩ならここから1里(4キロ)の距離にあり、街道の交差する最適な場所です。」
そんな二人の会話に美人侍女四名を引き連れた松千代が現れました。
「お爺ぃー!政おじさーん!おはー!」
義秀に抱きつく松千代に満面の笑みで顔が緩みます。
「松千代、昨日は大活躍したのに疲れてないのか?良く寝られたのか?」
「お爺ぃー!あのねぇ、秩父の三峯神社の神様がぁ、百済神社の神様の、百済王様を連れて来たのー!
それでね、百済神社の宮司さんと神職の家族の皆さんがぁ、岡城の兵士も一緒に捕虜なんだょ。だからね、前橋上杉家の兵士をたくさん捕虜にしたでしょう。
話し合いで捕虜交換しなさーい。
百済王様がお願いしてるんだよー。」
「おぉーぉー!松千代?秩父の三峯神社の神様?イザナギ、イザナミの神様と百済神社の神様の百済王様が夢に現れて?
話し合いで捕虜を交換しなさいと伝えて来たのじゃな?」
「お爺ぃー!当たりー!
話し合いなさいだって、秩父の戦いは大勝利したから心配いらないだって!
秩父で前橋上杉家は大敗したんだよー。
逃げたんだよー。」
「おぉーぉー!松千代?秩父では大勝利になったんじゃな?
解った!政家、柏原城の東に陣地と高萩に陣地を構え、捕虜交換の準備だ!頼んだぞ!」
「はい、手配致します!」
─川越上杉家、難波田城─
川越城から南東8キロ、水田に周囲を囲まれた難波田城には難波田憲久の3000が籠城しています。
立花家に臣従した朝霞城主、同族の難波田信春の使者が帰服を勧めていました。
昨日の戦いの結果が知らされると難波田城内部に不穏な空気が漂いました。
川越上杉家、前橋上杉家の連合軍大敗の結果、早朝迄激論が交わされ、一部の城兵同士が殴り合いの喧嘩になるほどの様子が伺えました。
城主、難波田憲久と援軍武将の意見が衝突します。難波田城に籠城を続けべきだと主張する難波田憲久と川越城に撤退するべきだと主張する援軍武将達と大いに激論が交わされました。
激論の末に3000の兵士の内、2000の将兵達が早朝に川越城に撤収してしまいます。難波田城の兵力は難波田憲久の1000だけになり、その様子を察した立花義國は再度、同族の難波田信春を使者として派遣しました。
窮地の難波田憲久も意地を張り、難波田城籠城を唱えましたが、仲間の武将達は意見が合わず孤立、同族の難波田信春の勧める事を受け入れる境地に至りました。
立花義國が提示したのは本領安堵、難波田城主の地位をそのままに保証する。
立花義國の指揮下にて川越城攻めに加わるならば功績次第で更に取り立てる。
領地内の被害は全て立花家が補償する。
かなり寛大な条件です。
川越上杉家に嫌気が指した城主、難波田憲久は立花家に臣従を決めました。
使者、難波田信春から朗報が届きました。
─難波田城付近─
─立花義國、東郷信久─
「殿、やりました!
難波田城が開城に応じました。
北側の攻め口を開けていたのが正解でした!仲間割れになり、僅かな兵力の難波田憲久の気持ちも折れました。
口説きおとした朝霞城主、難波田信春の功績も高く評価せねばなりませんぞ!」
「良し!山口頼継の軍勢を受け取りに行かせてくれ、柏原城の父上に直ぐに開城した事を知らせよ!
難波田信春の功績もしっかり父上に知らせてくれ!」
「はい、手配致します!」
水田に囲まれ、難攻不落の難波田城が仲間割れが切っ掛けになり、降伏開城しました。
難波田一族が川越上杉家を見限る事になり、更なる影響があるかも知れません。




