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戦国立花家三代、新日本国戦記、大國魂神社の大神様に捧ぐ!織田信長を倒して全国統一を目指します!  作者: 近衛政宗


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1546年(天文15年)4月17日、立花義國、岩槻太田領に侵攻!

立花義國が昨年暮れに謹慎した事を払拭すべく、岩槻太田領に侵攻しました。



1546年(天文15年)4月17日


次期立花家の当主、立花義國は先日13日に府中から出陣、10000の軍勢を率いて清瀬城、新座大和田陣地を視察、さらに志木城、朝霞城など、川越上杉家との国境を視察しながら14日昼過ぎに美女木陣地に到着しました。

美女木陣地には渋川義堯1000、弟の立花義弘の5000の軍勢が陣地の構築中です。

北に4キロ先に古河公方家に臣従した岩槻太田家の国境の要衝、浦和城があります。


浦和城には太田資正が3000を率いて布陣しています。

立花軍16000が南4キロの美女木陣地にに布陣すると、太田資正は古河公方家、前橋上杉家に救援を要請しました。


美女木陣地の立花義國の元に浦和城の岩槻太田軍が大きく動揺してる様子が間者からの報告で判明しました。

4月15日早朝、立花義國の軍勢10000は東に10キロ離れた鳩ヶ谷城に向かいました。


鳩ヶ谷城の城主太田正義は当主、太田資正の従兄弟であり、立花家の外交窓口を努めています。2年前の戦いで頑強に戦った勇将です。立花家との窓口になり、立花家との関係改善に努めてきた人物です。

当人は立花家との同盟復活を希望していましたが、頑固な当主、太田資正は意地を張り、拒否しています。

資正に疎まれた正義には鳩ヶ谷城主解任の噂が立つほど、両者の関係が悪化、太田正義は遂に資正との別離を決断しました。

太田正義は今年の2月、立花家当主、立花義秀に恭順を申し入れしています。

立花義國は鳩ヶ谷城に到着すると太田正義から城を受け取りました。


─立花義國、太田正義─


「義國様、ご無沙汰しておりました。

鳩ヶ谷城を明け渡します。

金蔵、兵糧の等城の全て、立花家の為にお使いください。」


「太田殿、2年振りだな?鳩ヶ谷城の周辺に

4万もの大軍が集まり、激戦の末に和議になって以来だな?

其方が度胸を示して鳩ヶ谷城を守ったから岩槻太田家の意地を示した事を忘れてはおらんぞ!」


「いえ、太田資正が欲に目が眩み、立花家を裏切り、申し訳ありません。

昨年は帝からの綸旨、朝廷から宣旨を下されたと聞き及び、立花家が帝と朝廷から信頼されてる事は明白です。

朝廷から古河公方家、足利晴氏、関東管領家、前橋上杉英房に、戒告の書状が送られたとも聞いております。

この日を待ちわびておりました。

本日より、太田正義は立花家にお仕え致します!何卒宜しくお願い申し上げます!」


平伏する正義、周囲の家臣達も平伏しています。


「太田正義!本日より、改めて鳩ヶ谷城を任せる故、これより、岩槻太田家の城を攻略する道案内を託す!

功績次第で本領安堵に加算して褒美を与える!これは、我が父、立花義秀からの許可を得ておる故、身を建てる機会と心得よ!」


太田正義の目に涙が溢れ、家臣達の数名が涙と笑顔を見せました。

家中で苦しい立場から解放された瞬間でした。

義國は太田正義に立花家に仕える誓約書に署名させると、鳩ヶ谷城主の辞令と本領安堵の書状を与えました。



将兵に早目の昼食を与え、正午過ぎに立花義國は鳩ヶ谷城から東に5キロの草加城を目指して出立します。

美女木方面に居たはずの立花軍が鳩ヶ谷城から迫ると知った草加城は慌てて籠城しました。


草加城には浅井宗春以下400が籠城しています。1時間余りで到着した立花軍は北側の一角を開けて西、南、東の三方向から一斉に攻撃を開始しました。

草加城は平坦な土地に綾瀬川から水を引いた水掘りに守られています。

城門前の橋を渡り鬩ぎ合いが始まりました。

草加城の橋の板が半分外され、立花軍は狭い道幅を城門に迫ります。

橋の(たもと)で待ち構え、立花軍は少数の兵士が城兵の弓矢と長槍に阻まれます。

盾を前に前進するも立花軍は苦戦しました。


戦闘開始2時間後、太田正義の斥候部隊が綾瀬川から水堀に導水する水門を発見、水門を閉じる事に成功しました。

水堀の水位が少しずつ下がります。

戦闘を停止した立花軍は城内に軍使を派遣、

水門を閉じた事を知らせます。

明日の朝までに水が抜けて掘りを渡る事が可能になります。


立花義國は2つの提案をしました。

①開城に応じるなら武器を持ったままの退去を許す

②立花家に仕え、太田正義の配下になるなら、浅井宗春は草加城主の身分と本領を安堵する。


浅井宗春は提案された条件に驚きました。

内心では立花家と同盟していた頃に戻りたいと考えてた彼は勇将の誉高き太田正義の配下で働けるならと、立花家に仕える事を選びました。

義國は浅井宗春に立花家に仕える誓約書に署名させると、草加城主の辞令と本領安堵の書状を与えました。


翌日、4月16日、義國は鳩ヶ谷城の北、3キロの赤山城、さらに北へ2キロの戸塚城に太田正義の使者に託して立花家に仕え、太田正義の配下になる様に説得工作を始めました。

赤山城に東郷勢3000、戸塚城に山口勢2000を派遣して圧力を与えました。


赤山城、戸塚城の城主はすでに逃亡、城兵の半数が残り太田正義の配下となり、立花家に仕える事を了承しました。


翌早朝、4月17日、鳩ヶ谷城の西5キロの領ヶ谷城に太田正義の使者、東郷勢3000を派遣するも、城は全焼、城兵は退去していました。


さらに、美女木陣地の斥候部隊から浦和城が炎上中との知らせがはいりました。

太田資正は浦和城の北7キロ、大宮城方面に退却した事が判明しました。


─鳩ヶ谷城─

─立花義國、東郷信久─


「若殿、太田資正は大宮城に去りました。

深追いせず、美女木陣地に移り、大殿の指示を待つのが宜しいかと思います。」


「信久、越谷城を確保したいのだが、草加城から街道筋が通り、岩槻太田家の本拠地、岩槻城まで2里余り(9キロ)、どうだ?」


「若殿、越谷城に向かえば不安定な敵地の中で補給線が長くなります。

古河公方家の宿老、野田弘朝の領地に近く危険です。」


「わかった、美女木陣地に向かう!」


立花義國は岩槻城近くの城を確保して実績を示したい気持ちがありました。

昨年暮れに松千代に怪我をさせる不祥事を起こし、謹慎した事を帳消しにする実績を示したい気持ちが先走りしていました。

東郷信久はその気持ちを理解して義國が走り過ぎない様に抑えました。






次期立花家当主の立花義國31歳、東郷信久は5歳年上の36歳、将来の宿老候補です。

美女木陣地に移動した先にあるのは?


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