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30私の知らない顔


 館さまに招かれて、私は一歩座敷へ踏み入れる。蝋燭の火が揺らぐ。頼りない明かりなのに、座す鬼の顔ははっきりと見えた。

 立ち止まってしまう。胸の底がざわざわして、次の一歩を拒む。

 ううん、本当は違う。本当は反対。本当は、本当は。

 私のぎこちなさに気づいたみたいに、その目が笑う。早くおいでと後押ししてくれる。

 どうしよう。

 心が引っぱられる。惹かれている。気づかされる。私をここまで歩かせた虚勢がばらばらになってしまいそう。

 館さまの瞳は、駆け寄って、しがみついて、これまでの出来事も抑えてきた感情も全部ぶちまけてしまいたくなるような、そんな穏やかさに満ちていたから。

 だけどそんな子供みたいな真似はもうできない。

 もう私は自分のことをちゃんと知ってるんだから。

 思い出したんだから。

 女子高生は普通、初対面の男性にしがみついて泣いたりしない。

 ああ、私ってば、恥ずかしい子だったんだ。

 でもこれからは違う。決心も新たに、自分をしっかり持って臨む。

 ――そうしたいのに。

 赤い瞳はすべてを見透かして、そんな私を優しく笑うようで。

 決心の根っこの、やっと手の届いたなけなしの常識が吹き飛ばされそう。

 怖いなあ。

 鬼はもう、すっかり私を魅了している。

 離れられない。

 離れたくない。

 私の気持ちを伝えたい。

 だから、私はしっかりしなくちゃいけない。

「……戻りました」

「ああ、お帰り」

 なんとか着席する私に、館さまは脇息にもたれて、深く息をついた。

「待ちわびたよ。お前がいなくて、皆寂しがった」

 じんとする。気遣いでもいい。

 すごく長い間ここを離れたような気がするけれど、実際にはひとつの季節をまたぐことすらしていない。

 そういえば。

「ニキ、すごく大きくなりましたね」

 声に感傷がこもる。知らない間に、大人の獣になってしまった。

「鬼は人とは違うからね。いつまでも幼いような者もあれば、ニキのように子供でいられない者もある」

 館さまの口が『人』と紡ぐと、私の心臓はちくりと痛んだ。館さまは微笑む。

「ハル、お前は人を見てきたね?」

「――はい」

「そう」

 なぜ戻ってきたのかと、その目が言う気がした。表情豊かな色。私は鬼の首領の前にいるんだって、当たり前のことを思い知る。焼けた鉄みたいな、暖かいだけじゃない鋭さの前におののく。くじかれて、吸い込まれそうになる。無力な子供になってしまいたくなる。

 でもそれじゃ、私は気持ちを通せない。息を吸って、吐いて、自分のリズムを取り戻す。なんとかまっすぐに見返した。

「私、鬼のみんなと一緒にいたいと思ったんです。そのためにできることがしたい」

「お前は鬼ではないんだよ」

 館さまの言葉に頷きながら、胸が痛い。

 そうだ。私は鬼じゃない。

 一度死んで、イーシャにもらった体に間借りする、女子高生の魂だ。

「館さま、聞いてほしいことがあるんです」

 赤い目が細くなる。

「私の名前」

「ハル」

 もう知っていると笑う鬼の目が、くすぐったくもちりちり焦がす。

 今しかないと思った。

 私、勇気を振り絞れるのは、今しかない。

「私、 ――銀山治子っていうんです」

 それを先がけに、私は自分が死んだこと、死んだ後で蛇になったこと、同じように蛇になった人や、自分を作った人形師に会ったことなど、鬼の里を出てからのことを全部話した。


 ――勢い、まくし立てたから気づかなかった。

 静かに、静かに、館さまは聞いていた。その表情の変化のなさは、話し終えてただ彼の言葉を待つばかりの私を不安にする。

 呼びかけるのも、なんだか怖かった。

 そんな風に彼のことを思うのは初めてで、どうしたらいいか分からずに、それでも易しく意味を与えてくれない顔から視線が外せない。

 不意に目がぎょろりと動く。私から顔を逸らして、ああと嘆息した。少し大げさな動作。その目が伏せられて、次に開いたとき、私は全身がこわばるのを感じた。


 彼の赤は煮えたぎるように燃えていた。唇の端が三日月みたいにつり上がる。豹変に呆然とする私に気づくと、こらえきれないように大きな口を開けた。

「く、っく、は! ははは! っはははははは!」

「や、館さま」

 からからの口から、ひきつった声がこぼれ出る。

 なに? これ、なに?

 こんな風に笑う彼を知らない。

 ううん、こんな風に笑う誰かを見たことがない。

 心の底からおかしそうなのに、心臓をわしづかまれてるみたいに苦しそう。笑っているのに、少しも幸せそうじゃない。

 私の呼びかけに笑みを深くして、なお大きな声で笑う。ひとしきりそうし終えたあとで、涙をぬぐって館さまは吐き出した。

「……因果だな。私はその人形師とかいう娘を知っているよ」

「イーシャを?」

 戸惑う。なに? 館さまが、イーシャを知ってる?

「名は知らないが、わかるのだよ。お前を作ったというのなら間違いないさ。愛しい娘」

 館さまは手を伸ばして私の腕を引くと、鼻先で嗅いだ。他の鬼ならいざしらず、館さまがそんなことをするとは思わない私は、ああ、どういう顔をしていたらいいんだろう。

「そうだ、そうだね、確かににおう。懐かしい。いまだ健在とは暁光だ」

 私を通して、においの主を見る目をしている。それはなんだか寂しい行為だった。驚きと、恥ずかしさと、館さまが遠くなったような感覚。

 怖い。

 私はこの鬼をよく知らないのだ。

「そうか、ハル。お前は死人か」

 近い距離で、館さまは不意に言った。私はなんと応じればいいか分からない。それは残酷な言い方だと思った。あざけるような、そんな声を館さまの口から、自分に向けて放たれたショックで、心臓が冷たくなる。

 皮肉だけど、少し冷静になった。違う、遠くから見ている自分がいる。俯瞰するようにしていないと、耐えられない。

 鬼はそんな私の頬にふれて、じっと目を合わせた。赤い瞳に自分の顔が映る。

「ならば同じだ。私と」

「……え?」

「鬼は死後の生き物だ。人を憎み抜いていきたえた者の、次の生だよ」

「どういうことですか」

 館さまが死んでいる? それだけじゃない、他の鬼も、みんな、私のように?

「元は人と鬼とは同じものだ。鬼は人のなれの果て。鬼は人を憎み、求める人の命を食らいたがるが、それには理由があるのだよ。もっとも憎む相手の命を得た鬼は、この輪から抜けて、二度と生まれ直すことはない」

 饒舌に語る館さま。その口元にたたえるのは間違いなく笑みなのに、自分の言葉を好ましく思っていないことが、瞳の色でわかる。

「人を殺すために、己の枷から抜け出すために、私たちは群れているんだ」

 自嘲の色。館さまはたがが外れたように言葉を継いだ。

「もう、生まれたくないんですか」

「もう一度たりと」

 それはどんな体験だろう。館さまだけでなく、全部の鬼が、誰かを憎みながら死んだのだ。それは私には想像のつかないことで……

「あ」

 不意に遠くで見ていた『私』が返ってくる。

 想像、つかないわけではないのだ。

 私は名前も知らない、何のゆかりもない相手に殺されて、突然の日常を破壊されて、痛みの中で死んでいったじゃないか。

  でも、私は、それだけじゃない。憎しみだけではなく、ユクさんに対する申し訳なさ。助けようとしてくれた彼を巻き込んでしまった。苦い思い。それに、少し ほっとしたのだ。 一人で死んでいく恐怖の緩和。自分勝手とわかっていても、抱いてしまった安心感。悲しくて辛くて、悔しくて、絶望して、泣き叫ぶことも 叶わなかったけれど、でも孤独ではなかった。

 もしも彼がいなかったら、私は理不尽な運命を憎んで、犯人を殺したいほど憎んで、ただ死んでいくしかない無力な自分を見つめながら、どうしようもなく息を引き取ったに違いない。

「私は、同じではないですよ。館さま」

 今ここにいる私は、鬼ではないもの。鬼になっていないもの。

「そうだね。お前は好きでここに戻ってきた。鬼を好ましく思うなど、私たちでは考えられない」

「幸せになってほしいです」

「誰に? 人に? 鬼に?」

 熱に浮かされたように、歌う、ほえるように問う。そうしながらとても冷静なところで私を観察している。

 それは少し前までの私と同じ。強い衝動と、それに溺れきれない彼の中の孤独な意志。希望?

 だと、いいな。

 戻ってきてください。

 館さま。

「あなたに」

 寄り添いたいと思った。それほど強い孤独のなかで、人を殺すため、命を終わらせるためだけに今を生きるしかないこの鬼に。

「愚かな」

 冷たい目。突き放す声。だけど、届いたから、まっすぐ受け止めてくれたからこその反応だ。

「愚かじゃないですよ。……愚かでも良いです。私は、あなたたちと一緒にいます。あなたたちが、絶対さみしくないように」

「……あなたたち?」

「はい!」

 私を幸せにしてくれる、私を拾ってくれた特別な彼ら。

 この里のみんな。

 鬼だからじゃない。

 同じようにしてくれたなら、鬼でなくても私はこのひとたちを好きになった。

 私もあなたたちを幸せにしたい。

 館さまは少しの間呆気にとられたようだった。馬鹿だとか勝手だとか、押しつけがましいって思われているかな。自分でもそう思うけれど、でも、正直な気持ちだ。ちょっと、 結構恥ずかしいけれど、でも、後悔はしていない。

 なんだか笑えてきた。館さまのが染ったのかな。

「ハル」

 呼ばう声は、なんだか気の抜けたものだった。

「はい」

 弾んだ声で返事をするなり、その肩はため息の形に落ちた。

「湯を使いなさい」

 この話はもうしまい、とばかりに、ろうそくを吹き消してしまう。一瞬視界が消えて真っ暗になる。とっさに手を伸ばすと、そこにいた館さまは、どこかためらいがちにではあるけれど、しっかりと掴み返してくれた。

「人のにおいを落としておいで。それから夜は出歩かないように。鬼が、お前を人と見違えて襲うかもしれないからね」

 頷いてから、不思議に思う。

 鬼は人を間違えないって、確か、クベライが言ってなかったっけ。

 じゃあこれは、館さまの冗談…… ひょっとして意地悪?

 なんだかおかしくて、また笑ってしまった。


 はっきりと確認した訳じゃないけれど、私はわかった。

 館さまにとって、イーシャは一番の獲物だ。

 館さまの中の鬼が、一番に求める相手。館さまのスイッチ。劇薬。起爆材。

 彼女を食らうことで、目的が達成される。

 つまり、館さまは、もう二度と次の生を迎えない。

 そんなのはいやだ。イーシャが死んでしまうのも、もちろんいや。

 それなら私は、二人の間に入ろう。

 どうしようもない状況になった時、そばにいられるように、離れないでいよう。この鬼から。

 手を包むぬくもりが尊い。大切な命がここにあると、強く感じる。


 目が慣れて、館さまのあとに迷わず続く。座敷の外は無人だった。ミノクシはどこへ行ったのだろう。頭に触れてくれた感触を思い出してうれしくなる。そういえば、ニキ、カナにつれて行かれてたけど、けがの手当はしてもらえたかな。

 それに、まだ会えていないけど、カラ、元気かな。

 カラ。

 カラニシ。

 あの子も鬼だ。館さまのように、つらい思いを抱えているなら、分けあいたい。ひとりで苦しむなんて、駄目だ。そんなのはいやだ。

 ……イヤイヤって、子どもみたい。

 子ども扱いされる気持ち良さをくれたのは、カラだ。

 獣を想うだけで、胸が暖かくなる。切なくもなる。何度も会いたいと思った。抱きしめたいと思った。

 もうすぐ。

 もうすぐあなたに会える。

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