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29鬼の里に





 抱きしめると、生きた獣の感触がする。

 指の先から腕の付け根まで、全部の皮膚にごわごわした毛が触れる。でも実は、洗うとつやつやのふわふわなのだと私は知っている。獣たちは水浴びできれい になった後、物足りなさそうに泥あびや砂かきをしてしまうから、なかなか味わえないんだけども。

 残念な気持ちを込めて、根元のなるべく柔らかい部分を求めて指を埋めると、ニキはくすぐったそうに首をぶるぶる振った。

「う、うひゃ、うひゃひゃ」

「わ、揺れる、揺れる! あと、ニキ、変な声でてるよ!」

「ハルがくっつくからだ!」

 ニキは言いながら、獣道でも特別枝の絡んだ藪につっこむ。私はあわててぴったりと獣の背中に張り付いて、顔面衝突を避ける。私が獣だったら、耳はぺった んこになっていたと思う。


 べたっと全身で藪を回避していた私を心配したのか、大振りに最後の枝葉を払って視界を晴らした後、ニキは少し速度を落としてちらり とこちらをうかがった。私は軽く体を起こして「平気だよ」と笑いながら声をかける。ニキはぺたんと耳を伏せた。

「ハル、よわい。こわいんだ、おれ」

「……ごめんね」

 嬉しがるところじゃないのに、私はにやけながら、しがみついた首に顔を埋める。

「ニキ、しゃべるのうまくなったね」

「おれ、れんしゅうしたんだ。でも、ハルいなくて、こまったんだよ」

 話し相手がほしかったのだとニキはとつとつと打ち明ける。

「だけど、あにきがたすけてくれた。まちがったら、なぐるんだ」

「カナ……」

「さんかいまではなぐらない。でも、おれ、なぐられるほうがおぼえる」

「それは複雑だねえ……」

「フクザス」

「複雑」

「フクザツ」

「そうそう」

「ふくざつ!」

 ニキは尻尾を振り振り、何回も「ふくざつ」と口に乗せた後、不意に脚を緩め振り向いた。

「ふくざつって、なんだ?」

「えっとね、ニキが話すのうまくなるのはうれしいけど、なぐられて痛いのは、うれしいことなのか悲しいことなのか分かんないなあ、って」

 聞かれるだろうと思って、あらかじめ用意していた答えを伝えると、ニキは首を傾げた。

「おれ、かなしくない」

「うれしい?」

「うれしい!」

「じゃあ、私もうれしい」

「うれしいなら、よかったな!」

「うん」

 私が首にくっつくと、ニキは前をちゃんと向いてスピードを上げた。駆ける大地の傾斜は急になるけれど、獣の歩は緩まない。私もしっかりしがみつく。落ち るもんか。離すもんか。

あの里に着くまで。



 例の傾斜をやり過ごした後、ニキは直進していた方向から少しずつ角度をずらしながら走行した。鬱蒼と茂る森の 中といえど日の差す方向は分かる。まっとう な獣道よりも険しい途をニキは選んだ。こっちにあるのは、確か――。


 かっと眩しい日光が目を焼いた。

遅れて視界に入るのは、青い空と、目下の森林。それに加えて、今獣の脚がつかむ土と地続きのせり出した崖。いくつもあるそれらの上に、懐かしい、――寝そ べったたくさんの毛むくじゃら。

 日がやや傾くこの時間、獣たちはよくこの場所でひなたぼっこをしている。今いる獣たちも、ずいぶんとくつろいでいるみたいだ。お腹を上にして寝そべるも のも少なくない。


 ――だけど、それってちょっと変だ。

 ――だって、館さまは、始めているはずだもの。


 こんなに暢気に、獣たちが過ごしているはずはない。

 ――ないんだけど。


 実際にニキの背中に乗って見下ろす限り、獣たちは気を抜ききっている。


 ――なんでだろう。


 私は考える。考えながら、正直いって目を崖下に向けるのが辛い。

 ……ここ、すっごく高いのだ。下の方にいる獣は豆粒みたいなサイズになって見える。

 ニキは断崖の端の道を器用に行くけれど、背中にとりついた私は気が気でない。

 何せ、ニキも私も高所からの落下は未経験ではないのだ。


 ……落ちないでね。ニキ。



 崖っぷちの頼りない道に背を向けて、再び森の中の知った道に合流する。

 私はこの道を夜に歩いたはずなんだけど、今はちょっと遠慮したいな。

 転んだときのことを思い出していたら、別れ際の双子のこと、見送る館さまのことと芋づる式に出てきて、胸がじんわりした。

「ねえ、ニキ。みんな、元気かな」

「……ん」

 生返事だ。崖の道を通って以来無言で足を進めているけれど、走るのに集中したいのかな。

それなら刺激しないようにしていよう、また危ない道を通るかもしれない。

そういえば、さっきはなんで変な迂回をしたんだろう。また里についたら聞いてみよう。



 林を抜けると、懐かしい風景が見えた。顔を上げて、わあっと声を上げる。門は開いていた。私を乗せたまま中に つっこもうとするニキを制止して、私は門の 前で獣の背を降りた。

「……すごく今更だけど、私、入ってもいいのかな」

 ニキはうなずくけれど、その動作になんとなく元気がない気がする。


 ――もしかしたら、怪我、やっぱりひどかったの!?


「に、にににニキ、元気ない? やっぱり辛かった? ごめんね、私やっぱりおも――」

 私の伸ばした手は空を切る。目当てのニキの顔は、鼻をぺったんと地面に押し付けて、瞳はふさがり、体は力なくしゃがみこんでいる。


 やっぱり無理させたんだあっ、と私が膝をつくのと同時に、ニキの鼻がウワンと唸った。

「――ごめんなさい! ハル!」

「え?」

 ニキは目を伏せたまま叫ぶように続けた。

「だめだって、わかってた。だけど、おれはハルにみせちゃったから、だから、ごめんなさい! やくそくなんだ! たべたらもうはけないよね。ごめんなさ い!」

 私はニキの前にひざまずいて固まった。なんだか謝られているみたいだけれど、肝心の理由がわからないので、声のかけようがない。


 尻尾をちぢこめ、耳をぺたんこにして小刻みに震える獣を前に、私がとりあえず名前を呼んだらいいんじゃないかな、と思いつくころに は、里の獣たちがわらわらと集まってきていた。

 それはそうだ。門の前でこの騒ぎだもの。

 誰かが知らせたのか、懐かしい人の形の鬼も、門の中に姿を見せていた。

 私が見つけたことに気づくと、ミノクシはよお、と手を上げてから人好きのする笑みをくれ、館さまは少し首を傾げながら笑いかけてくれた。カナフシはばっ ちり目があってから逸らした。それでも館さまの目配せを受けて、ずんずんやってくると、前触れなく大きくなった弟分の頭を殴った。

 ごん、と鈍い音がして、ニキはくうん、と鼻を鳴らす。

「騒ぎを起こすな」

「あにき……」

「なんだ」

「おれ、ハルに。やくそくさせちゃった……」

 カナは私を一瞥し、すがるように兄貴分を見上げるニキにむかってため息をついた。

「後にしろ。ここでは騒ぐな」

 お前も来い、とニキとセットで声をかけられる。私は勢い立ち上がり、カナの後に続いて、鬼の里の門をくぐった。



 促されるまま、館さまの屋敷へ入る。戸口の前でニキ、カナと別れた。しょんぼりしたニキが、寂しそうにこちら を振り向いたけれど、すぐに拳骨をもらって いた。お説教タイムかな……。


「おいで」

 館さまの声に誘われて、その後に続く。隣を歩くミノクシが、しきりに頭をつついてくるのが気になったけれど、気にしないことにした。

 うれしいけど、うれしいのがちょっとくやしい。


 屋敷は奥へ行くほど薄暗い。壁に燭台はあるけれど、普段鬼たちは明かりを使わない。夜目がきくからだ。でも館さまだけは例外で、よ く月の痩せた日に蝋燭を灯す。理由をきいたこともあるけれど、はぐらかされてしまった。


 ――館さまには、秘密が多い。


 一緒にいるときは意識しなかったのに、今、目の前を歩く背中になぜだかそんなことを思う。

 館さまについて歩くのが好きだった。構ってもらうのもうれしいけれど、照れる。館さまの目は強くて、私はすぐに負けてしまうのだ。

 だからたぶん、こうして後ろを歩かせてもらうと落ち着く。


 ――落ち着いていたはずなのに。


 背中を見つめていると、どきどきする。前へ進むたび、足がふわふわするかんじ。


 背中――。

 館さまは振り向かない。


 ――見たい。柔らかくて、緊張する瞳に、振り向いてほしい。私がきちんとついてきているか、薄闇の中でつまづかないか、確かめてほ しい。

 あの、無事に後へ続く私を見つけたときの、どこかくすぐったそうな微笑がほしい。


 館さま。


 ――どんなこと、考えているのかな。


 隣を歩くミノクシが、くしゃっと頭をなでてくれる。同時に館さまは足を止めた。広い座敷の間。館さまはすっと中へ入って、蝋燭に火 をつける。暗がりに慣れていた目がくらむけれど、瞬きをしたらすぐに慣れた。明かりの隣に腰を下ろして、館さまはやっとこちらに目を向けた。


「おいで」


 目を細め、首を傾げる館さま。鬼灯色の、暗くて明るい瞳。

 ミノクシはもういなかった。

 私は一歩一歩を確かめるように、明かりの元へと近づいた。

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