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20回顧



 鳴き声が聞こえた。同胞でない敵でもない、甲高く声を上げたきり木の葉のざわめきより弱くなる。そばだてた耳に虫の羽音がかかった。伏せたそれを再び澄ませても、あの子の声は、耳の奥に突き刺さった高音の痛みのほかを獣に与えなかった。



 その人は名前を『ユク』と名乗った。「仇名みたいなものだったんだけど、もう今はこれで慣れちゃったな」と頭をかく姿に、私は胸の鼓動を押さえつけながら相槌を打つ。


 恥ずかしながら勢いユクさんの手を握ってしまった私をソファーに座らせて、彼はあとの二人を部屋から出した。

 小さな一人がけの椅子を引っ張り出すと、ユクさんはそこに腰かけて、肩で大きくため息をついた。

「あの、いきなりごめんなさい」

「いや、いいよ。俺だって驚いてる。なんて言ったらいいのか……えっと、無事でよかったよ、ひとまずここに帰って来られれば、生きていけるし」

「……さっき、俺たちは死んだって。あれ、何ですか? ユクさんは、誰ですか?」

「ああ、イーシャに聞いたかもしれないけど、俺たちは今蛇っていう生き物になってて――」

 それは分かる。死んだ人の魂を使って人形を作るというのは、ユクさんの言うとおり、イーシャから説明されている。

 私はもどかしくなって、申し訳ないけれど話を遮った。

「ユクさん」

「ん?」

「あの、あなたは、私のこと、知ってるんですか?」

 ユクさんはたっぷり三秒沈黙した後、目をパチパチさせてから、すごく困った顔で言った。

「……君、俺の事、忘れてる?」

「お、覚えてるような気はします。思い出せないけど、なんだか、すごく大事なことのような」

「大事……といえばそうかもしれないけど」

 やっぱり大事なことなのだ。今も心臓がうるさい。もしかしたら私はこの人の事が好きだったとか、そういう内容でもぜんぜん不思議はないレベルで高鳴っている。

「聞きたい?」

「はい」

 すぐさま頷く。ユクさんは息を吐いてから、じっと私を見つめた。

 

「俺たちは、殺されたんだよ」


 ――こ。


 ころ。


 あんなにうるさかった心臓の音が一瞬聞こえない。自分の目が思い切り開いているのに気付いて、慌てて瞬きする。ユクさんの心配そうな顔が見えて、心臓の鼓動が返ってくる。やっぱりドキドキ脈打っていて、きちんとした思考をさせてくれない。


「ころされた?」

 やっと一言呟いて、ユクさんを見上げる。説明が欲しい。それは今まで生きてきて、自分と重なることなんてきっとなかった言葉に違いない。

 ユクさんはすごくすごく言いづらそうに口を開く。

「その……」

「はい」

 聞きたくないのに頷いて急かす。嫌いなものは先に片づけるタイプだったのかもしれない。

「……君はたぶん学校帰りだったと思う。そこを、男に襲われてた。俺は、その、助けようとしたんだけど……」


 目が脈打つ。いきなりユクさんの声が聞こえなくなる。自分の腕が顔の横に見えて、耳を覆う両手に気付いた。


 や、やっぱり――


 わあん、と大きなめまいに横殴りされる。


 ――聞きたくない、みたい。


 目の奥が痛い。耳を塞ぐ手のひらも塞がれた耳も痛い。両目から溢れるものを追いかけて下を向いたら、もう顔を上げられなくなった。


 誰かの手が宥めるように肩をさすって、扉が開いて閉まった。




 頭が見えないように隠した。お尻はソファーの角に押し付けている。背中を丸めてうずくまる。


 誰かに来て欲しいのに、その誰かは絶対に私の側にはいないのだ。




 たくさん。

 ……たくさん思い出しそうになった。思い出しそうになってみると、何で忘れていられるんだろう。記憶喪失でいられるんだろう。思えば何べんでも自分の頭を壁にぶつけてでも、記憶の底から掘り当てなくちゃいけない類の事だったのかもしれない。私の存在意義かもしれない。レーゾンなんとかかもしれない。


 お母さんとお父さんという人がいたかもしれないし、大好きなお兄ちゃんがいたかもしれない、お父さんはこっそり競馬にハマっていて、娘にばれると秘密で口止め料をお小遣いに上乗せしてくれたかもしれないし、お母さんはお母さんでお父さんのお弁当から一品減らした分を毎週の五百円貯金に回しているのを話さない代わりに、英語の成績に目をつむってくれているかもしれない。お兄ちゃんは県外の大学に行ってしまって、だけど週末には欠かさず面白顔の猫メールを送ってくれる……けど、その飼い主の女の子を自分の両親に紹介するための架け橋を妹にやってほしくてしてるのかも……しれない。


 思い出せないのが辛くて悲しくてこんな自分が情けなくて誰にも顔を見られたくなくて、だから私は引きこもっている。小さくなっている。


 隠れてうずくまって、いない誰かの名前を呼んだ。


 呼んだら、惨めな気分に浸る自分を張り倒したくなったから、私はぐちゃぐちゃになった顔をやっとあげる。

 衝動的に鍵を掛けてしまった扉ごしに、控えめなノックが聞こえた。



 ノブの金具が外れる音の後、私が後退するのを待つように、一呼吸置いて扉を開けたのは、困惑顔のユクさんだった。

「……大丈夫?」

 その控えめな声の掛け方で、私は自分が酷い顔をそのまま晒していることに思い至ったけれど、「大丈夫です」の即答で流してもらうことにした。ユクさんは私が必死に取り繕ったポーカーフェイスをじっと注視していたかと思うと、耐えかねたように視線を外して「納得できない」と吐き出した。

 それは酷いです。言葉で抗議する前に勝手にリアクションして崩れた表情に、ユクさんは力なく首を横に振る。

「君のことじゃなくて。いや、君のことなんだけど。君の気持ちじゃなくてさ……それは個人的にすごく納得できるし」

 私の泣き声はしっかり扉の向こうまで届いたらしい。熱くなる顔を伏せる私に気づかない様子で、ユクさんは言葉を続けた。

 ――いわく、イーシャが、私の外出に条件をつけようとしている。ヘイミイさん、トリトさん、ユクさんの蛇のうちの誰かか、イーシャを同行させること。

 緩い条件だなあ、と思った。どうせ一人で出歩いても迷うし、それ自体はいやじゃない。

 それなのに、ユクさんは溜め息をついている。私は理由を考えて、思い至ると即刻頭を下げた。

「すみません、ユクさん、お手間をおかけして」

「え?」

 機嫌の悪そうな声と眼差しに怯む。よっぽどいやなんだ。私の――

「子守……あ、えっと、私の付き添い……あの、でも私、なるべく大人しくしてますから」

 ユクさんは「はあ?」とやっぱりいよいよ眉間に皺を寄せた後、言葉の意味を理解して、「違う」と大きな声を出した。びっくりして固まる私に気づくと、ごめんと言いながら憤りを隠せない語調で口を開いた。

「俺が許せないのは、イーシャの君への態度だよ! 鬼に取られたくないからって、人を動物か何かみたいに管理しようなんて、正気じゃない。おかしい」


 ……なんだかすごくほっとした。ユクさんは普通の人だ。私の知っているはずの普通の人。

 安心したら、言葉の細部が気になった。


「鬼に取られるって……私がですか?」

「そう。君が鬼に心を奪われてるのが怖いんだよ、イーシャは。……俺だって、君の鬼への肩入れ具合を聞いた時は、何考えてるんだろうって思った。だけど今のあの子のやり方は卑怯だ」

 ――何考えてるんだろう、って、思われてるんだ。

「私が鬼と一緒にいたいのは、ユクさんにとっても変なんですか」


 確認したい。『蛇』で、同じ立場になる可能性のあったユクさんの言葉が聞きたい。


「変だよ」

「どうして?」

「だって、鬼は人を襲う」

「蛇は襲われないでしょう?」

「人を守るなら、戦わなくちゃ」

「人のこと、好きなんですか?」

 頷く。

 子どもを諭すような声。同時に、諭される側の子どもになったような感覚が広がってばつが悪い。

 目の前で人が襲われたら、助けるのが道理だ。ユクさんは、そういうことができるから、やっているんだ、きっと。


 しかたのないことを訊いちゃったのかもしれない。当たり前のことなんだ。

 それに、とユクさんは付け加える。


「俺は、君の仇を討つような気持ちもあるから」

 ――仇。真っ赤な色と切り裂かれる熱のビジョン。息を止めてそれに耐えるから、私は言葉を返せない。だけど、口が利けたとして、何を言えばいいんだろう。

 だんまりな私に、ユクさんは目を伏せて、ふと顔を上げた。

「出かけようか。ちょうど買出しに良い時間だ。ついでにコウギル――この町を案内するよ」

「あ、はい」

 いきなりの明るい語調に驚いて、つい頷いた。ユクさんは立ち上がって椅子を壁際に片づけてしまうと、つられて腰を上げた私に向き直ってその手のひらを差し出した。

「改めてよろしく。ええと、ハル?」

「……はい、ユクさん」

 一瞬たくさんの情報が頭の中で渦を巻いたけれど、それに蓋をして私は彼の手を握り返した。

 ――分厚い男の人の手。

 この人は、何歳だったんだろう。


 心がずしりと重くなる。

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