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19徒の答え




「……ベリダ?」


 耳に慣れない言葉を訊き返して、それどころじゃない自分のために時間を稼ぐ。


「ベリダは、この町から北へ向かったところにある森。ネージュ……君がリオ兄さんに拾われた場所より、まだ山道を登った先にある」


 イーシャは私の混乱を承知してか、ごくゆっくりと言葉をくれた。


「そして」

 その気遣いに心を落ち着けようと努めた矢先だったから、付け加えられた言葉はいっそう私の足場を暗くする。

「――ベリダの奥には、鬼の集落がある」


 ――逃げ道を塞がれた。

 私のために泣いてくれた人を前に『逃げ道』を探そうとした自分を嫌いになって、でも、後ろめたい気持ちを受容する私もいる。


 だってそんな、こんなのってずるい。私が鬼と一緒にいた事を知っていて、知らない振りをしていたなんて。


 かつんと靴の音がして、いつの間にかイーシャの隣にトリトさんが並んでいる。銀髪の女の子も、一歩二歩とソファーに歩み寄る。


 額にじわりと汗をかきながら、私はイーシャの顔を見つめて、ゆだねられた口火を切った。


「私は、森の中で目覚めて、獣に拾われました。あの集落の人たちは、何も分からない私の面倒をみてくれたんです」


 イーシャは一度二度、噛みしめるように瞬いて、ゆっくり応じた。


「――槽から引き上げて、寝台に寝かせていた。次の倉を用意して、迎えに行ったら、もう君はいなかった」

 ぷかぷか水中に浮かぶ自分を想像する。チューブやコードがたくさん繋がる自分……実態はどうあれ、たぶん見て楽しいものじゃないんだろう。


「……私、自分で出て行ったんですか?」

 イーシャは黙る。ボブカットの女の子が、表情の読めない顔で呟いた。

「盗まれたの」

「ヘイミイ」

 嗜めるのはトリトさん。『ヘイミイ』は止めずに、イーシャの背もたれに寄りかかる。

「他の人形師は、イーシャを妬んでる。イーシャが若いのに、領主お抱えの人形師になったから」


 領主お抱え。イーシャを妬んだ他の蛇人形師が、隙を見て彼女の人形を盗んだ。

 壮絶な人間関係だなあ、と驚いていると、手前からため息が聞こえた。


「――と、噂する連中もいるけど」

 イーシャは手を伸ばして、ヘイミイさんの頭を少しきつめに撫でて言う。

「めったなことは言えない。それに、失くしたのは私の管理が行き届いていなかったからだよ」

 男の人みたい。

 年下の女の子に対して、優しく声をかけようと努めている感じ。

「あなた達は、家族なの?」

 何気なく口をついた言葉に、三者の反応は三様だった。ヘイミイさんはただこちらに目をやって、トリトさんはイーシャの顔を窺う。それに気付いたイーシャは一拍置いてからにっこりと笑った。イーシャがなにか言う前に、トリトさんが真っ先に口を開けた。

「家族です」

「トリト?」

 イーシャは少し驚いたようにトリトさんを見上げた。トリトさんは取り合わずに、その澄んだ青色の目で私を射抜くように見た。

「家族ですが、私とヘイミイは蛇です。人はイーシャだけです」

 イーシャが目を細めて、被せるように言った。

「そうだよ。この子たちは蛇だけど、私達は家族だ」

 ここでは、蛇と人とは生き方を区別されるのが普通なのだ。だけど私は正直に応じた。

「分かります。私も、鬼と」

 家族でいたいと思っている。

 イーシャは何も言わない。好意的な沈黙ではないと分かった。私は覚悟して訊いた。

「あなたたちは、鬼が嫌いなんですか」


 イーシャは予め定まった答えを、一呼吸置いて示した。


「憎い」


 どこかで聞いたやりとりだ。それだけで、深いところまで追求する意思をなくさせるところも、懐かしいと思えば懐かしい。

 だけど訊かなくちゃいけない。

「どうして?」


 生まれた時からと返されたら、今胸にある好意をきっと遠くにやりたくなると思った。

 だからイーシャの答えに、私はほっとする。

「……家族を食われた」

 ほっとした自分がおかしいと、一瞬後で悟る。なんと返せば聞かなかったことになるだろうと頭をフル回転させながら、結局目を見つめたまま黙るしかない私に、イーシャは瞳を和ませた。


「私は君のことを、とても好きだ。ここにいてくれる?」



 迷う。


 彼女の言葉はすごく魅力的だけど、私はどうやったって鬼側に肩入れしてしまう。イーシャたちが鬼を心から憎んでいるなら、一緒にいることはできない。

 だけどイーシャの一所懸命な提案を簡単にはねのけるのは悪い気がする。私はテーブルに目線を落として、じっと向こう方の裁量を待った。


 そんな卑怯なことをしたから、ばちが当たったのかもしれない。


「――なるべく、なら」


 落ちてきた声の温度が低い。ぶわっと、慣れない感覚が肌の上を走った。

 ……鳥肌?


 ぎょっとして顔をあげる。イーシャは笑っていたけれど、視線は通わない。


「なるべくならば、君の意思でそうしてほしかったんだけど」

 ため息。

「でも、私はクスリコだから」

 イーシャの唇が笑う。瞳が私を注視する。思わずそらした。にらまれた方がましだと思った。


「君を――人形を、管理する」


 その声には少し寂しい響きが混ざった気がしたけれど、その言葉の意味に気持ちが向かって、私はただ呆然とした。



 今まで誰かに、管理する、なんて言われたのは初めてだったんだろう。

 そんなことを考えながら、私はヘイミイさんが入ってきて、今しがたイーシャの出て行った扉をぼんやり見つめる。

 ううん、状況に頭が追いついていない感じがする。よほどショックだったらしい。私。

 ふと視線を感じて、向かいのソファーに意識を向けた。ヘイミイさんが、イーシャの座っていたあとにそのまま収まって、やっぱり考えの読めない顔でこちらを見ている。……そういえば、トリトさんがいない。

 室内を見渡すと、わかりやすい行動に向かいから答えが返った。

「トリトはイーシャに付いていった」

「あ、ありがとうございます」

「ハル」

「は、はい」

「あなたはイーシャの側にいるのがいやなの?」

 名前を知られていたことに驚いているうちに、ストレートな尋ね方をされて、面食らう。そしてできた一瞬の沈黙を解釈するつもりはないらしく、彼女は私の返答をじっと待っていた。こちらも思うとおりの言葉を返す他にない。

「少し」

「少しだけ?」

「少しだけです」

 なんと続ければいいのか分からなくて、彼女の反応を待とうとしたけれど、この思考の停止はさっきイーシャとの間でよくない方へ働いたばかりだった。私は膝の上に置いた自分の手のひらを組んで考える。

「……イーシャと私では、鬼に対する気持ちが違います。イーシャがあの人たちをどうにかしようとするなら、私は止めようとすると思います。私は、家族とそういうことをするのはいやです」

「少しだけ?」

「すごくいやです」

 私の反応にヘイミイさんは微笑した。怒るより驚いて見つめると、彼女の真っ青な瞳が、細くなって、ふと扉に向いた。

 誰かいるのかと訊きかけたけれど、それより早くヘイミイさんは呟いた。

「イーシャを止めたいなら、同じ場所に住んでいた方がいいかもしれないのに」


 私は首を傾げた。

「イーシャって、情に流されやすいタイプなんですか? お願いしたら、鬼と戦うのをやめてくれる?」

「全然」

 ヘイミイさんは扉から視線を返して首を振った。ふー、とソファーにもたれかかる姿におずおずと尋ねる。

「……今、誰か?」

「イーシャが立ち聞きしてたの」

「……え!?」

 いつから聞いてたんだろう……

 でも、それなら、ごまかさずに考えて本当の気持ちを言ってよかった。

「だけど、何か用事があったんじゃないでしょうか。入るタイミング、無かったんじゃ……」

「すぐ戻ってくるから平気」

 その言葉どおり、私がヘイミイさんに頷き返して背筋を伸ばした時、がちゃりとノブが回った。


 入ってきたのは、どこか柔らかい表情のイーシャ。そしてその後に続く長躯は、この家に入ってから初めて見る姿だった。会釈をしかけて、その人と目が合う。


「あ」

 小さく声が漏れたのは、彼も同じだった。


 胸の中から起こる生臭さ。

 それと申し訳なさ。

 ありがとうと呟いた自分の息の音。

 うんと返るその人の最後の。


 覚えていないのに、耳は知っている。この人なら教えてくれると分かる。

 私はいきなり立ち上がった。そのせいか別の理由か、めまいを感じながら、男の人に近づいた。記憶に繋がる顔をもっと見たいと思った。手の中に掴んだ尻尾を離したくない。


「あなたは、私は、どうなったんですか」


 質問の意味を理解できないまま、胸に浮かぶまま問いをぶつけた。私を見下ろす黒い双眸が見開く。

 そして少しの間を置いて、小さな声ではっきりと言った。声を発する前の唇の震えが、それが彼にとって辛い事だと伝えていた。


「たぶん、俺たちは、死んだんだ」

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