表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/37

16人見知り



 馬車が止まってもしばらく、私は身動きできなかった。

 喧噪はそう近くないのに、頭の中には人のイメージがざわざわとうごめいて、胸の動悸が収まらないのだ。

 「まずは俺の用事を片づけよう」と言ったリオールトさんは、どこか緊張した面もちで馬車を降りた。私は留守番。


 ――……あてを探すって、どうするんだろう。

 一人になると、リオールトさんの言葉を思い出した。

 迷子センターでもあるんだろうか。


 見つかるかどうかは別として、もしもそれで私の出自が分かったら、私はどうするんだろう。

 今更、という感じはする。私は鬼の里に救われて、鬼のためにできることを探そうとしている。今人の町にいるのだって、鬼が憎む人のことを知るためだ。鬼が戦おうとするのは、どんな人たちなのか。


 それだけ言うとなんだかスパイみたいだ。

 だけど、私が鬼の里にいたことが知れたら、そう思う人はいるだろう。


 外から人の声が聞こえて、私はごくりと唾を飲んだ。

 覗かせてもらったときのまま、カーテンは開いていた。反対側の座席へ行けば、走らない景色がよく見えるはずだ。

 リオールトさんと御者さん以外の、スピードに流れない人の顔も。


 しばらくじっとしていたけれど、興味に負けて私は反対側の座席に座った。

 覗く視界の向こうには一軒の建物があった。茶色のレンガづくりのこぢんまりとした家で、屋根の煙突からは煙があがっている。なんだかお話の中に出てきそうなかわいらしい印象がある。同じ基調の更に小さな建物が隣に建っていて、リオールトさんの背中が見えた。

 窓に顔をくっつけて探したけれど、この辺りには他に建物がない。針葉樹に囲まれた中に、今馬車が通ってきた細い道が一本あるだけだった。


 リオールトさんは誰かと話をしているのだけれど、上背も横の幅も彼より小さい人らしく、姿が見えない。聞こえる声からして、たぶん女性だとは思うんだけど。ガラスに顔を寄せて集中すると、遠いはずの声がクリアになる。その感覚に少し驚きながらも、聞こえてくる会話の方が気になった。


「イーシャ、イベルタは君を心配してるんだ」

「分かっています。それで兄さんを何度も寄越してる。付き合ってもらってすみません」

「かまわない。厄介になっているのはこちらの方だから」

「申し訳ないんですが、姉さんには行かないと伝えて頂けますか」

「イーシャ」


 リオールトさんが肩を落とす。一瞬だけ、向かいに立っていたその人物の黒い髪が見えた。

 リオールトさんの呼びかけに、『イーシャ』と呼ばれたその子は小さく「すみません」とだけ応じる。リオールトさんも今は食い下がっても仕方ないと思ったのかもしれない。「また来るよ」とだけ残して、踵を返した。

 自然と目が合って、私はばつが悪くなる。だけど、初めて見る『人』の女の子への興味は消せなくて、私はその子の姿を改めて確認した。

 小柄で、飾り気の無い男物の服を着ている。肩までの短い髪や、リオールトさんに向ける表情の硬さから、声を聞かなければ男の子だと思ったかもしれない。

 髪と同じの真っ黒い瞳。視線に気づいたように、伏せていた二つのそれが上がって、こちらを捉え―――見開いた。


 ――わっ。


 驚いて身を潜めようとしたけれど、それより早く、がすんと、耳を澄ませなくても聞こえるような音を立てて、女の子の頭が玄関の柱にぶつかった。

 女の子は頭部の痛みや傾いた視界にも顔色を変えないまま、じっとこちらを凝視した後、身体の方が耐えかねたみたいにふっと目を閉じる。


 振り返ったリオールトさんが慌てて駆け寄ろうとするけれど、その前に開け放しだった家の扉から出てきた人物が、すばやく『イーシャ』の身体を支えた。

 遠目にもきれいな人で、目にまぶしい金の髪をしていた。リオールトさんより少し低いくらいの長身だけれど、骨格はほっそりしている。


 リオールトさんは一瞬怪訝にしたけれど、すぐ真面目な顔になって、その痩躯の人物を眺めた。

「君はイーシャの蛇か」

「ええ。あなたが『リオ兄さん』?」


 声から性別は窺えないけれど、男性にしては高めの声だと思った。その人の質問には応じずに、リオールトさんは息をついて「出直すよ」と肩を竦めた。

 そのまま馬車に戻ってくるので、私は窓から顔を引っ込める。御者さんが入り口を開けてリオールトさんが入ってくるのと同時に、彼の肩越しにあの金髪の人がこちらを見ているのに気付いた。腕の中の少女は、まだ目を覚ましていないようだった。



 リオールトさんは馬車が動き出してしばらく、沈黙を破った。

「君はイーシャの知り合いか?」

 ――イーシャ。今日初めて耳にする名前だ。私は横に首を振る。

 なぜだかほっとしたみたいに、リオールトさんの表情が緩む。首を傾げると、少しばつの悪そうな顔をされた。

「知り合いだとしたら、君の事を訊けるだろう。あそこへ置いてきた方が良かったかと思ったんだ」

「あ、そっか……すみません」

「記憶が無いのは君のせいじゃないんだろう?」

 さらりとそんな事を言われると、嬉しくて目の奥がむずむずするからやめてほしい。

「だが、それにしては変だったな」

「イーシャ、さんの反応ですか」

 頷くリオールトさん。

「……もしかしたら、私が覚えていないだけで、彼女の方は知っていたのかもしれないですけど」

 自信がなくなってきた。なんせ記憶喪失なのだ。自分の過去については、まったく保証しかねる立場なのだ。

「まあ、また確認しよう。あと二三日はここに滞在する」

 用事があるのかな。さっきの、イーシャという女の子と何か関係があるんだろうか。

 立ち入った事だろうから、訊かないけれど。


 リオールトさんは御者さんを呼んで、聞きなれない単語を伝えている。いきなり馬車が動き出したので、私は手すりに触った。リオールトさんが少し笑う。

「宿へ行く。部屋を確保しないとな」

「部屋?」

「君の部屋だ」

「……あの、私、お金持ってないので」

リオールトさんは眉をひそめた。なんだか今すぐ馬車を降りた方がいいような気がしてくる。

「なので、泊まれません……」

「子どもがそんな事を気にしなくていい」

「こ、子どもじゃないです」

「なら尚更同じ部屋というわけにはいかないだろう」

 「だけど」と言い募ろうとしたら、にらまれてしまった。もともときつめの顔立ちなので、かなり怖い。私は小さくなって黙った。


 警戒していたよりも大きくないお宿だった。頑丈そうな門は開放されていて、普段着の男性が二三人出入りしている。

 人の数に私はかなりしり込みしたけれど、当然ながら人を見慣れているリオールトさんは、門に横付けした馬車からさっさと地面に降り立ってしまう。手を差し伸べられて、恐る恐る足を下ろすけれど、思ったよりも高さがあって……ごめんなさい、かなりリオールトさんの手に体重がかかったと思う。

 お礼を言おうとしたけれど、往来の人の視線を感じて、離そうとした手に縋ってしまった。

「君は……」

「う、えと、すみません」

 離さなくてはと思うのに、逆に力が入ってしまって解けない。


「――」


 人の声だと思った瞬間、背中があわ立った。

 私ってこんなに怖がりだったっけ?

 とんと背中を叩かれる。リオールトさんの手に力がこもって、しっかり握ってくれている。

「――このままでいい。行こう」



 門をくぐって、俯いたままふわふわした足取りで少し進み、低い段差を跨ぐ。空気が変わったと思った。木の匂い。

 顔を上げると、ここはもう宿の中らしい。黒っぽい色の壁の屋内は、外観の印象よりも広かった。エントランスの天井が高いせいかもしれない。目の粗いカーテンが明り取りを覆っていて、見上げても光が目を刺すことはなかった。

 二つあるカウンターのうちあいている方へリオールトさんが向かう。一緒に続きながら、隣のカウンターが気になってリオールトさんの影に隠れた。木製のカウンターの上の革張りの台帳に、備え付けのペンを走らせる。読めないけど、たぶん名前なんだろう。きっちりした筆記体は、なんだか性格がでているみたいだ。

 記入が終わると、横に置かれたベルを鳴らす。十秒くらいして返事があって、また十秒後にやっと向かいの扉があいた。頭のてっぺんがつるりと禿げた、白髪のお爺さんがエプロンで手を拭きながら出てくる。

 リオールトさんは顔色ひとつ変えずに声をかけた。

「もう一部屋借りたいんだが」

「予約の方?」

 台帳の名前をちらりと見て、一瞬だけ目を細めたお爺さんは、私を見て、またリオールトさんに尋ねる。

 なんだかぼんやりした印象のお爺さんだ。思わず顔を見つめると言う暴挙に出てしまうけれど、その人は全く気にした様子なく、使い込まれてテラテラになった木の棚から何か文書を取り出して、上から下まで目を走らせている。

 ――お爺さん。

 私、『お爺さん』って知っている。お年寄りのことだ。老人、ともいう。高齢者、は、あんまり口に馴染まない。

 たぶん身近にいたんだろうな。

 知らないうちに息をついていた。また吸って吐くと、動悸が少し穏やかになる。


「部屋はあいてる。隣がいいですか」

「頼む」

 お爺さんは懐から取り出した鍵の束から一つ選ぶと、それをリオールトさんに渡した。

「ハル」

「あ、はい」

 名前を呼ばれて、差し出した両手の上に黒い金属の鍵がのる。ポケットに入っていたはずなのに、ひやりと冷たい。

 リオールトさんは「行くぞ」と踵を返した。慌てて追いかける。

 ああ、びっくりしてお礼を言い損ねた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ