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15鬼の目




 なんとかなった、といえばなったんだろうか。

 私の醜態に、御者の人は当たり前かもしれないがすごく慌てた。金属を打って作った頑丈そうな馬車の中と会話をして、話が付いたらしく、その『コウギル』という町まで連れて行ってもらえることになったらしい。

「まったく、こんな子供を放っておくとは、どんな親だ」

 なんて御者さんは言っていた。どうやらうまく勘違いしてくれたらしい。


 さていざ馬車に乗せてもらうだんになって私は困った。足がけに一歩乗ったところで、自分の靴が草の汁や泥をかぶって色が変わっている事に気付いたのだ。よく見ると、茶色のズボンにも草の種や木の芽が引っかかったりしている。

 かわって馬車の内装は黒檀みたいに艶のある板張りで、二人がけくらいのスペースの座椅子には鮮やかな臙脂の布が敷いてある。ほこりとか、無いんじゃないかな。

 私は困りきって、その席に進行方向を向いて座っている馬車の主に声をかけた。

「あ、あの……」

 短い金髪の男性が、形のいい鼻先をこちらに向ける。深い緑色の服は、かっちりしていて、なんだか気後れしてしまう。

「なんだ、早く入らないか」

 声は意外と穏やかだ。私がおどおどしているのに気付いてか、そっと手を伸ばしてくれる。そこで私の姿を確認したみたいだった。勇気がなくて、私はその手と車内とを交互に見た。

「汚してしまいます」

「そうだな。汚れるな」

「うう」

 男性は私のうめきに眉をひそめながら、手を引っ込めた。

 泣きそうかもしれない。そう思って無理やり息をのみこんだ時、男性は傍らに無造作に置いてあった黒色の上着を、彼の向かいの席に敷物みたいに広げると、また初めと同じように手を伸ばしてくれる。

「借り物だからな、綺麗なまま返すに越したことはない」

 私が差し出された手と、上着の敷かれた席とをただ見比べていると、不思議そうに口を開かれた。

「これは自前だから、座っていいぞ」

「……あ、はい」

 手を取られて、一歩二歩、その四角い空間に足を踏み入れる。誘導されるまま席に着いた。向かいの男性は、早くも自分で馬車の扉を閉めると、私の背中側に向かって、馬を走らせるよう声をかける。間もなくして馬車は走り出した。


 ――人、だよね。

 確認したい。したいけど、いきなり「あなたは人ですか」って訊いたら、すごく変な人だと思う。


 私はちらちらと、馬車が走り出すなり腕を組んで目を閉じてしまった男の人の顔を盗み見る。


 金色の髪。服と同じ色の緑の目は、今は伏せられていて見えない。服には金色や黒の刺繍が派手にならない程度にあしらってあるけれど、個人のおしゃれというよりは制服の決まりみたいに見えた。揃いの帽子が、座椅子の上に置いてある。つばだけ黒いそれも、品はいいけれど、遊び心はないと思う。

 私のお尻の下の上着も、合わせてあるんだろう。今更ながらに申し訳なくて、お尻が居心地悪かった。


 軍隊の人だろうか。そもそもそういうシステムがあるのかないのか分からないけど、でも警察みたいな組織はないと治安を守るのは大変だよね。


 じいと観察しながら内心でぶつぶつ喋っていると、男の人が前触れもなく目を開けた。

「なんだ。キインフクが珍しいのか」

「う、わあ! ごめんなさい!」

 びっくりして思わず頭を下げる。ああだけど、キインフクってなんだ。

「別にいいがじろじろ見るんじゃない。気になるなら訊けばいいだろう」

 訊いていいのかな。でも、『人』の間ではすごくすごく常識なことだったら、知らないと変だよね。

「……あの、キインフクって、なんですか?」

「キインを知らないのか?」

 きいん……あてはまる漢字が思いつかずに、私は頷いた。

「そうか、案外と知られていないものなんだな。まあその歳もあるんだろうが」

 何歳に思われているんだろう。だけどやぶ蛇だったら怖いので、大人しく言葉を待つ。

「貴族の息子が通う学舎だよ。そこを出ると支給されるのがこれだ」

 男性は自分の胸を指差してみせる。

 そうか、キインのキは貴族の貴か。『貴院』、かな。それで、この緑の服は『貴院服』と。



 馬車の立てる音に慣れた頃、人の波に飲まれたようなざわめきが身体の周りをとりまいた。

 鳥肌が立って、あたりを見渡してしまう。

「どうした?」

 気付かないの? それとも、慣れているんだろうか。

「町に、着いたんですか?」

 男の人は、小さな窓のカーテンを払って外を覗うけれど、すぐ首を横に振る。

「いや、もうしばらくかかるが……」

 その目が窓のガラス越しに何か捉えて、不意に細められた。カーテンは元のように外と中とを遮断してしまう。


「何か?」

「――鬼の目だ」


 ――鬼?


「……鬼が、いるんですか?」

 男の人は怪訝に私をうかがったけれど、寒気に腕をさすっているのに気付くと、表情を穏やかにして笑ってみせた。だけど、さっきの今だから、ちょっと不自然だ。


「『鬼の目』という四つ角があるんだ。鬼が入ってこないようにと、蛇の像を建てて睨ませてあるんだよ」


 ――蛇が、睨む?


 蛇ってあの、にょろにょろした生き物のことだろうか。正直あまり好きにはなれない。

だけど、なんで『鬼』の目?


「『蛇』の目ではないんですか? 睨んでいるのは蛇なのに」

「蛇が睨んでいるから通れない鬼が、行き交う人をじいと見るらしい。たまに……お前のように怯える者がいるから、そういう噂がたったんだ」


 あれが、『人』を見る鬼の目?


 身体の芯が冷えるような気がした。




「――記憶が、無い?」


 私が怯えた顔を続けたせいか、男の人は話を変えようとしたのだろう。私の名前を尋ねてくれた。同時に住所も訊かれたものの、正直全く不明なのだ。鬼の里へ行く前も、森の中で寝ていたんだし。

 「覚えていません」と返すほか無かった私に、男の人は一瞬黙って、そして前述の言葉を放ったのだ。


「全く無いわけではないんだろう? 名前は覚えていたようだし」

「……名前以外は、ほんとに、なにも」


 そうか、と呟いて、ふと顔を上げる。

「しかしその服だ。暮らしていたのはそう離れた地域ではないんじゃないか」

「これはもらったんです」

「もらった?」

「しばらくお世話になったところがあったので、そこで」

「なぜその家を出てきたんだ?」

「それは」


 ――人の事を知るためだ。


 そんな事を言って、鬼の里にいた事を知られて、鬼の立場を悪くするようなきっかけになるのはダメだ。

 だからって、他に何もうまい理由が浮かばなくて、私は沈黙する。男の人は小さく息をついた。怖くなって目線を上げた先で、思っていたよりもずっと穏やかな緑の瞳にあった。


「――俺はリオールト・ベルノという」


「え?」


「あてを探すんだろう? 手伝ってやる」


 思わずその顔を凝視した。

 期待しなかったわけじゃない。だけどできすぎているもの。鬼の里に引き取られたときだって、感謝して感謝して足りないくらいの厚意をもらったのに。


 ――どの人も、この人みたいに優しかったら、どうしよう。


「どうした? まずいのか?」

「いえ、まずいなんて、とんでもないです。あの……ありがとうございます」


 困ることじゃないのに、どうして頭の中で不安がぐるぐるするのかな。



 人の町は、鬼の目に睨まれた時よりも強い活気に満ちていた。少なくとも、馬車の中から分かるような悪意はない。

 門をくぐる際、御者さんが誰かと言葉を交わしていた。

 ――あの声も、人。

 外を気にする様子が顔に出ていたんだろう、リオールトさんが窓のカーテンを開けて、こつこつとガラスを叩いた。


「見てみるか」

「いいんですか?」

 リオールトさんは頷いた。口の端が笑っている。なんだか『田舎者』な気分だけど、それよりずっと世間知らずなんだよね。山の中にあった鬼の里しか、私は知らないんだから。

 リオールトさんが脇に避けて作ってくれた空間に膝をついて、そっと窓をのぞきこんだ。


 ぶわっと、強い風にさらわれたみたいに、全身に鳥肌が立った。

 町の外に比べたら馬車は速度を緩めていたけれど、流れる景色は色とりどりで、近くのものはなかなか捉えられない。だけど、道の端を過ぎていくたくさんのそれが、人の形をしていることは分かった。数えようとして、頭が目の前のものを認める前にいくつも違うものが現れて、また消えていく。溢れそうな情報量にめまいを覚えて逸らした先には、背の高い建物がぐんぐん、これもたくさん生えている。時々光が目をくらませるのは、建物に張りついた窓だと気付いた。その中にも、ちらりと人の顔が映ることがある。


 窓に頭をくっつけたまま、私は耐え切れずに目を閉じた。心臓が割れそうに高鳴って、自分がわくわくしているのか、それとも不安につぶされそうなのか、判断が付かなかった。


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