邂逅01
「もう毎日飲まなくても大丈夫そうですね」
私の言葉に、半年前に比べて明らかに血色の良くなったディート様が笑顔になった。
「この薬は凄いね。身体を動かすのがこんなに楽になるとは」
「だからって、無理しないで下さいね。散歩のような軽い運動ならいいですけれど、激しく動いたりして心臓に負担がかかるとまた戻ってしまいますから」
「ああ」
「…完全に良くなった訳ではないんです。でも上手く付き合っていけば悪くなる事もありませんから。どこまでなら大丈夫かは、これからディート様がご自身の身体で確認していって下さい」
テーブルに置いた薬の瓶を指す。
「発作が起きたらすぐに薬を飲んで下さい」
「分かった。———ふふ、エミーリアは医師みたいだね」
そう言うとディート様は私の手を取った。
「ありがとう。こんなに良くなるとは思っていなかった」
「兄上」
そのまま引き寄せられて、甲にキスをされそうになった私の手をベルハルトがディート様から奪うように取った。
「…感謝のキスくらいさせてくれてもいいだろう」
「言葉で十分です」
「そういう所はいつまでも子供だな」
苦笑してそう言うと、ディート様は改まった。
「ベルハルトもありがとう。薬を作ってくれた者達にも直接感謝を伝えたいが…」
「代わりに伝えておきます」
「そうか」
「それじゃあエミーリア、父上の所へ行こうか」
「もう行くのか?」
ディート様は残念そうな顔になった。
「次はいつ帰って来る?」
「…分かりません」
「———私の結婚式には二人とも出てくれるだろう?」
「え…」
結婚?!
「決まったのですか」
「ブラーネス王国の王女とね。まだ正式に婚約してはいないから今ならまだ止められるよ。エミーリアさえ良ければ…」
「兄上、おめでとうございます」
再び私の手を取ろうとしたディート様を遮ると、ベルハルトは私を立ち上がらせた。
「結婚式にはエミーリアと二人で出席します」
「…楽しみにしてるよ」
「それでは兄上、また」
私の手を引いてベルハルトは部屋を出て行った。
「全く。兄上はまだ諦めてないのか」
ブツブツ言うベルハルトに手を繋がれたまま、長い廊下を歩く。
「…ディート様はベルハルトをからかっているんじゃないの?」
すぐムキになるから。
「本気だよ兄上は」
そうかなあ…
ベルハルトが過剰に気にしすぎるだけだと思うんだけど。
「———でも薬が効いて元気になって良かったわ。半年前はああいう事を言う気力もなかったみたいだったから」
「…そうだな」
半年前にディート様のための薬が出来た。
様子を見ながら服用してもらって…私に見える限りではすっかり血の巡りも良くなっている。
普通の生活をする分にはもう問題ないはずだ。
…だけど心臓が弱いのは生まれついたものだから、これからも油断は出来ないけれど。
「そうか。それは良かった」
私達の報告を受けて陛下は頬を緩めた。
「———正直、一時は諦めなければならないかと思っていたが…。二人ともありがとう」
陛下の顔がふと真顔になった。
「ところでベルハルト。お前はいつまでこの生活を続けるつもりだ」
「…いつまでとは」
「ディートもすっかり丈夫になった。婚姻も決まり、あれが王位を継ぐ事に反対する声ももうほとんどない。この国に戻って兄を助けようとは思わないか」
「———僕の進む道はこの国にはありません」
陛下を真っ直ぐに見つめ返してベルハルトは言った。
「国にいなくとも、今回のように兄上の助けにはなれます」
「戻るつもりはないのか」
「はい」
「……そうか」
視線を逸らせた陛下の横顔は少し寂しげだった。
私の家へと向かう馬車に乗ると、ベルハルトは私を抱きしめ唇を重ねてきた。
「……ふ…」
目を開けると…熱を帯びた瞳が私を見つめていた。
「…エミーリアの家には行かないで、どこか宿に泊まろうか」
「…だめよ…お祖父様に怒られるわ」
「バレなきゃ大丈夫だよ」
「分かるわよ、お祖父様だもの…。外に出たり会う事を禁じられたら困るわ」
私でないとディート様の具合が分からないから渋々この国に戻る事を認めてくれているけれど、相変わらずお祖父様は私を城の外に出したがらない。
せっかくのベルハルトとの旅だけれど、護衛としてルプスとトロワも一緒に来ているから…二人きりになれるのは、この馬車の中だけだ。
「———」
深くため息をつくと、ベルハルトは私を抱きしめ、もう一度キスをした。
…中々会えない代わりに、二人きりになれた時のベルハルトと交わすキスはとても…その、濃厚だ。
「…もう少し、だから…」
ようやく唇を解放されて…熱い吐息が漏れてしまう。
「分かってるけど…自由に二人きりになれないのは、辛いんだ」
「……それは私もよ」
でもあともう少し…私が十七歳になったら。
そうすれば、正式に私達を認めて貰える。
この半年間、ベルハルトはとても頑張ってきた。
ルプスに剣を、トロワに魔法を教わり作った剣もだいぶ使いこなせるようになった。
私もお祖父様から魔法や魔族の国の事を教わっていて、互いに忙しいけれど、なるべく機会を作っては会うようにしているからあれ以来魔力を乱す事もなく、魔族の城での生活にもだいぶ慣れた。
黒髪赤瞳の魔族の中で、金髪碧眼のベルハルトはとても目立つ。
その容姿と人間という事、私との関係のせいで当初は厳しい目で見られていたけれど、黙々と訓練に励み、薬の素材を採りにあちこち駆け回り魔物を倒すベルハルトの姿に、向けられる視線も柔らかくなってきた。
その様子を見てお祖父様が約束してくれたのだ。
私の十七歳の誕生日に、私は正式に魔族としてお披露目される。
その時にベルハルトも婚約者としてお披露目してくれると。
「私が十七歳になってお披露目が済めば…ベルハルトも城に住めるようになるし頻繁に会えるわ」
「…でもまだ結婚は出来ないんだろう。これ以上お預けは辛いよ」
ベルハルトの手が私の背中を撫でる…その意味ありげな動きにぞくりとする。
「———元から結婚は十八歳にならないと出来ないでしょう」
「魔族は結婚出来る年齢に決まりはないんだろう」
何がお預けで辛いのかは…スルーしてそう言うと、ベルハルトは口を尖らせた。
「エミーリアが素直に王太女になると受け入れればすぐ結婚まで行けるのに」
「…だって無理だもの」
私が魔王になるとか!
———お祖父様や側近達は、十七歳のお披露目の時に私がお祖父様の後継…次の王としての披露もしたいと望んでいるのだけれど、それはやめてもらった。
ルプスは「王は姫様を手元に置くために後継者にするだけで、王位を譲るなんてまだまだ先の話だからとりあえずなっとけば」なんて軽く言うけれど。
私にはとても…ひとの上に立つような立場になどなれそうもない。
「無理じゃないよ。エミーリアは、皆が守りたくなる王になれるよ」
「…守られるのは王としてダメなんじゃないかしら」
「色々な形の王がいていいんだよ」
「ベルハルトは…それでいいの?」
もしも私が王太女になったなら、もうあの国で生きていかなければならない。
そしてベルハルトも、私の結婚相手…王配として、あの国に縛られてしまうのだ。
「僕は国から出なかったら、兄上の補佐として国を守る予定だった。補佐する相手と国が変わるだけだよ」
何ともないといった顔でベルハルトはそう言った。
「僕が一番守りたいのはエミーリアだ。エミーリアが魔族の王になるのなら、僕もあの国の住人となるだけだ」
「ベルハルト…」
「何がそんなに不安なの?」
ベルハルトの両手が私の頬を包み込む。
「…色々よ。色々ありすぎて…こんなに不安になる弱い私が王だなんて……」
「だから僕が側にいるんだよ」
額に優しいキスが落ちる。
「僕だけのエミーリアじゃなくなってしまうのは残念だけど。だけど一番側にいるのは僕だからね。それは誰にも譲らないよ」
「ベルハルト…」
「僕が守るから、心配しなくてもいいんだよ」
もう一度…今度は唇にキスが落とされる。
…どうして、ベルハルトは…私が魔王となる事に前向きなんだろう。
最初その話を聞かされた時は驚いていたが、すぐに「いいんじゃないかな」とあっさりと受け入れていた。
「本当に、いいの?」
私はベルハルトの瞳を見つめた。
「もう旅もできなくなるし…私の方が立場が上になるのに」
「僕の望みが叶うからいいんだよ」
真っ青な瞳が優しい色を映す。
「望み?」
「僕が一番最初に望んだのは、世界一の騎士になる事だった」
ベルハルトは私の手を取った。
「騎士は姫を守るものだろう?」
そうして甲に口付けを落とされた。
「———」
触れられた部分から…熱が身体中に伝わるのを感じる。
「僕は君の騎士となって、一生君を守る事を誓うよ」
久しぶりの…王子様スマイルが、眩しすぎて。
「ふふっ、エミーリア可愛い」
顔を見てられなくなった私は、家に着くまでの間ベルハルトに抱きしめられたままだった。




