66 手を出すな
「エゼルバード」
クオンは言わずにはいられなかった。
「近づくな」
エゼルバードは眉を吊り上げた。
「リーナですか?」
「そうだ」
エゼルバードは驚いた。
「なぜ、そのようなことを?」
「お前に利用され、良くない方向へ進むのではないかと思うと見過ごせない」
エゼルバードは王族ゆえの特権を当然のごとく行使する。
他人が自分のために尽くし、役立つのは当然だと考える。
利用するだけ利用し、必要なくなれば平気で切り捨てる。
気まぐれで飽きっぽい。最後まで面倒を見るようなことは絶対にしない。後始末も含めて全て部下に任せる。
クオンは真面目で誠実なリーナが弟に利用され、見捨てられることを憂慮した。
エゼルバードは兄らしいと思いつつもひっかかった。
なせ、今更になってそのようなことを言うのだろうかと。
「まさか」
エゼルバードは自分でも信じられない言葉を口にした。
「お気に召されたのですか?」
クオンは困惑するような表情になった。
エゼルバードも困惑した。
ありえない。
リーナは召使い。兄は王太子。その差は歴然だ。
王太子は跡継ぎを作らなければならない。
だからこそ、王太子妃の対象にならない女性にはあえて興味を持たないようにしているのだろうとエゼルバードは思っていた。
何かにつけて妻は正妃一人で十分。側妃はいらないと兄が言っていたのもある。
「正直に話してください。手をつけているのですか?」
「勘違いするな」
クオンははっきりとした口調で否定した。
「私は王太子だ。国民を守る義務がある。口で言うのは簡単だが難しい。守れていない国民もいるだろう。だが、できるだけのことはしたい」
良心的な者には良心的でありたい。
尽くしてくれる者には、相応に報いたい。
理想論ではあるが、何もできないわけでもない。
「真面目で誠実で心優しい者を傷つけるようなことは望まない。王族だからといってどんなことをしてもいいわけではない。お前は気にしないだろうが私は気にする」
クオンはまっすぐにエゼルバードを見つめた。
今こそ、本心を伝えるべきだと思いながら。
「これまでは弟だからこそ、自由にすればいいと思ってきた。干渉や制限をしたくなかったが、お前は善良な者でさえも平気で傷つける。改善すべきだ。ずっとそう言いたかった」
エゼルバードは特別な配慮ゆえに見逃されていたことを知った。
「あの者とは偶然会ったことがある。親しいわけでもなければ特別な感情があるわけでもない。だが、知らない者でもない。お前の好き勝手にはさせない」
エゼルバードは尋ねた。
「それは、兄上の手駒にされるという意味でしょうか?」
「お前が自らの手駒にしたいというのであればそうする。だが、私の手駒として利用するためではない。ただの召使いではないか」
クオンはため息をついた。
「後宮で真面目に誠実に働いている。懸命に正しく生きようとする国民の一人だ。王太子として何かをしてやるのも悪くはない」
逆では?
エゼルバードは思った。
王太子だからこそ、たった一人の国民のことなど気にしない。王太子が気にするのは国民全員だ。
その方が正しい。納得できる。
兄は自分自身、個人よりも国や王家のことを優先するのが当然だとしてきた。
だからこそ、兄の言動に違和感を覚える。
なぜ、リーナを自分の手駒にしてまで、他者に利用されるのを阻止するのか。
すでに自身の手駒であり、取られたくないということであればわかる、だが、そうではない。
価値のない者を欲しがるのも惜しむのもおかしい。
エゼルバードは探るようにクオンを見つめた。
「この話は終わりだ」
弟からの居心地の悪い視線を感じたクオンは強制的に話を終わらせようとした。
「お待ちください。話したいことがあります」
「何だ?」
「色々と……偶然ですが、あの者のおかげで、私は益を得ました。それだけではありません。他にも色々あります。一言でまとめれば、気に入っています。個人的に寵愛するのは問題ありませんか?」
クオンは驚いた。
「寵愛するだと?」
「そうです」
「リーナを妻にする気か?」
「さすがに無理でしょう」
エゼルバードはリーナの素性調査をさせていた。
「あの者は平民の孤児です。両親が死んだ後、孤児院で育ったようです。あまりにも低い出自ゆえにうるさい者がいるかもしれませんが、私は第二王子です。一人位は身分が低い者を側においても」
「駄目だ!」
クオンは叫んだ。
「一人位などと軽々しく言うのであれば認めない! 一生面倒を見る気もないくせに無責任なことを言うな!」
「兄上であれば最後まで面倒を見るというのですか? 特に何かをするわけでもなく、手放しで見ているだけでは?」
「手放しではない。お前に利用されないよう庇護しようとしているではないか」
「私が利用する者は大勢います。中には扱いが粗雑になってしまう者もいるでしょうが、相応の理由があるからです。兄上はそれをご存じないだけのこと。リーナはただの召使いですが、しっかりと報いています。ご心配されるようなことはありません」
「しっかり報いているだと?」
「はい」
「どのように報いている?」
「見舞いに行き声をかけました。第二王子である私が、わざわざ召使いに会うために後宮に足を運んだのです」
興味があったからだ。気になることも。
利用できることはないかと探りに行っただけではないのか?
クオンはそう思った。
「ゆっくり休むよう優しく声をかけました。先ほども変な顔をしましたが、軽く注意するだけに留めたではありませんか。ワゴンの仕掛けについても教えてあげました」
確かにエゼルバードにしては配慮しているかもしれないとクオンは思った。
しかし、それだけでしっかりと報いていることにはならないとも感じた。
「リーナに会ったことで医療費の無駄を見つけることができましたので、褒章としてペンを与えました。それなりに高価です。インクも新しく補充してから与えました。きちんと配慮したのです。兄上が知らないだけで、私も色々としているのです」
「お前がリーナを寵愛する気がないのはわかっている」
クオンははっきりとした口調で言った。
「お前が色々という時は大体怪しい。そう言っておけば、後でこれもあれもそうだったなどと付け加えることができる。まさに色々と対応可能だと思っている証拠だ」
エゼルバードは反論できなかった。
「悪い口癖だ。控えろ。この助言が対価だ。リーナに手を出すな。いいな?」
「わかりました。愛人にはしません」
「側妃も駄目だ」
「わかりました」
「それでいい」
話し合いは終わりになった。
エゼルバードは心の中で黒く微笑んだ。
リーナに手を出さない。愛人や側妃にはしないという意味で。
それ以外は何も約束していない。
駄目だと言われると、逆のことをしたくなることもある。
エゼルバードはリーナにどのような利用価値があるのかを検討することにした。





