23 問題の報告
「おはようございます」
リーナが清掃部に顔を出すと、部屋中の視線が集まった。
「巡回書類を受け取りに来ました」
「ここよ」
書類と下敷きの板を取り出したのは、まだ名前も知らない侍女だった。
リーナは担当者の名前を思い出そうとした。
「失礼ですが、セーラ様でしょうか?」
「そうよ。これからは私が上司です。バインダーは私の所に受け取りに来なさい」
「はい」
リーナはしっかりと頷いた。
「ペンはある?」
「昨日、購買部で買いました」
「メモ帳は?」
「あります」
手作りのメモ用紙が。
「時計は?」
「買いました」
リーナは借金を思い出して表情を曇らせたが、セーラは満足そうに頷いた。
「一人で仕事をする以上、自分で時計を持っていないと困ります。買ったのは正解よ」
「ザビーネ様にご指摘いただき、一番安い時計を購入しました」
「ではこれを。頑張りなさい」
「はい」
リーナはバインダーを受け取った。
「セーラ様、早速報告があるのですが、よろしいでしょうか?」
「何も書いてない状態で報告しては駄目よ。まずは書きなさい」
「はい」
リーナはすでに巡回していたトイレについての情報を記入した。
大体は覚えているが、タオルやトイレットペーパーの数がわからない。
覚えていたはずなのだが、掃除で忙しかったために忘れてしまった。
「すみません。掃除中に忘れてしまったところがあります。ですが、一の評価であることは覚えています。臨時で掃除をしないといけない場所があります」
「見せなさい」
セーラはバインダーを手に取り、リーナの書き込んだ内容をちらりと見た。
「報告の所だけど、私に報告したことを書いておきなさい」
「はい」
セーラはすぐに眉を上げた。
「赤の控えの間が一になっているわ。午前中に掃除をしていないの?」
「掃除はしたのですが、どうしても汚れが落ちない箇所がありました」
予定されていた掃除時間が過ぎてしまったため、対象の個室は使用禁止にした。
今は薬品湿布で汚れを浮かせている。
後から自分で再掃除するつもりだとリーナは説明した。
「それほど汚れているの?」
セーラは怪訝な表情で尋ねた。
これまでは特にそういった報告を受けたことはなかった。
突然、一度の掃除では済まないほど酷い状態になったということになる。
「わかりにくい場所なのです。恐らくは汚れに気づかれないまま時間が経ってしまい、落ちにくいのだと思われます」
「前任者がしっかり掃除してなかったということね?」
リーナは不安になった。
「見える部分はとても綺麗です。ただ、とても見えにくい場所があって……」
「そういうところもしっかり掃除するのが仕事です。貴方は新人ですが、汚れに気づきました。きちんと隅々まで掃除しようと思えば、気づけたはずなのです」
セーラの表情はきついものになっていた。
「汚れが酷いのであれば報告が来るはずです。ですが、報告はありませんでした。前任者が気づかなかったか、汚れが取れないまま放置したということです。これは失態です」
召使いの失態であっても、その上司の侍女や侍女見習いまで責任を問われてしまい、処罰されてしまうこともある。
「召使いは自分のせいなので仕方がありませんが、不真面目な召使いのせいで責任を取らされる侍女は困るに決まっています。つまり、私が困るのです」
セーラは強い視線でリーナを見つめた。
「よく気づきました。これからもしっかり報告しなさい。どれほど細かいことでも構いません。わかりましたね?」
「わかりました」
セーラの気迫に押されながらリーナは答えた。
「金の控えの間も再度掃除となっています。赤の控えの間と同じようなことですか?」
「同じです。こちらは全ての個室を使用禁止にしました」
セーラの表情は一層険しいものになった。
全ての個室が使用禁止ということは、トイレがまったく使えないということだ。
「控えの間は外部の者も利用します。掃除は完璧でなければ、後宮の責任を問われます。この件については厳しく対応します。恐らくは、白の控えの間も同じかもしれません」
追加になった三カ所は全て同じ者が担当していた。
「このままでは巡回は全て終わりません。貴方は一枚目の書類にある場所の巡回をしなさい。二枚目以降は全てポーラにさせます」
但し、一週間だけ。
リーナが仕事に慣れれば、巡回できる場所が増えるはずだ。
「一週間後は二枚目も貴方がしなさい。三枚目以降はポーラにします。問題なければ、一週間ごとに一枚分増え、一カ月後には全て巡回できるようにしなさい。できなかった場所はポーラにさせます。あくまでも掃除が優先です。いいですね?」
「わかりました」
セーラは臨時で掃除をする指示書を作成した。
「まず、赤と金の評価は四に訂正します」
一のままだと、リーナの掃除が悪かったという記録になってしまう。
実際に悪いのは前任者であってリーナではない。
そこで、リーナの評価が悪くないように数字を変えたのだ。
「貴方の掃除が非常に悪かったという評価にならないようにするためです。前任者の失態を貴方につけるわけにはいかないので、今回だけ特別な対応をします」
「ご配慮いただきありがとうございます」
リーナがしっかりと頭を下げると、セーラは頷いた。
「使用禁止の個室は再度掃除が必要です。後でしておきなさい。その際は控えの間が使われていないか確認してから入りなさい」
「ノックすればいいのでしょうか?」
「接客部に行きなさい。場所はわかりますか?」
「わかりません」
「見習いに聞きなさい」
「はい」
「昼食時に地下に戻るはずです。この書類を掃除部のマーサに渡しなさい」
リーナは臨時の掃除をする指示書を渡された。
「十四時から白の控えの間に行くはずです。また同じかどうかを先に報告しなさい」
「わかりました」
「黒は元々貴方の担当ですので大丈夫でしょう。残り時間は一枚目の巡回です」
しかし、巡回後は清掃部の通常勤務が終わってしまっている。
「バインダーは毎日使うので持っていても構いませんが、書類は駄目です。封筒に入れて業務ポストにいれなさい。清掃部の私宛に送るのです。翌朝には私の元に届いているはずです」
前にも郵送での報告をしていただけに問題はないとリーナは思った。
しかし。
「封筒には親展の印を押しなさい。それから差出人のところには所属部と名前だけでなく家名も書きなさい」
リーナは表情をこわばらせた。
「家名はないのですが……」
「家名がないのですか?」
セーラは怪訝な顔をした。
普通はある。必ず。
「私は七歳の時に両親がなくなり、孤児院で育ちました。書類に不備があって、家名の部分がわからなかったそうです。なので、孤児院の方で新しい家名を考えてくれました」
仮の家名になるため、どうしてもという時以外は名乗らないことになっていた。
「その家名は?」
「セオドアルイーズです」
男性と女性の名前を合わせたものだった。
「なぜ、そのような家名に?」
「父と母の名前みたいです」
セオドアはすでに他の者の家名になっていた。
そこでルイーズもつけた。
「では、それで」
「待ちなさい」
これまで黙っていたメリーネが突然口を挟んだ。
「貴方の家名は変わっているせいで目立ちます。興味を持った者のせいで書類の開封や紛失につながると困ります。イニシャルにしなさい」
「さすがメリーネ様です。そうしましょう」
リーナはイニシャルを付け加えることを頭の中にメモした。





