148 王子付き
二週間が過ぎた。
第四王子のエリアは激変した。
アリシアが第四王子エリアの実態を報告書にして提出したことにより、王太子はすぐに国王の元に行き、速攻で側近と侍女達を辞めさせ処罰するよう主張した。
また、王太子は第三側妃から監督権限を剥奪し、代わりに自分が弟の正式な後見人となって監督することを提案した。
国王は報告書を読み、第四王子が酷い状況で生活していると知って驚いた。
側近や侍女達が第四王子の命令を無視。そのことを報告することもなく、王族をないがしろにし続けていたとは思わなかった。
第四王子への不敬行為を許すわけにはいかない。
国王は王太子の負担が増えることを懸念したが、第四王子が王太子に対してだけは懐き、暴言を吐くこともなく礼儀正しいのを知っていた。
第四王子と王家の将来を守るため、国王は王太子に任せることにした。
王太子は国王の勅命により、第四王子の後見人となり、監督権限と、第四王子に関わることについて、国王の代理としての権限を認められた。
王太子はすぐに与えられた権限を行使した。
第四王子付きの側近、侍女、侍女見習いを全員解雇。王族への不敬行為があったとして、投獄した。
第四王子の新たな側近にはパスカルが就任した。
但し、あくまでも一時的な対応で、王太子の側近との兼任だ。
王宮からは王太子付きの侍女十名が、臨時に派遣されることになった。
派遣となる侍女は、二度と同じようなことにならないためにも、ベテランばかりが選出された。
第四王子エリアは一気に人員が減り、静かになった。
そして、すぐにベテランの侍女達が来た。
アリシア、ローラ、メイベルは自分達の先輩となる侍女達が派遣されたことに対し、明らかに渋い顔をしていたが、仕事に関しては非常に信頼できる者達でもある。
第四王子のエリアは徐々に隈なく掃除され、見違えるように綺麗になった。
そして、人員不足であることから、リーナは掃除だけでなく第四王子付きの側付きとしての仕事もすることになった。
「リーナ」
セイフリードがリーナを呼んだ。
「お茶が欲しい」
「はい」
リーナはすぐに部屋の中にあるワゴンへ向かい、すでに用意されているお茶をカップに注いだ。
リーナが用意したお茶を飲むと、セイフリードは眉をひそめた。
「ぬるい」
「ぬるいでしょうか?」
ポットは非常に熱かった。保温するためのカバーもかけておいた。持って来てからそれほど時間は経っていない。お湯はまだ熱いままだとリーナは思っていた。
「申し訳ありません! すぐにお湯を用意いたします!」
リーナは慌ててお茶のカップを下げようとしたが、セイフリードがカップを持ったままだということに気付いた。
「王子殿下、カップを下げますので……」
「お前は王族が持っているものを奪おうというのか?」
リーナは震えた。
自分がしようとしたことが、非常に無礼な行為だと気づいた。
リーナはすぐに土下座した。
「申し訳ありません!」
セイフリードはお茶のカップをテーブルに置いた。
「お前は王族付きの侍女には向いていない。なぜかわかるか?」
「失敗ばかりするからです」
「土下座をするからだ」
リーナにとっては意外な理由だった。
「謝罪は重要だと思うのですが?」
「謝罪さえすればいいというのか?」
「い、いえ。そういうことでは」
「土下座というのは、非常に深い意味を示す行為だ。謝罪の土下座はただの謝罪ではない。非常に深い謝罪だ。だが、謝罪以外のこともあらわす。身分の高い者が通った際、土下座するということもある。それはわかるか?」
「はい」
リーナは頷いた。
「お前は廊下で王族に遭遇した。その際、土下座するか?」
「廊下の端により、深く頭を下げます」
「なぜ、土下座ではないかわかるか?」
リーナは言葉に詰まった。
セイフリードは何も言わない。リーナを静かに見つめていた。
「……わかりません」
「そういうものだからだ」
曖昧だとリーナは思った。
「お前は平民だ。王族が馬車に乗って王宮の外に出かけた姿を見たことがあるか?」
孤児院にいた頃、第三王子が成人したことを祝うパレードが行われたことをリーナは思い出した。
「あります」
「その時、国民は王族の馬車を見て土下座していたか?」
「しませんでした」
「では、深々と頭を下げたか?」
「いいえ」
「どんな風にしていた?」
「拍手をしたり手を振ったりしていました」
「パレードだったのか?」
「そうです。第三王子殿下が成人したパレードでした」
「王族が通った際、通常は頭を下げ、深く腰を落とすか曲げて礼をする。しかし、身分が非常に低い場合は土下座をすることもある。パレードなどの場合は拍手をしたり手を振ったりする。様々な方法で、王族を敬っているということを示すということだ。わかるか?」
「はい」
「謝罪についても同じだ。様々な方法がある」
言葉だけの場合もあれば、頭を下げるだけのこともある。
深々と頭を下げることもある。土下座をすることもある。
「謝罪の種類や深さに応じて使い分けなければならない」
リーナは失敗した。王族の目の前で失敗したのは非常に良くない。すぐに謝罪をする必要がある。
但し、適切な謝罪でなければならない。
「お前はすぐに土下座をする。できるだけ深い謝罪を示したいからだというのはわかる。だが、今の失敗に対する謝罪としては適切ではない。ただでさえ失敗しているというのに、謝罪のやり方も間違っている。より失敗を重ねてしまっている」
謝罪するのはいい。だが、謝罪なら何でもいいわけではない。
土下座ならいいわけでもない。
土下座の謝罪は、土下座の謝罪に相応しい状況の時にしなければならない。
「王族付きの侍女はただの侍女ではない。階級が高い侍女だ。軽々しく土下座をするな。王族付きの侍女の名誉を傷つける。ひいてはお前を王族付きにした者にも迷惑をかける。そんな者が王族付きをするのは駄目に決まっている」
リーナはセイフリードの言葉の意味を理解した。
リーナはできるだけ深く謝罪すればいい。最大級の土下座をするのが最も良いと思っていた。
しかし、それは間違いだった。
適切な謝罪をすることが正解だった。
「土下座することが間違いだとわかったか?」
「はい」
「では、すぐに立ち上がれ。そして、もう一度謝罪をしろ。適切だと思える謝罪だ」
「はい」
リーナは立ち上がると、腰を落として深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「それでいい。新しいお茶を用意しろ。熱いお茶がいい。ぬるいのは嫌いだ。僕がお茶を用意しろと命じてからお湯を手配すればいい」
「はい。少し時間がかかってしまいますが、お待ちいただけますでしょうか?」
「それぐらいは誰でもわかる。いちいち伺いを立てる必要はない。さっさと用意しにいけ」
「はい!」
リーナは新しいお湯を手配するため、図書室を飛び出した。
部屋に残されたセイフリードは呆れ顔でため息をついた。
普通はカップを下げ、ワゴンごと片づける。そして、新しいワゴンにお茶のセットを持ってくる。
すべてを新しいものに入れ替えるということだ。
ところが、リーナは熱いお湯だけを貰いに行ってしまった。
「僕に出がらしを飲めというのか? まったくわかってない!」
セイフリードはそう言いながらぬるいお茶が入ったカップをワゴンに戻した。
そして、中断した読書を再開した。
リーナは熱いお湯が入ったポットを持って図書室に戻って来た。
新しく淹れた熱々のお茶のカップを差し出すが、セイフリードはそれを無視した。
出がらしを飲む気などないからだ。
「王子殿下、お茶をご用意いたしました」
セイフリードは厳しい視線をリーナに向けた。
「お前は駄目だ。まったくわかっていない。他の侍女に代われ」
「はい」
リーナは素直に頷くと、用意したお茶をテーブルに置いた。
リーナは図書室を退出すると、アリシアに事情を伝えた。
「ついて来て」
「はい」
リーナはアリシアと共に図書室に戻った。
「王子殿下、リーナから聞きました。謝罪の仕方が適切でなかった件については、大変失礼いたしました。ですが、それだけで交代をいいつけられても困ります。現在、人員が不足しております。すぐに追加することはできません。リーナに反省させるということで、お許しいただけないでしょうか?」
「この者は勉強不足だ」
セイフリードは不機嫌そうに言った。
「僕にお茶がぬるいのは駄目だと注意された。普通は新しいお茶を用意する。その際、古いお茶のセットはワゴンに載せて片づける。新しいお茶のセットを用意して熱いお茶を出す。この侍女は新しいお湯のポットだけ持ってきた。そして、ぬるいポッドにお湯を注ぎ、出がらしのお茶を出した。僕が兄上に対して配慮しているとしても、これほどの馬鹿では我慢しきれなくなる。僕が本気で叱責する前に担当を変えろ」
アリシアはため息をついた。
セイフリードの主張は正しい。リーナが間違っていた。
「リーナ、給仕については学んだの?」
「お茶の淹れ方は習いましたが、お湯がぬるい場合にどうすればいいかは習いませんでした。熱いお湯だけを持ってくればいいと思いました。申し訳ありません」
「王子殿下、リーナはまだ新人です。元々掃除のために配属された者のため、他の業務に関しては、勉強や経験が不足かもしれません。そこで、伝令役に切り替えるというのはどうでしょうか? リーナに用を言いつけ、別の者がお茶などを用意するということです。ずっと他の者が王子殿下についていると、リーナの安全を確保するという目的が達成しにくくなります。ご考慮いただけないでしょうか?」
セイフリードは尋ねた。
「華の会の件はまだ片付かないのか?」
「処分することは決まりましたが、どのような処分にするかで意見が分かれているようです」
「貴族の圧力がかかっているのか?」
「恐らくはそうではないかと」
「処刑してしまえばいい。父上は生ぬるい。だからこそ、なかなか問題が片付かない。兄上の負担が増えることをわかっていない」
処刑すれば間違いなく問題を提起した王太子の評判が悪くなる。
その対策はどうするのかとアリシアは突っ込みたくなったが、ぐっと我慢した、
「もうすぐ昼食ですが、その際にお茶を出すということではいかがでしょうか?」
「お茶が飲みたいのは今だ。食後のお茶が欲しいわけではない」
「かしこまりました。すぐに手配いたします。昼食は時間通りでよろしいでしょうか? もし、後ほどということであれば、リーナに食事を用意するように言いつけていただきたいのですが」
「僕は予言者ではない。先のことなどわかるわけがない。取りあえずは時間通りにしろ」
「はい。リーナは椅子に戻りなさい」
アリシアは一礼すると部屋を出て行った。
リーナも一礼すると、元の位置、部屋の壁際に置かれた腰掛椅子に座った。
ここは図書室だけに侍従や侍女が待機するための小部屋がない。
特別な許可を得て部屋の中で待機をするか、護衛騎士のように廊下で待つかをアリシアが王太子に伺いを立てた結果、部屋の中という指示が出た。
後宮華の会の重要証人であるリーナの保護を考慮した指示だけに、セイフリードはしぶしぶしながらも文句はつけなかった。
しばらくすると、ローラがお茶のセットを乗せたワゴンを持ってきた。
すぐにお茶の用意をするが、セイフリードは無視だ。読書をしたまま、視線さえ向けない。
ローラは黙ってお茶のカップと菓子皿をテーブルの上に置いた。
新しく持って来たワゴンを邪魔にならない場所に移動させ、代わりに古いお茶のセットが置かれたワゴンを押していく。
ドアの所で一礼、ワゴンと共に静かに部屋を出て行った。
……さすがローラさん。とても静かで、動きもスムーズで綺麗です!
リーナはそう思いながら、視線をセイフリードの方へ向けた。
セイフリードはお茶に手をつけなかった。読書に没頭している。
お茶を飲む気はとっくに失せていた。





