100 側近と側近(一)
オペラの終演後は、馬車の用意をさせるか社交をするか。
ボックスや座席にいた人々が次々と社交のための場所や玄関口へと移動すると、一時的に二階の通路が封鎖された。
通路に面する扉が閉められ、警備が立ち並ぶ。
第二王子が来ていることを考えれば、第二王子が通るためと考えるのが普通だ。
しかし、そうではない。
王太子が通るためだった。
先導役はヘンデル。次に王太子、護衛騎士が二名。
王太子が王族席の間に通じる控えの間に入ると、封鎖が解除された。
通路に面する扉が開かれ、人が通路に溢れ出す。
そして、口々に王太子が来ていたことを話題に取り上げた。
人混みにまぎれるようにして、リーナはパスカルの後をついていく。
王太子が女性を連れてオペラに来たと思われないようパスカルとリーナは別行動になった。
通路にはキルヒウスがいた。
「来い」
キルヒウスの先導で、パスカルとリーナは大理石の間に向かった。
「ここにいろ。伯爵令嬢が来る」
キルヒウスはそう言うと行ってしまった。
しばらくすると、ヴィクトリアがやって来た。
「こんばんは。レーベルオード子爵」
「こんばんは、ノースランド伯爵令嬢」
「今夜はもう帰ります。リリーナも一緒に。レーベルオード子爵にご挨拶を」
「はい。ご親切にしてくださりありがとうございました。私はヴィクトリア様と帰ります。今夜はこれで失礼させていただきます」
「馬車乗り場はかなり混んでいることでしょう。気をつけて」
「では、失礼させていただきますわ」
ヴィクトリアの後に続き、リーナは馬車乗り場に向かった。
馬車乗り場にはアルフがいた。
「こっちだ」
少し離れた場所に用意されたノースランド公爵家の馬車まで案内してくれた。
ヴィクトリアとリーナはすぐに馬車に乗ることができた。
馬車は混雑する道を抜け、ノースランド公爵家の屋敷に向かう。
馬車の中は沈黙に包まれた。
ヴィクトリアはリーナに言いたいことや聞きたいことが沢山あった。
しかし、しっかりとアルフから釘を刺されていた。
「リリーナとは何もしゃべるな、何も聞くな。無言で帰れ。余計な詮索すれば命に関わる。これ以上の失態はするな」
ヴィクトリアは警戒した。
今夜は大失態をしたばかり。楽観できる要素は全くなかった。
貴族の世界では、余計なことが命取りになるということが多々ある。
危うきには近寄らず、が正解だとヴィクトリアはわかっていた。
リーナはヴィクトリアが何か聞いて来るのではないかと思っていたが、何も言わないことに内心ホッとしていた。
ノースランド公爵家に到着すると、リーナはすぐにノースランド伯爵夫人に呼び出された。
「初めてのオペラはどうだった?」
早速、今夜についての質問攻めが始まった。
「凄かったです。とにかく、圧倒されました!」
リーナは初めてのオペラに感動したことや着飾った人々が多かったこと、高位者がいて緊張したことを話した。
「水が十ギールもするのです。びっくりしました!」
「なぜ?」
「高いからです!」
「高くないわ。十ギールよ?」
「高いです」
「お酒はもっと高いのよ? 水は一番安いのよ?」
「十ギールですが?」
「十ギールよね?」
「千ギニーです!」
「だから、それは十ギールよね?」
リーナは十ギールの水が高いということを懸命に伝えようとしたが、ノースランド伯爵夫人にはまったくわかって貰えなかった。
王立歌劇場では残っている人々が社交を繰り広げていた。
王太子と第二王子の会談もあった。
「兄上がわざわざこちらに来たということは、早急に対応すべき件があるということでしょうか?」
「明日、国王と宰相と会議をする。お前が手掛けていることも議題になる」
「それでですか」
「外交やキフェラ王女の件も話す」
エゼルバードはすぐに不味いと感じた。
その話はしたくなかった。
「孤児院の件は進んでいるのか?」
「順次対応中です。私が指揮をすることになりましたが、軍や警備隊の方はレイフィールが独自に指示を出しています。対策本部を設置させました」
「単に助成金の問題だけではない。国内の孤児院が適切に運営されているかも調べるべきだ。国の未来を支えるのは国民だ。子供達が健全に育つこと、有能な人材になるよう教育することが国の繁栄につながる」
「助成金の回収だけでなく、その分の予算をどこに回すかも重要です。再発についても対策を講じなくてはなりません。ですが、担当及び関連組織に任せることになるでしょう。でなければ、かなりの責任を問わなくてはなりません。通常業務が滞り、国政にも影響します」
「国政に影響するのはよくない。だが、内密に処理すればいいということではない。不正を正すために、不正なことをするのか?」
エゼルバードは口を引き結んだ。
「無理に処理するのは危険だ。お前の責任になる」
「大丈夫です。そうならないようにします」
「もっと私に相談しろ」
クオンは心配だった。
弟が。
「犯罪組織が絡んでいる。報告書には載せていないことも話せ。私も極秘に処理した案件がないわけではない。襲撃された際、正当防衛を行使したこともある」
「兄上が?」
エゼルバードは目を見張った。
王太子には護衛騎士が常時ついている。守られている。
普通に考えれば、王太子が正当防衛を行使することはない。
「視察で城下に行った際に襲われた。護衛騎士もいたが、襲撃者の方が多かった。私も剣を抜いた」
「そうでしたか」
「寝込みを襲われたこともある」
エゼルバードは堪えるような表情になった。
「お前もあるだろう? 人前では寝ないようにしているのは知っている」
若い頃、エゼルバードは寝込みを襲われたことがあった。
それからというもの、エゼルバードは絶対に人前では寝ない。
寝る時は自分一人だけ。
でなければ、安心して眠れない。
「話しておくことはあるか?」
「時間が欲しいです。側近とも話し合う必要があります」
「わかった。キフェラ王女の件をしっかりと話し合っておけ」
「わかりました」
やはり王女の件は限界に来ているとエゼルバードは感じた。
「お前はミレニアスに留学していた。その際、ミレニアスは何かと配慮していた。だからこそ、キフェラ王女の件は穏便にしたかった。だが、限界がある」
「私もキフェラ王女については酷いと感じています。ですが、ミレニアスの意志は固く、引き取りたがらないのです」
「ミレニアスの意志は関係ない。私の意志やエルグラードの方が優先だろう?」
「はい」
「お前の方で何とかできればそれでいい。だが、時間稼ぎはするな」
エゼルバードは見抜かれていると思った。
「急ぎます」
「今夜はここまでにする。私は少し体調が悪い」
「体調が悪いのですか?」
エゼルバードは驚愕の表情になった。
兄が自身の体調不良を口にすることなど、ほとんどない。
寝不足は慢性的かもしれないが、体調不良だと言うことはない。
「いつもの偏頭痛だ。少し休んだおかげでましになった。王宮に戻って寝る」
「そのようなことであれば、わざわざこちらに来られなくても。私の方から兄上の元に伺います。なぜ、言ってくださらなかったのですか?」
「お前にとって王立歌劇場での観劇は公式行事も同然だ。欠席させるわけにはいかない」
「医師の診察を受けては? いつもの症状だと判断していては、重大なことを見逃してしまうかもしれません」
「気を付ける。わかっているようで気づいていないこともあるからな」
クオンはそのことをリーナに教えられた。
「お前はもう少し残れ。二人の王族が急に退出すれば、何かあったと勘繰られる」
「わかりました。適当に時間を開けてから退出します」
もう一度通路が封鎖され、クオンが退出した。
エゼルバードとロジャーが話し合っていると、控えの間のドアがノックされ、護衛騎士が顔を出した。
「失礼します。ヴィルスラウン子爵がノースランド子爵に面会を求めています」
「ヘンデルが?」
ロジャーはエゼルバードを見た。
「行って来なさい。私も少し考える時間が欲しかったところです。食事の間を使いなさい」
「わかった」
ロジャーは食事の間にヘンデルを通した。





