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庭師の戯れ歌と貴族の狂騒曲

――近頃、流行っているものは、怪人、賭け事、自転車さ。

 つまりは都では、鴉が飛び交い、金が飛び交い、道端には二輪が走る走る!

 そして、おいらの流行りは、可愛いケーナ。

 せっせと働くのも彼女のためさ。彼女は辛い洗濯女だ、仕事はきついと涙する。

 だから、おいらは貯金をするのさ。彼女に一軒家をおくってあげる。うんと贅沢させてあげる。

 けれど彼女は言うのさ。

 『あぁ、小さなジャック。そんなものはいらないわ。私が欲しいのは自転車なのよ!』

 おいらはケーナにうんと高い自転車を買ってやるのさ。

彼女は風の妖精になるんだ!

おいらは妖精の夫になって、一緒に野山を駆け回ろう!


 

ジャックは庭師だった。しかも王宮で雇われている庭師で、町の酒場ではちょっとした自慢話にできる。顔もまずくなかったから、女にもそこそこもてる。

けれど彼にとってまずかったのは、女の見る目がなかったことと、その女以外にはまったく目を向けないほどに一途だったということだ。

口を開けば自分の恋人の美辞麗句が溢れ出て、喧嘩をすれども一日経てばけろりと忘れる。庭師をしていた自分の父親からは、庭いじりをのぞくとただのうすのろ馬鹿と評される。

言い換えれば、彼の庭師としての腕は人並み以上と言うことだ。欠点は剪定のとき、大声でどうでもよい自作のポエムを口ずさむことぐらいのもの。実に平和的で牧歌的な男なのである。

芝生の上に立つ彼は、ポエムの節々で、高枝ばさみでちょんちょんと伸びた枝を裁ち切っていく。

庭師の仕事は基本的に貴族たちの目に付かない午前中だが、午後に仕事がないわけではない。御用とあれば、どこにでも赴く。ジャックも、どこかの伯爵夫人の命で彼女の散歩時に不揃いだった木々の枝を切り落としているのだ。

ついでにとばかり、伸びきった雑草を大きな草刈り鎌で刈り取っていく。王宮の巨大な庭園を保つのは、何十人と庭師がいてもなかなかに難しいことなのだ。

緑の海から、段々と土色の海底が見えてくる。

 ふう、と彼はポエム作りをやめ、鎌を地面に置いて、固まった腰をほぐすように大きな伸びをする。視線も地面から、空へ、そして前方へと向けられる。

 まだまだ続く緑の海に、赤いものが浮いていた。そして、ぽっかりと窪みが見える。

 ジャックは草をかきわけて、そこを覗き込む。

 青白い蝋人形の首が石のように落ちている。その近くに、手足が不自然に折り曲がった首なしの身体が背中を向けて横たわっている。

 よく出来た見世物だと思った。彼はよく見た蝋人形を以前見たことがあったのだ。

 近頃の蝋人形は非常によくできている。本物の人と寸分違わず、今にもしゃべりだしそうなほどに精巧だ。見世物小屋の中でこっそり手に触れ、その肌の弾力の無さを確かめなければ気付かなかっただろう。暗がりの中の展示では、ガラス玉の瞳の無機質さに注意を向けることもできないのだ。

「うん、しかし、どうしてこんなところにあったもんかなぁ。わかんねえや」

 がりがりと頭の後ろをかきながら、ジャックはひょいと人形の頭を持ち上げようとする。と、思ったよりも重量感があったために、取りこぼしてしまう。人形の目と彼の目が交差した。

 人形は少年の顔をしていた。綺麗な顔をしている。だが、両目は大きく見開いている。苦悶の表情を浮かべ、死に様がいかに残酷だったのがわかる。なぜなら、首と胴体がぷっつりと切れているのだから。

 辺りの地面にはおびただしい血液が染み込んでいた。

「ぁ、あ、あ……」

 地面に首がごとりと落ちた。一瞬、人形に人の肌を感じた。弾力がある。人間の目である。

――これは、死体なのだ。

 理解した時、声さえも凍り付く。わけもわからず、彼はむちゃくちゃに走り出した。油の差していない機械のように、ぎこちなく、しかし、必死である。

 腹に溜まっていくどす黒いものを、早く誰かに吐き出したくてたまらなかった。

 


――その様を遠く、本館の屋根から見ている黒い影がある。何も言わないで、地上の小人が右往左往している様を悠々と眺めている。その表情を知る者はない。

――さらにそれを空飛ぶ鴉が、黒い(まなこ)で凝視している。威嚇するように、翼をばさばさと広げて、影の頭上で円を描く。耳障りな音が、王宮にこだました。





 今の主人に仕えてもう十年ほど経った。思えば長いもの。主人に合わせて、あれやこれやと忙しくしていたら、それだけの時間駆け続けていたようだ。それだけ充実していた、ということだろう。

 十年分の積み重ねは、主人が彼を気安く呼び捨て、仕事においては片時も離すことのない、固い絆を結ぶに至った。主人の秘密は彼も知っているし、彼の秘密も主人と共有している。文字通り、手足となって働いてきた。

 大学を出たばかりの、支配階級に反骨心を抱いていた若者にとっては上等すぎる未来である。今でも若いころの心をまるっきり忘れてしまったわけでもないが、天へと立ち上る轟々たる大火よりは、ゆらめく蝋燭の火となっている。

 生きてきて、こういうものだという諦めができたからかもしれない。一方でロワイユ伯爵という人を知ったからというのも大きいだろう。

 伯爵は貴族にしては珍しいほどに、勤勉な人であった。元は貧乏貴族の次男坊という生まれだったせいか、お金には異様に敏感な鼻を持っていた。世の中の金の流れに注目し、独学で領地経営をして、家を破産から見事救ってみせたのだ。その手腕が見込まれて、彼は伯爵令嬢の夫となって、伯爵家を継いだ。財産管理もお手の物とばかりに、普通は家令に任せる帳簿関係を自ら管理していたほどだ。

 ピンシェールが伯爵家に雇われたのが、この頃である。

 伯爵は、わがままでそりの合わない夫人と完全に仲違いしたために、先代伯爵家の人々と距離を取っていた。彼は婿養子の務めを果たすかのように、黙々と伯爵家の財産と領地の管理を孤独に行っていた。

 伯爵は、憤ることはあっても、弱音を吐くことはなかった。屋敷での孤立にもひたすら耐えていた。ピンシェールが任されたのは、まず、伯爵と、仕事に関わってくる人々との橋渡しであった。勉強より、彼の社交力をいやというほど磨かなければならなくなった。

 二人三脚の歩みは、彼が伯爵領外に出ても変わらなかった。王宮からの招聘を受けた伯爵は、ようやく息の詰まるような屋敷を抜け出すことができたが、ただ単純に仕事量が激増したため、私設秘書を雇い続けることにした。

 そして、主人のロワイユ伯爵は今、これ以上はないほど名誉な役職についていた。主人は他の貴族の誰よりもこの地位にふさわしいと思う。高い地位に見合うだけの働きを見てきたのだから。

 ロワイユ伯爵は、立派な人『だった』。いや、実際、大勢の人にとっては今もそうだ。しかし、そこに過去形がついてしまうのは、いつも伯爵のごく近くに控えているからこそ、見えてしまうことがあるからだ。

 ピンシェールは、主人のいる事務の机の傍らに立って、静かに見下ろした。

 後ろにひっつめた灰色がかった茶髪がふさふさと彼の頭を覆っている。機密書類を読むため、せわしなく目が左右に動く。十年前と比べると、目元や首筋に老いが見えるが、壮健な体つきや鋭い目つきはほとんど変わらない。

「ピンシェール」

 伏せた顔も上げず、ロワイユ総監は短く彼を呼ぶ。ついで、引き出しから、一通の封筒を差し出した。

「これを、密かにアンネマリーに」

 ピンシェールは息を詰めて、両手で封筒を押し抱いた。

「お返事を聞いて参った方がよろしいでしょうか?」

「いや、今夜、直接聞きに行く」

 総監の目は書類に注がれたままである。だが、その目に何か尋常でない熱を感じて、ピンシェールは慎ましく視線を逸らした。

「そうですか」

 一日一通託される手紙は、一日一日でさらに重みを増していくようである。

 本当は、渡さない方が主人にも、相手方のご婦人にもいいのだろうに。ピンシェールは何度渡さないでいようかと思ったかしれない。だが、総監は執念深い性質であった。一通一通の返事を、口頭でも何でも求めている。一通でも渡しそびれた日には、ピンシェールの首が飛ぶ。十年の絆を上げておいて矛盾しているようでも、それが事実である。

 執着は、主従関係よりも重い。

「かしこまりました、旦那様」

時計の短針が午後五時を指している。窓の外でも、日が傾きかけている頃だった。かのご婦人は、今日は王宮にいるという話だ。主人の夜会の準備もあることだから、早く戻ってきた方がいい。

「では、失礼いたします」

 一礼して、扉へ向かう。すると、彼が開ける前に、前触れもなく大きく開かれた。

 つかつかと絨毯を踏みつけて、ソーセージのように立派な二の腕をさらしている大柄な女がピンシェールの横をすり抜けて、ロワイユ総監に詰め寄った。

「ごきげんよう、旦那様。お久しぶりですわね!」

 女は悪鬼のごとき恐ろしげな顔をして、ロワイユに吼えた。

 うっとうしげに総監が顔を上げる。

「ええ、お久しぶりです。エリーゼ様。今宵は夜会の同伴者として、よろしくお願いします。私と共に、というのはこの上もなく、気色悪いと思われるでしょうが、対外的に我々が夫婦である以上、果たさなければならない役割です。夜会にあまり長居する気はございませんので、そこはご安心を」

 ピンシェールはさあ、と顔から血の気が引いていくのを感じていた。忠実な秘書は、彼の妻の悪癖を幾度となく目撃してきたからである。

「あらぁ、そうなの。それは嬉しいわ、嬉しくてどうにかなっちゃいそう」

 大ぶりのルビーやサファイヤの指輪を嵌めた指をこれみよがしに夫に見せびらかしながら、女はにやり、と悪趣味な笑いを漏らした。

「でも」

 バシン、と軽くない音が部屋内に響く。

 見れば、主人の唇の端から血が流れている。総監はびくりとも動かないで、ひたすらなすがままになっていた。

「どちらにしても、同じじゃない! あんなところに出て、私に恥をかきにいけっていうのっ! お前、隠せていると思っているみたいだけど、皆様とっくにご存知なの! みんなが

知っているわっ、お前があの女にしがみついて、無理やり物にしたことだって! 惨めなのは私じゃない!」

 わざわざ女は指輪の嵌めた方の手のひらでロワイユの顔を打ち据える。すると、金属が擦れて、顔に小さな切り傷ができてくる。ロワイユの頬が赤くなり、にわかに腫れができてくる。

「それなのに、ご安心を、ですって! 昔から思っていたけれど、どれだけ馬鹿な生まれをしているのっ? 卑しい育ちをここまで引き上げてやったのは私のおかげでしょう! お前に感謝されこそすれ、こんな不名誉なことってないわ! どこまで私を惨めにさせるつもり? お前のような者が! この私に!」

 女は恐ろしいほどの力で、ロワイユの顔を蹂躙していく。

 一瞬呆けたピンシェールだが、手紙をポケットに深く押し込み、廊下へ続く扉をきっちり締めてから、慌ててロワイユ伯爵夫人を引き剥がしにかかった。

「奥様、おやめください! お願いいたします、奥様!」

「何よ、お前! 忠犬がでしゃばってくる場面じゃない!」

 無理に引き剥がした後でも、女はヒステリックに喚き続けた。上流階級にふさわしくない、暴力的な言葉を並べ立てている。

 女は怪我をしているロワイユよりも顔を真っ赤にさせて、手足をむちゃくちゃに振り回した。体の大きな女性で、しかも目上であるだけに、手を出しづらい。

「ピンシェール」

 有無を言わさぬ様子で彼を呼ぶのは、ロワイユ総監である。

「エリーゼ様を離すのだ」

「し、しかし」

「ピンシェール」

 二度名前を呼ぶときは、警告そのものであった。伯爵夫人の手を放した。

「頼んでいた用事を済ませてくるのだ。つい先ほどに頼んでいただろう。行け、ピンシェール」

 ピンシェールは唇を噛み締めてから、ふっと息を漏らした。

「はい。ご無礼をお許しください、奥様。……失礼いたします」

 彼は執務室を出た。それでも扉の中が気になって、振り返る。何も聞こえないことを確かめてからようやく彼は、手紙を届けに赴いたのだった。




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