王都脱出後
早朝、ボルツは畑の前で座っていて、そこにレイスが歩いてきた。
「将、いや、元将軍。いつまで呆けているんです?」
「呆けてなどいない! だが、あの方を放っておくことはできんだろう!」
それを聞いてレイスは盛大にため息をついた。
「すっかり参ってますね。確かにアンナ様は大変立派で尊敬できる方ですが、あなたはその夫のオーストン様を目の敵にしていたんですよ」
「それとこれとは別だ。それに奴のことは認めている」
「まあ、かまいませんけどね。それより、ここでずっとのんびりしているわけにもいきませんよ。連絡ではルシーア王子も近々行動を起こすということですから」
「む、それはそうだが。しかし、今すぐにここを離れるわけにもいかん」
「まあ、確かにこちらの体勢が整ったとも言えませんからね。元将軍のおかげで集まった兵達の装備なども整えないといけませんから」
「そうだ、俺を慕ってついて来てくれた兵士達を無駄死にさせるような状況で動かすわけにはいかん」
「物好きが多いものです」
「何でもかまわん」
それからボルツは立ち上がり、歩き出した。レイスもそれに黙ってついていく。そして、到着した先は村の広場だった。そこには急造らしいテーブルが並べられ、三十人程度の兵士が席についていた。
その兵士達はボルツの姿を見ると一斉に立ち上がる。
「かしこまる必要はない、食事を続けろ!」
「はっ!」
立っていた兵士達は座り、食事を再開した。
「残りの者はどうしている?」
そのボルツの問いには、一番近くの兵士が再び立ち上がった。
「巡回と残りは訓練です」
「うむ。では訓練を見てくるとしよう」
ボルツはすぐに方向を変えて、村の広場に足を向けた。レイスもそれに黙ってついていく。そして、二人が広場に到着すると、そこでは手槍を持ち、うごきやすい格好をしたアンナが兵士を相手に訓練をつけているところだった。
「はい、次!」
兵士の槍を叩き落したアンナは気合の入った声を上げる。だがそこにボルツが近づき、中断された。
「これはボルツ様、おはようございます」
アンナは汗ひとつない顔で、さわやかに挨拶をした。ボルツはそれに対してすぐに頭を下げた。
「おはようございます、アンナ殿。兵達に訓練をつけて頂いて申し訳ない」
「いいえ、必要なことですから。それにみなさんとても筋がいいですので、楽しいですよ」
「さすが、手槍を持たせては並ぶ者無しと言われたアンナ様です」
レイスがそう言うと、アンナは微笑を浮かべた。
「昔の話です。覚えている方などいないと思っていました」
アンナの言葉にレイスは眼鏡の位置を直した。
「いえ、現にここに集まっている兵士でアンナ様にかなう者はいませんし、この元将軍も勝てはしませんからね。皆、尊敬していますよ」
「お上手ですね。それに私ではボルツ様にはかないませんよ、武器を持てば一騎当千、軍を率いれば負けは無し。若き天才将軍と評判でしたからね」
アンナにそう言われると、ボルツは照れたように頭をかいた。レイスはその前に出る。
「あまりおだてないでください。調子に乗りますから」
「レイス、余計なことを言うな」
ボルツは機嫌が悪そうな顔をしていたが、アンナはその二人を見て微笑んだ。
「とても仲が良いのですね」
「そんなことはありません! おいレイス!」
「わかっていますよ。アンナ様、一休みしてはいかがでしょうか」
レイスに言われると、アンナは手槍をその場に突き立てた。
「はい、お言葉に甘えます。ミヌス」
アンナがそう言うと、その母親と同じように動きやすい格好をしたミヌスが走ってきた。その腰には短剣が下げられている。
「少し休みましょう」
「はい、お母様」
ボルツはその二人を、普段の様子とは似つかない優しげな表情で見ていた。そして二人がその場から去っていくと、レイスに小突かれる。
「元将軍、呆けてないでください」
「わかっている」
ボルツはそれからアンナが地面に突き立てた手槍を引き抜いた。そしてそれを回したり軽く振ったりすると、軽くうなずいた。
「手槍も悪くはないな。さあ来い! 俺が稽古をつけてやろう!」
ボルツの大音声に、兵士達は気合を入れ、次の訓練の兵士がボルツの前に立った。
「将軍、お願いします!」
「よし! 構えろ!」
「はい!」
その兵士が槍を構えたが、ボルツは自分は構えもせずに、鋭い視線でそれを射抜いた。
「殺す気で来い!」
ボルツの気合に兵士は一瞬ひるんだが、すぐによりいっそう気合を入れた様子になった。それを見たボルツはやっと手槍を構える。
「いい面構えだ。だが、力は入れすぎるな」
「はい! 行きます!」
そして兵士は突きかかって行ったが、その一撃はボルツに軽く押さえ込まれた。兵士は槍を動かそうとするが、うまく力をかけられて動かすことができない。
「どうした? 槍を引かねば次の攻撃ができんぞ」
兵士はなんとか槍を引こうとするが、ボルツはうまく力を入れてそれをさせない。そして、それを放してから一歩踏み込むと、拳を突き出して当たる寸前で止めた。
「武器に気を取られすぎるな。もちろん、それがなくてはどうにもならない相手もいるがな。まずは生き残ることを考えるのだ。必要なら武器も捨てろ!」
「は、はい」
ボルツが力を抜くと、兵士は槍を引いて少しよろめいた。
「よし、もう一度来い!」
「わかりました! お願いします!」
兵士は再び槍を構えた。レイスはそれを黙って見ていたが、いつの間にか隣にミヌスが立っているのに気がついた。
「お嬢様、どうしました?」
そう問われると、ミヌスはレイスの顔を見上げる。
「なぜあの人はもっと上段を狙わないのでしょうか」
「ほう」
レイスはミヌスの言葉に感心したような声を上げた。確かにあの兵士はあまりにも中心にだけ意識を集中していて、攻撃が予想しやすく、脅威にもなっていなかった。
「父上から教えを受けているのですかな?」
「はい」
「そうですか、さすがにオーストン様はいい教育をされているようですね」
「よくわかりません。お父様しか知りませんから」
「なるほど」
レイスはそれだけ言ったが、内心ではミヌスの年齢に似合わない落ち着きと鋭さに感心していた。そしてボルツの方に視線を移すと、兵士の持つ槍が弾かれ、地面に落ちたところだった。
「ボルツおじさまはお強いですね」
「まあ、あれでも元将軍ですから。本領は軍を率いることですけどね」
「すごいんですね」
そうして二人は並んで、ボルツと兵士達の訓練を引き続き見ていた。




