第一話 小さな小さな幸せのカケラ
あたしはライラ。名門アルブエート家のメイド……ううん、小間使い。
あたしはスラムからやってきた。ほかの子たちは、それぞれいろいろなところにもらわれていって、もうそのスラムはなくなった。
あたしたちの仕事はごくごく単純なものだ。
雑巾がけをしたり、リネンを洗濯して干して、洗い物をして、銀食器を磨く。ほかの、えらいメイドさんたちが旦那様や奥様関わる仕事に集中できるために、雑用を引き受ける係だ。
なんてことはない、まさに『小間使い』。東の国では『女中』って呼ばれているらしいよ。
こんな生活、息苦しくないのかって? 全然そんなことないよ。
スラムにいたときは、満足に食事もできなかった。服もぼろきれをつなぎ合わせたものだった。
いまは、自分で洗濯する必要はあるけれど、穴の開いていない、石鹸で洗った服が着られる。
パジャマもベッドもシーツもある。そしてなにより、まかないでお腹いっぱい食べられる!
正直、あたしは食いしん坊だから、まかないなのにどんどん食べる。
メイド長のメアリー様も、奥様も旦那様も、最初は戸惑っていた。
メアリー様はあたしを叱ろうとしたんだけれど、旦那様が笑って許してくれた。
それからはもっともっと食べるようになった。
奥様が『せいちょうき』っていう言葉を教えてくれたけれど、なんのことかわからなかった。
とにかくたくさん食べられることのほうが、あたしにはうれしかった。
他のところに行ったスラムのみんなも、同じように幸せになってくれたらいいな。
夜、あたしには特別な仕事が与えられている。ランプをつけて回ることだ。
なぜあたしなのかって? それはすぐにわかるよ。
あたしは夕暮れがやってくる頃、お屋敷の中をめぐりながら、ランプのカバーを開ける。
そして、指先から小さな火を出して、ランプに明かりをつけるんだ。
そう、あたしには本当にちょっとだけ、火の魔法が使えるのだ。あたしがランプ係を任されたのは、これが理由。
ほかのカンテラやロウソクから火を移すのはそれなりに危険な作業だし、人間の指のほうがずっと細かく動かせるから、ずっと安全。
自分の指先に灯る炎。これはただの魔法じゃない……あたしの導きなんじゃないかって、考えたことがある。
もちろん、そんなことを考えるより、次のランプに火をつけなきゃいけないけどね。
さあ、仕事にかかろう。夜は長いようで短いんだから。
ランプのお仕事が終わると、あたしのおつとめはようやくおしまいになる。
あたしは自分の……ううん、小間使いの部屋に戻った。
あたしたち小間使いは小さいけれど二人部屋をあてがわれている。
スラムにいたときには床以外のところで寝たことがない。本当にうれしい。
「ライラ」
呼ぶ声がした。彼女の名前はカイ。あたしと一緒にスラムで暮らしていて、あたしと一緒にこのお屋敷に引き取られた孤児だ。
カイは灰色の銀髪のとてもかわいらしい女の子で、透き通るような白い肌をしている。
もっとも、スラムにたどり着く前の奴隷時代にひどいことをされたらしくて、その傷が今も残っているのだけれど。
「ごめん、起こした?」
毎日のおつとめで二人ともだいたいへとへとだから、あたしは不安になってたずねた。
「ううん、寝付けなかっただけ」
「寝付けない?」
どういうことだろう。だいたいふたりとも……少なくともあたしは、寝付くのなんてあっという間のことなのに。
「……なにかあったの?」
おそるおそる聞いてみる。
「小間使いをクビになったらどうしようって」
いきなり突拍子もないことを言われて、私は体を震わせた。
「なんでそんなことを思うの?」
「……今日、花瓶を割ってしまったから」
そういえば、掃除をしていたときに、カシャン! と大きな音がした。
行ってみると花瓶のカケラが落ちていてほかには誰もいなかったし何もなかったけれど、あれはカイが花瓶を割ってしまった音だったのか。
「メアリー様には話さなかったの?」
メアリー様はメイド長だ。この館のメイドすべてを取り仕切っている。
もちろん、あたしたち小間使いのことも、だ。
「こわかったの」
「こわかった?」
「ほら、最近わたし、ミスばかりしているでしょう? これ以上失敗してばかりだと、またあのスラムに戻されてしまうんじゃないかって」
その怖さはあたしもよくわかる。ボロ布を着て、カビの生えたパンを奪い合う生活には戻りたくない。
けれど、謝らないことはきちんと謝らないと……。
カイにそれを話すと、カイは涙目になってしまった。
よし、ここは……
「あたしが一緒についていってあげるよ」
「ライラが?」
カイは顔を上げた。
「うん、それなら怖くないでしょう? いや、まあ、あたしがいてもあんまり変わらないかもしれないけれど……」
「ううん、そんなことない」
カイが首を左右に振り、その後、あたしを見つめてきた。
「……おねがい、一緒に来て、ライラ……」
「もちろん!」
あたしは自分の薄い胸を叩いた。
「ちょっと狭いけれど、何とかなると思うよ」
そう言ってカイとベッドに入る。
一人用のベッドだからもちろんぎゅうぎゅうなんだけれど、あたしはそんなこと気にしない。
カイがやっぱり一人だと寝付けないと言うから、二人で抱き合って寝ることにしたんだ。
カイはあたしより背が高いから、あたしの頭はカイに抱きしめられる形になる。
カイの胸の音が聞こえてくる。とくん、とくん……規則正しい音。
カイの心が落ち着いてきたのかな。
――ふたりのぬくもりを感じる。
冬のスラムで、寒さに凍えながら、少しでも暖かくなろうとしたのを思い出す。小さな火の魔法で枝に火をつけて焚火の真似事をして、必死に必死に生き延びた。
けれどいまは凍えていない。温かいベッド、温かいカイ。
旦那様はとてもすごいひとで、スラムや孤児院の貧しい子供たちを助けるのに力を尽くしているそうだ。
もしかしたら、あたしたちが拾われたのは、何かのきまぐれなのかもしれない。偶然なのかもしれない。
それでも、初めて会った旦那様は、あたしたちのあたまをくしゃくしゃと撫でてくれた。
そのあとは、もちろん旦那様らしく『張り切って働くように』と厳しいことも言われたのだけれど。
なんとなく、明日は叱られるかもしれないけれど、放り出されることはないように思う。
メアリー様に怒鳴られるくらいはするかもしれないけれど。
それでもあたしとカイ、ふたりでいればだいじょうぶ。
そんな、少し昔のことを考えながら、あたしは眠りに落ちていった。
翌日の朝早く。おつとめが始まる前の時間に、あたしたちはメアリー様のお部屋を訪ねた。
また鳥が鳴くか鳴かないかの時間なのにメアリー様はきちんと身支度を整えていて、あたしは背筋が伸びる思いだった。
「おはようございます、ライラ、カイ」
「「おはようございます!」」
元気よく挨拶すると、メアリー様は人差し指を口に当てて『しーっ』と仕草をした。
「まだ寝ている人もいるのですから、もう少し静かになさい」
「申し訳ありません……」あたしがもごもごしている中、カイはきちんとお辞儀をして謝った。
「それで、こんなに朝早くどうしたのです?」
カイはうつむいてだまっていたけれど、あたしの手をぎゅっと握って震えを止めると、
「昨日、西の廊下の花瓶を割ったのは、わたしです」
はっきりと言い切った。
カイが頭を下げるのに合わせて、あたしも頭を下げた。
「そうだったのですね」
メアリー様は落ち着いた声で言うと
「ふたりとも、顔を上げなさい」
言われたとおりにすると、いつもの優しく穏やかな顔をしたメアリー様がいた。
「花瓶を割ったのはいけないことです。けれど、きちんと謝罪できるのは立派なことです。よって、今回の件はこれで帳消しにしましょう」
メアリー様が言うと、カイの緊張の糸が切れたのだろう、カイはポロポロと泣きだしてしまった。あたしはハンカチをだしてその涙を拭いてあげた。
「ふたりとも、そんなに心配しなくていいのですよ」
メアリー様の声は穏やかだった。あたしも、泣いているカイも、その意味が分からなかった。
「失敗したからといって、あなたたちをふたたびスラムに捨てたりなどしません。怯えながら暮らすことはありません。私たちはあなたたちを必要としているのですから」
「必要……」
「そのとおりです。あなたたちが働いてくれるから、私たちメイドはほかのことに集中できる。旦那様の表情も、以前より柔和になりました。あなたがたのおかげだと、私は思っていますよ」
あたしはひざをついていたカイに肩を貸して立たせると、メアリー様の瞳を真っすぐに見つめた。その瞳は深い青色をしていて、その中にはあたたかい光が見えていた。
「さあ、一日のおつとめをはじめましょう。カイは疲れているようですから、今日は休みなさい。ライラはまず、雑巾がけからです。お願いしますね」
「「はい」」さっきの教えを守って、穏やかな声で、けれど元気な声で返事をする。
「よろしい」
メアリー様はそう言ってにこりと笑うと、先に部屋を出ていった。
……怯えて暮らさなくていい。
その言葉が嬉しくて、あたしたちは床に座ってわんわんと泣き出した。
泣き声に気が付いてメアリー様が戻ってくると、あたしたちをぎゅっと抱きしめてくれた。
こうして『花瓶事件』は終わった。
さあ、今日からはどんな生活をしていくんだろう。
そりゃあもちろん『小間使い』の仕事だよ。
カイを部屋に送り届けると、あたしは用具庫からバケツと雑巾を取り出して、腕まくりをした。
さあ、おつとめのはじまりだ!
*
こんなふうに、あたしたちのおつとめや生活は日々続いていく。
怯えなくても、飢えなくてもいい生活。
まるで誰かが、あたしたちを幸せな世界に引き込んでくれたみたい。
そうそう、こないだ特別なお客様が来たんだよ。
『小説家』っていって、人生や架空のお話を書く人なんだって!
もしもだけど、あたしたちがそんなお話の主人公になれたらな、って思う。
ただ、その人は体も心もつかれてしまって、お話が書けないんだって、旦那様が言ってた。
いまはおつとめ……ううん、お仕事か。忘れてゆっくり過ごしたらいいんじゃないかな?
「ライラ」
カイがあたしのおでこをツンとつつく。
あたしは雑巾とバケツ、カイはハタキを持って、
「そうだね、今日のおつとめをはじめよう!」
大きな幸せをくれたひとたちへの恩返しに、小さな小さな幸せのカケラを集めていく。
これがあたしたちの――小間使いのくらしかた!
(小間使いのくらしかた つづく)




