10 科学者、少女を保護する 3
究理は、ゴブリンに襲われた時点で方向感覚を失っていて、どの道を辿って妖精少女に出会ったのかの記憶が無かった。だから少女に別れを告げられた後は帰り道が分からず、森の中をあっちへ行きこっちへ行き、散々彷徨った挙句、どうにかこうにかゴブリンとの遭遇地点まで辿り着き、その後は必死に記憶を遡って異世界の門がある場所へと戻って来た。
しかし、異世界の門には潜らない。
まだ元の世界に帰るには早い。この世界に来るときに使った異世界の門には、まだ一往復のみという制限があるので、一度戻ってしまったら、二度とあの少女に会うことは出来ない。彼女は所詮、赤の他人だし、ここに留まれば、またいつ死にかけるか分かったものではないので、戻ってしまっても良いはずだった。少なくとも、今夜のゴブリン討伐が無事に成功するなら、究理がさっさと戻ってしまっても何の問題もない。
しかし、彼には不安なことがあった。
ここに戻る途中で、ゴブリンに襲われた場所を通ってきたのだが、そこには死体が残っていなかったのだ。始めは仲間が持ち帰ったのかと思ったが、草むらの中を探ってみると骨が残されていた。それはつまり、ゴブリンの他にも肉食の獣がいたのか、それとも少女が言ったように仲間に食われたのか。
ゴブリンは夜行性だと少女は言っていたが、究理が襲われたのは日中だったし、残っていた骨が共食いの跡なら日中に行動していたことになる。何か話が合わない。もしかして、ゴブリンの生態を誤解しているのではないだろうか。あるいは究理を襲った群れの生態が従来のゴブリンと違うのか。
少女は戦闘が今夜だと言っていた。ゴブリンが夜行性なら日中の方が良さそうだが、群れが巣穴から出ているときの方が都合がよいのだろうか?
どう考えても、失敗のフラグが立ち過ぎている。
無視するか?
耳元で「無視してしまえ」と囁く悪魔がいる。
そして、その悪魔を否定する天使は現れない。
いや、しかし、そんなこと出来るはずがない。究理に他の選択肢なんてあるはずがない。これは理性ではない。感情の問題だ。
彼女の聖女のような美しさと優しさに惑わされたと言われても否定はできないし、究理には『魔法』という未知の次元を詳しく知りたいという思いも強かった。次に同じような魔法が存在する異世界にゲートが開くのがいつのことかも分からない。
しかし、そんな損得勘定は抜きにして、究理は命の恩人である少女を見捨てることが出来なかった。自分が非力で、正義の味方でもなんでもないことは自分が良く知っている。それでも助けたい。だから、ここに戻る途中で、陰ながら今夜のゴブリン討伐に加勢することを決意していたのだった。
究理は、新たな双対門を作り直し、開かなくなった双対門は盾専用にすることにした。そして、改めてアイテムボックスから銃器を取り出して、地面に並べ、どれを使おうかと考える。
P320は非力だった。対人ならともかく、大型の獣には利かない。ゴブリンには利くかもしれないが、数で攻められたら拳銃では何の役にも立たないだろう。さっきの群れは十体だったが、巣穴での討伐なら百体ぐらいを想定しなければならない。その全てを究理が相手する必要はないにしても、相手が多過ぎるので、交換用マガジンがいくつあっても足りないし、次々と飛び掛かってくるのでは、交換する暇もないだろう。
かと言って、対戦車ミサイルや対物ライフルを使うような場面ではない。ここはやはり、さっきも使った短機関銃、PDW MP7A1だろうか。乱戦となった近接戦闘では味方も撃つことになりかねないが、究理が守りたいのは自分の命と少女の命だけだ。そもそも、ゴブリンと近接戦闘することが間違いだということは、さっきの争いで痛いほど分かっている。先ほど聞いた討伐隊の戦闘方法も遠距離攻撃だけで、近接戦闘をするつもりはなさそうだった。何度もやっていることのようだから、そういった点で間違いは犯さないだろう。
ならば、想定外の事態に陥った最悪の場面で脱出に使う武器として、MP7A1を使うのは問題ないはずだ。
あとは遠距離用の武器。討伐隊の火矢に火がつかなかったとか、攻撃に手間取ったときに支援するための武器。
巣穴を襲うというなら、グレネードランチャーだろうか。MGL-140なら三つある。弾は、火炎弾でもあればよかったのだが、残念ながら収奪品の中に、そんなグレネード弾は無かった。映画ではよく見た気もするが、実在するのかどうかもよく分からない。なので、通常の炸裂弾を装填したものを用意した。念のため、催涙弾を装填したものも用意しておいて、二つのランチャーを使い分けることにした。
* * *
(来た!)
あの妖精少女の他に二十人の討伐部隊。
昼に聞かされた通り、妖精少女は腰紐を付けられて、二十メートルほど部隊に先行して一人で歩かされている。隠れる気がないのか、彼女がいれば隠れる必要もないのか分からないが、討伐部隊の連中がガヤガヤと喋っているのがここまで聞こえてくる。
(あれ?)
あの少女は言葉使いが多少変だったものの、究理と普通に会話できていた。にも拘わらず、究理には討伐部隊の連中の会話の内容がさっぱり分からない。訛ってるとかいうレベルでなく、全く知らない外国語だ。英語やフランス語、イタリア語、ロシア語、中国語あたりは、それぞれイントネーションに特徴があり、意味は分からなくてもなんとなく区別できたりするものだが、彼らの言葉が何なのか全く分からなかった。
(外人部隊なのか?
……いや、あの少女と会話できてたのが異常なんだ)
ここは異世界だ。言葉が通じないのが当然で、あの少女と言葉が通じていたことの方がおかしいのだ。だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
やがて、討伐部隊は究理がゴブリンを見つけた場所に出ようとしていた。そのときだった。
「「「「「ンギャーー」」」」」
部隊の後ろからゴブリンの群れの汚らしい叫び声が聞こえた。
その声に向かって部隊が一斉に振り返る。
(違う!! そいつらは陽動だ!!)
進行方向の前方から聞こえてきたのなら、討伐隊に気付いた連中が上げた警戒音ということもあるが、後方から獲物を襲う際に叫ぶ必要はない。その不要なことをしているということは、注意をそちらに向けることが目的だ。
そう究理が考える間もなく、部隊の左右から少女を避けるようにして、ゴブリンの群れが無言で襲い掛かり、究理が恐れていた乱戦が始まった。
「ギャーー!!」
「ンギャーー」
そんな人間とゴブリンの叫び声が入り混じる。言葉が分からないながらも、助けを呼んでいるような声も聞こえてくる。しかし、他人を助ける余裕のある者は一人もいない。なんせ相手は総数で約二百体。隊員一人あたりに、約十匹のゴブリンが襲い掛かっていたからだ。約六体が手足に噛みついてしがみつき、対象の行動の自由を奪っておいて、残りが大動脈の通っている首筋や股間に噛みついてくるのだ。遠目には全員が血を流した黒い熊の着ぐるみのようになっていた。
数を相手にするときに、後手に回っては、すでに完全に手遅れだった。
一人離れたところで、その惨状を呆然として見ていた少女に、盾を構えた究理が近寄って声を掛けた。
「大丈夫か」
「……おっさん、どうして」
「逃げるぞ、こっちだ」
少女を拘束している腰紐を次元操作で断ち切ると、少女を連れて戦場を離れる。途中で振り返って状況を見定めると、感想を漏らした。
「かと言って、あれを見捨てるわけにもいかんよな」
戦場から風上に向かい、遠く離れて十分に距離を取ると、乱戦の場にグレネードランチャーで催涙弾を打ち込んだ。
バシュ! バシュ! バシュ! バシュ! バシュ! バシュ!
その後、戦場からは聞くに堪えない地獄の断末魔のような叫び声が数多く聞こえてきた。文字通りの地獄絵図。そこは阿鼻叫喚の巷と化していた。それが、しばらくするとその声も徐々に弱まって行き、やがて虫の音ひとつ聞こえてこない静寂が訪れた。
「さて、様子を見に行こうか」
戦闘現場に行くと、催涙弾の饐えた臭いが周囲に漂い、死体と死にかけの、人と魔物の体が一面に転がっていた。
「やっぱり手遅れだったか」
催涙弾を打ち込んだときには、人間側は既に全滅していた。死ぬ間際に生きて地獄を味わった人間もいたかもしれないが、まあそんなことは言っても仕方がない。ここで生き残っているのはゴブリンだけで、討伐部隊の人間は全員が首筋や股間の大動脈を噛み切られ、血塗れになって死んでいた。
ふと、ここには精霊少女がいることを思い出し、念のため訊いてみる。
「もしかして、まだ助けられたりするのか?」
少女に訊くと、すぐに首を横に振られた。
(それって、ノーのサインでいいんだよな?)
地球では、否定のジェスチァ―が国によって違う。どっちの意味か確認しようと思っていたら、少女が言葉で説明した。
「あの人たち、もう全員死んでるから無理」
「死んだら治癒できないのか?」
「一人だけなら助けられることもあるけど、もう色んな魂が混ざり合ってて元に戻せないもの」
言っていることが理解の範疇を超えていたが、既に助けられない状態であることだけは確かなようだ。それにしても、少女の落ち込みようが酷い。
「この中に知り合いがいたのか?」
「ううん。教練場で見たことがある人がいるくらい。話をしたことがある人はいないわ」
「そうか……。
それでどうする? 屋敷に戻って、報告でもするのか?」
そう聞かれた少女が、屋敷の方角だろうか、森の一方向を見ると、木々の向こうに炎と煙が上がっていた。
「あっ」
「あっちに君の屋敷があるのか?」
「うん」
少女が強張った表情で返事をする。
「分かった。行ってみよう」
* * *
「「ンギャー」」「「ギャッギャッ」」「「ンギャギャギャッ」」
少女に道案内されて「屋敷」といっていた場所に近づくと、森を出る前に、いかにもな貴族の屋敷が火に包まれているのが見えた。そこでは、千体を超える、数えきれないゴブリンの群れが屋敷を取り囲んでいて、勝利を祝うかのように飛び跳ねながら叫んでいる。しかも、興奮して群れのあちこちで共食いを始めている。あれがゴブリンの祝杯なのだとしたら、恐ろしい習性だ。
「どうやらゴブリンを甘く見てたようだな」
それが究理の正直な感想だった。さすがにあれだけの群れを退治するに十分な火力は用意していないし、そんな義理もない。あれの相手をするのは、この国の軍隊の仕事だ。
「俺は逃げるが、君はこれからどうする?
君さえよければ、俺のところに来ないか?」
そう言うと、少女はじっと究理を見つめ、長い間品定めをしていたが、やがて口を開いて言った。
「いいわ。おっさんのところで飼われてあげる」
それは、今まで『飼われて』いたことを示す発言だった。
「人聞きの悪いことを言うな。俺は君を飼いはしない。君に衣食住を提供して、俺の秘術を教えてやる。その代わり、君の魔法を教えて欲しい」
「ふ~ん。悪くないわね」
「俺の名は時渡 究理、しがない科学者だ。
君の名前を教えてくれるかな」
「メアリーよ。トキワタリサダミチって、長いし言い難いわね」
「じゃあ、師匠と呼んでくれ。今日から君は俺の弟子だ」
「えっ、なんで師匠? 私が魔法を教える立場じゃないの?」




