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間の悪い日



「座ったら? もうバス来るの?」


 突如現れたヒナに気安い口調でベンチを勧められて、俺は立ち尽くした。

 本日三度目の衝撃。トオルくんの話から始まって、健介から送られてきた新たな盗撮写真、そして彼女。

 今日という日が俺の心臓を止めにきているのかもしれない。大人しく支配人に送ってもらうべきだったのか。


「ちょうどね、あなたに会いたいと思ってたんだ」

 彼女の言葉に眉がぴくっと痙攣して、虚脱しかけていた体が引き締まる。

 会いたいだって? 俺と彼女の間に、また会いたいと思えるような出来事があったか? 少なくとも俺には思い当たる節がない。

「あ、安心して? 今日のこれは偶然。待ち伏せとかじゃないからね」

 俺の顔に訝しむ心が表れていたのか、彼女はそう言って、ふふっと鼻先で冷えた空気を吹き飛ばした。

 ああ、やっぱり彼女とは相容れない。

 イブからひと月も経っていないっていうのに、そんな軽い調子であの日を揶揄するなんて。

 憮然とする俺を気にも留めず、彼女は道路の向こうへ顔をやると、

「私ね、今あそこのパン屋でバイトしてるの」

 と、通りを一本入ったところにある青い屋根を指差した。

 あれは確か、去年の春にオープンしたパン屋だ。行ったことはないけど、もらって食べたことはある。持込で注意されているお客さんもいたっけ。

「最近始めたんだよね、あそこの生ドーナツがすごく気に入って。働いたら出来立てが食べられるんじゃないかなーって思って。でもよく考えたら、生ドーナツって冷やしてからクリーム入れるから、出来立ても何もなかったんだけどさ」

 自分で語ったエピソードをくすくすと笑うヒナに、俺は無反応を決め込んだが、彼女は自分語りを続ける。

「でもさ、焼き立てのパンって本当に美味しいんだよ。クロワッサンとか最高。カレーパンもね。売れ残ると持たせてくれるんだけど、焼き立てを知っちゃうと喜びも半減なんだよね。おまけに太ってきちゃって、カラオケボックスで律のライブDVD見ながら踊りまくって抗ってるんだ」

「…………」

 誰が言っていたか忘れたけど、日本人は他の国の人よりも相槌の回数が多いらしい。俺も今まさに、「はあ」とか「へえ」とか、なんでもいいから言いたくて息苦しい。俺が必死で習慣に抗って無言を貫いているのに、彼女は気にせず話し続けるもんだから、怖い気持ちにすらなってくる。

 なんで俺に会いたいって思ってたんだろう。こんな話を聞かせるためじゃないだろうし。かと言って、あの日のことを謝る気もなさそうだけど……。


「あの店ね、美大生いるんだよ。あなたのお兄さんと同じところの」


「!」


 突然身内を持ち出されて、警戒心がぶくっと膨れ上がった。

 そうだった、俺は彼女が盗撮をしたんじゃないかと疑っていたんだ。

 でも今がバイト終わりなら、トオルくんとの写真を撮るのは不可能か。もしもあれが彼女の仕業なら、なにか上手いこと言えば止めてもらえるかもしれないと思ったのに。

 でも、聞いたところで事実が明かされるとは限らない。それどころか、疑うというアクションが彼女にどんなリアクションをもたらすのか、あの日のことを思うと想像がつかない。


「あの人たちって変わってるよね」


 彼女の口から覚えのある感想が聞こえて、つい目を合わせてしまった。すると彼女の口元が微かにほころんだ。


「今日なんかさ、お客さんが床に落とした生ドーナツを写真に撮ってたんだよ? クリームの飛び散り方がかっこいいとか言って。お客さんが困惑してたから、『この子美大生なんです』って言ったら、『あ~』って納得してて、それもなんか釈然としなかった」

 なんだ、何の話が始まったんだ?

「この前はね、お店の駐車スペースにチョークで絵を描いてた。人魚の絵。もの凄く上手だったんだけど、車で来たお客さんがその絵の上に停めるのを躊躇して何台か帰ってった。その代わりに近所の子連れ客が何組か来てくれて、売り上げは伸びたって店長は喜んでたんだけどね。でもさ、頼まれて描いたわけじゃないんだよ? 許可も取ってない。仕事終わりに勝手に描いて何も言わずに帰ってったの。彼女は店長に褒められただけで、車で来たお客さんが帰ったことは知らない。もちろん店長がそれでいいなら問題ない。でも私はもやもやする。悪い子じゃないから余計に」

 さっきは焼き立てのパンが美味しいという話をしていた気がするけど、いつの間にかバイトの美大生に対する愚痴に変わっている。この話を俺に聞いてもらいたかった? いやまさか。

「あの人たちを見てると思うんだ。親に許されて生きてきたんだろうなーって」


「……あなたの親は、推し活を認めてくれないんだっけ」


 ついに口を開いた俺に、俺も彼女もハッとなった。狼狽える俺を前に、頬に掛かる触覚を揺らして、彼女が「うん」と小さく頷く。

「大いに反対。だからそのためのお金は自分で作ってる。やるべきことはやってるって言えるように勉強もしてる。でも、あの子は違う」

 ヒナはそう言って、皮肉っぽく口元を歪めた。

「彼女はね、息抜きにバイト始めたんだって。創作に没頭しちゃうからって。でも働いてみたら、みんな優しいし、パンは美味しいし、お金も稼げて、おまけに親にも褒められたって嬉しそうに言うの。小さい頃から自分のしたいことしかしないから、世間知らずに育つんじゃないかって心配されてたみたい。新しいことを始めて、自分も、自分の作品の世界も広がった気がするって言ってた。私ね、それ聞いて凄く呆れた。あんた全然周り見えてないよ! って。でもそう思った途端、恥ずかしくなったの。あの日の自分も、全然見えてなかったじゃんって思って」

 彼女の口から唐突に後悔が零れて、俺はとんまな生き物にでもなった気がした。

「あの時は怖い思いさせてごめんなさい。ちゃんと謝るべきだってずっと思ってたんだけど、断られちゃったから」

「え!? あ、いや別に、そこまでは必要ないと思ったんで」

「そっか。でも、ごめんなさい」

 深々と頭を下げられて、思わぬ状況に心が後ずさった。

「い、いいです別に……」

 頬が引きつっている。変な話の流れで行きついた謝罪にすっきりとはしないものの、受け入れない理由にはならず、彼女が抱いたバイト仲間への複雑な気持ちも全く理解できないわけではなくて、きっとその子のことをもっと知ったら気にならなくなりますよ、なんてアドバイスまで浮かんできて、そんなことを言う義理はないと慌てて振り払う。

「そう言えば――」

 言いかけた彼女を遮るように、俺のポケットでスマホの通知が鳴った。俺が驚いて体をびくつかせると、その様にヒナが目を丸くして、それからぷっと噴き出した。

「ごめん、どうぞ」

 笑ったことを笑いながら謝罪した彼女に通知を見るよう促され、俺はなぜだか後ろめたさを覚えながら、ポケットに手を突っ込んでスマホを取り出した。

 メッセージは支配人からだった。『さっきの画像、一応俺にも送って』とある。俺はこの状況を伝えるべきか迷って、一言では言い表せそうにないと諦めて、画像添付のマークに指を置いた。


「あなた、盗撮されてるよ」


 ちょうど、画像をタップしたところだった。

 まるでホラー映画さながらのタイミングで、風が嫌な音を立てて足元を吹き抜けていった。

 そろそろとスマホから顔を上げた俺を見て、彼女の目が瞬く。

「あ、知ってたんだ」

 彼女も俺の思考が読めるんだろうか、それとも俺の表情が分かりやすいのかな。俺は今日何度目かの思考停止状態に陥りながら、ほとんど無意識に支配人に画像を送信した。

「誰かが教えてくれた?」

「……知り合いの、知り合いが、出回ってるコミュニティーにいて」

「ふうん」

 それはよかったというように、彼女が頭を縦に揺らす。

「二枚はそいつが送ってくれて、一枚は人づてに」

「え、もっとあったでしょ? 五枚くらいは」

「えっ!? ごまい!?」

 再び衝撃が俺を襲った。言葉通りの印象を用いるなら、『全身を強く打ったような』と表現したい。実際はかなりひどい状態らしいけど。

「全部見てないんだ」

 口を開けたまま返事が出来ない俺を一瞥して、ヒナが膝に置かれた鞄に手を入れた。そして砥石くらいの厚みのふわふわした黄色いスマホケースを取り出し、イブの日と同じ手袋を脱いで鞄に放ると、ネイルのない指先で画面を叩き始めた。


 写真がまだ他にもある。いつの、どんな、誰と写っているんだ?

 脳内に親しい人たちが連なって浮かび上がって、走馬灯のように駆け抜けていく。


「これを見せる前に一つ聞きたいんだけど」

 差し出しかけたスマホを、ヒナがじらすように胸元に引き寄せる。

「な、なに」

 動揺が苛立ちに変わりかけた俺のすぐ先で、艶が弾けるヒナの唇が、むっちりとくっ付いて離れた。

「アイキに会った?」

「…………」

 そうか、そうだよな。あの写真を見てるなら当然そこが気になるか。

 俺は項垂れそうになって、『公になったところで問題ない』と支配人の言葉を思い出し、なんとか堪えた。

「会ってはいない。遠くから見ただけ」

 俺の答えに、ヒナが妙な顔になる。

「遠くから見るだけだったら、会ったことにならないわけ?」

「アイキは俺を見てないから、会ったことにはならないかと」

「ふうん……」

 俺の解釈をどう咀嚼しているのか、少しの間が空いた。俺は彼女が握るスマホを注視しながら、通り過ぎるトラックの音でバスのことを思い出し、気持ちが急く。

「で、どうだった?」

「――え?」

「遠くから()()

 アイキの感想か、えーと。

「発光してた」

「発光? 金髪だから?」

「それもあるかも。存在感っていうか、オーラがあった」

「ふうん。オーラね」

 そんなことはあとでいくらでも話すから、早く写真を見せて欲しい。いつのどんな俺でもどうでもいい。ただ、俺以外が写ってないかを早く確認したい。

 俺が叫び出したい気持ちを堪えているのに、ヒナはスマホを操作しながらフンフンと鼻歌を鳴らし始める。

「サイトの記事、君のおっかない上司もかっこよく写ってたね」

「怖くないよ、あの人は」

「そう? 私は怒鳴られたから」

「それは君が無茶苦茶言うからだろ!」

「ま、そうだね」

 逸る気持ちで余計なことを言ってしまったかと後悔したけど、ヒナは俺の言葉を受け入れたようだった。アイキを()()ことを怒っている様子もないし、むしろ楽しそうに見える。それもなんだか怖いけど。

「君ってさ、あの上司のこと好きなの?」

「は!? 今それ関係ある!? 早く写真を確認したいんだけど!!」

 虚を突かれて語気を強めた俺にヒナは目を丸くして、それから声を上げて笑いだす。

「あははは! そうだよね、ごめんごめん! はいこれ」

 俺は動揺に任せて彼女が寄こしたスマホを奪い、画面を覗き込んだ。

 そこには、売店で笑う俺が写っていた。

 これはアイナさんが言っていたやつだろうか。いつのだろう。髪を切ったばかりのようにも見えるけど。俺は判断ができないまま画面を右にスワイプした。

「!」

 次の画像に写っていたのは、うちの店の前。そして俺と、黒い車。

 運転席の窓は写っているけど、運転手は写っていない。やっぱり被写体は俺らしい。

 店の窓にイルミネーションが付いている。クリスマス前後? ……だめだ。支配人に送ってもらった機会が多すぎてわからない。

「あ、バスが来たよ」

「えっ」

「私のも一緒に来たみたい」

 ヒナが言った通り、同じ型のバスが二台連なってすぐそこの赤信号を待っている。

「ああもう、タイミングが悪い!」

 俺が嘆くと、次の写真をスワイプする前にヒナにスマホを取り上げられた。

「あ、待って! まだ全部――」

「うんわかってる。だからー……はい」

 再び差し出された画面には、QRコードが表示されていた。

「急いで。写真はまとめて送る。」

「あ……」

 後ろからバスのアイドリングの音が聞こえる。俺は深く考えることは後回しにして、急いで自分のスマホのカメラを起動した。二つのスマホを重ね、独特のメロディが鳴って、俺のフレンド人数が一人増える。

「じゃ、あとでまとめて送るね」

 そう言って彼女は立ち上がり、必要に任せて友達になった俺たちは、それぞれのバスに乗り込んだ。




やっと春休みが終わった。北海道はまだクロッカスしか咲いてません。

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